新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月6日 その2 疲れた

2018-08-06 19:00:18 | コラム
猛暑の下での外出は:

本6日は午前中はジムでノンビリとストレッチにウオーキングにマッサージ・チェアで過ごしてから、帰路に家内と落ち合って新宿駅西口まで野暮用で出掛けた。矢張りというか何と言うべきか暑かった。ビックカメラの中に置いてあった団扇を一つ貰って仰ぎながら真っ昼間の歩道を歩いてバス停に向かったのだが、団扇などは全く役に立たなかった。

用事を全て終えて帰宅したのが1時半過ぎだった。それからゆっくりの休憩して気が付いたのだが、かなり疲労感があっただけではなく眠気も出てきた。外にいる間は持参したポカリスエット等で十分に水分を補給していたが、それでもあの暑さでは想像もしなかったほどに疲れたようだったと解った。そこで解ったことは「この暑さは私のような高齢者の体力を非常に消耗させる」という事実だった。言うなれば、予想していなかった学習が出来たということで良い経験だったらしい。

甲子園の野球

2018-08-06 08:00:05 | コラム
「頂門の一針」の主宰者・渡部亮次郎氏は見ないと言われたが:

昨5日は昔馴染みでもあるし、実弟の出身校でもある慶応高校対中越高校の試合を途中から最後まで見てしまった。馴染みという理由は「私は神奈川県の湘南中学(後に高校になったが)の出身であるし、慶応高校とは県下のサッカーの大会で何度も対戦していたし、顔見知りの者も多かったのであるから」というところにある。私に言わせて貰えば「今となっては時代遅れの社会現象の一種で、朝日新聞の販促の手段に過ぎない」のだが、否定論者の私としても一試合くらいは見ておくかと考えた次第。

慶応の粗探しみたいなことを言えば、昭和20年代は関東大学一部リーグの盟主的な強豪だった大学に指導されたかあるいはその影響を受けたせいか、高校生らしからぬ垢抜けた洒落たサッカーをやってみせるのが特徴だった。だが、その実態は寧ろ見かけ倒しで、試合が始まった最初のうちは威勢が良いのだが、段々に衰えていくので結局は我々の勝ちという結果に終わっていた。このような傾向は東京都内の強豪の都立高校や国立の教育大附属高校でも同じだったと思う。

湘南中学では戦時中は敵性スポーツとして設立が禁じられていた野球部が戦後間もなく発足し、その2か3試合目に何故か当時の慶応商工(現在の中等部)が登場したことがあった。我々田舎の中学生が驚嘆させられたことは、彼ら同じ中学生の垢抜けしたユニフォームの着こなしと大学生かと思わせるような華麗な守備とバッテイングだった。皆で「あれが本当に中学生か」と疑ったほどだった。だが、この格好の良さのコインの裏側は「線が細いな」という言わば負け惜しみのような感想だった。

ところで、昨日の慶応高校の野球である。矢張り洗練されており如何にも都会的だったのは確かだったが、中越高校の変則的な投手交代に悩まされたか、4会以降だったかはノーヒットに抑え込まれたまま2対2の同点で9階裏の傾向の攻撃となった。私の得意とする閃きでは「ここで慶応が得点してサヨナラになる」だったが、何とその通りの結末になってしまった。それだけのことだったが、あの暑さの中で諦めずに9回の裏に2死走者なしから勝ちに持って行った慶応の気力を「ご苦労様」と褒めておこう。