新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月8日 その2 山根明という問題

2018-08-08 14:49:19 | コラム
山根明の辞任で決着したのだろうか:

フジテレビのバイキングを聞いていた限りでは、あの山根氏の声明文読み上げのみの記者会見(とは言えないようだが)は大阪の弁護士会館で開催されたようで、質疑応答を封じ込んだのは何処かの弁護士が付けた知恵のようだったらしい。何れにせよ、辞任の声明が読み上げられたところまででは、中途半端な結果に過ぎないと思う。山根なる者にどれほどの知恵か策謀があるかは不明だが、後継乃至は後任人事が見えていない以上未だ安心出来ないような気がするのは考えすぎだろうか。

私は今日までの山根明なる帰化人が大音声でテレビでのインタービューで語って来たことの内容を総合してみれば、あの人物はもしかするとおよそ小心翼々たる小物で、それを自覚しているが故にその筋の者としか思えない服装で、聞く者を圧倒するような怖い顔で、大した内容もないことをただひたすら吠えて、聞き手に恐怖感を覚えさせることが狙いだった、所謂「強面」作戦を採ってきただけだと思っている。

ずっと以前のことだったが、その筋の者に詳しい人から聞かされたことに「彼らは相手に恐怖感を味合わせる術には長けているが、1対1で対峙した場合には決して強くはない張り子の虎のような連中である」というのがあった。山根明が主張してきたを聞けば、将にそれがピッタリ当て嵌まるのではないかと思わせられていた。

それにつけても思うのだが、スポーツ庁とその長官にはその傘下にあるはずの各種の競技の団体なりに対して、如何なる権限というか命令権のようなものがあるのかと極めて疑問に思わせられた。あの組織がもしも各競技団体を統轄しているのであれば、あれほどの無法者がその超に長年居座ってしかも終身会長などに就任している実態を知らなかったとしたら、何の為の組織で長官なのかと言いたくもなるというもの。

私はこれまでに何度も「そういう団体と言うか組織とその長が如何に世間の常識から外れた者たちの集合体で、嘗ての名選手即ち組織の有能な指導者ではない」と指摘してきた。今回もボクシング連盟はその最悪の例だったと思わずにはいられない。オリンピックなどを主催しようというのであれば、JOCか何処か知らないが、もう少しまともな管理能力を発揮すべきで、サマータイム(正確な英語ではDay light saving time)だの何のと細かいことを言っているべきではないのではないか。「自分たちの足下を良く見よ」と言っておきたい。


女性は優秀なのだ

2018-08-08 07:24:10 | コラム
東京医大の女性差別入試が提起した問題:

私は東京医大は「もしも可能ならば非公開とでもしておきたかったかも知れない非常に微妙で難しい問題を提起する結果を招いた」のではないかとすら考えている。その点を渡部亮次郎氏は「頂門の一針」の第4764号誌上に、下記のような西川史子医師がテレビの番組で語ったことを引用して、あらためて問題にしておられた。非常に時宜を得た提起であると思う。それは

>引用開始
◎西川史子医師は東京医科大の女子受験者一律減点は「当たり前。女性と男性の比率は考えないと」

医師でタレントの西川史子(47)が5日放送のTBS「サンデージャポン」(日曜前9・54)に生出演。東京医科大医学部医学科の一般入学試験で女子受験生の得点を一律減点していたとされる問題で、「当たり前です」と発言した。

西川は「当たり前です、これは。(東京医大に)限らないです、全部がそうです」とキッパリ。「だって、(成績の)上から取っていったら、女性ばっかりになっちゃうんです。女の子のほうが優秀なんで」と続けた。

さらに、女性医師の割合が増えたら「世の中、眼科医と皮膚科医だらけになっちゃう」と医療の現場を知る者として指摘。「重たい人の股関節脱臼を背負えるかって言ったら、女性は無理なんです」と具体例を挙げて説明し、「(女性は)外科医は少ないです。外科になってくれる男手が必要なんです。おなかが大きくては手術はできないんです。だからやっぱり、女性と男性の比率はちゃんと考えてないといけないんです。男性ができることと、女性ができることって違う」と主張した。
<引用終わる

私はこの西川女史は「女性は優秀である」とは指摘していたが、私は彼女の見解に対して何か意見を言う立場にはない。だが、誠に尤もだと思わせられる点が多々あるとは思う。先ずは私が国立国際医療研究センター病院(NCGM)で長年お世話になっていた皮膚科の外来を担当しておられたのは女医さんだったし、そのそばに常に付いていた何名かの研修医も女性ばかりだった。また、長年お世話になっている開業の眼科の医師も女性だし、NCGMで一度だけ診て頂いた眼科の外来も女医さんだった。

私は恐らく2006年1月以来10回以上もカテーテルによる救命処置や検査を受けているが、それを担当されたのは全て男性医師だった。これは西川女史が言う外科手術とは性質が異なるが、かなり思い切りの良さと器用さが求められる処置だと思っている。現に、循環器科の責任ある地位におられる先生に「お医者様、特に外科医は学校の成績の良し悪しも兎も角、度胸が良くて指と手先の器用さは必須のように思えますが」と大変失礼に当たりそうなことを申し上げたことがあったが、先生は必ずしも否定はされなかった。

私は西川女史に追随して言うようだが、ここまでで何を言いたいのかはお解り願えると思うのだ。即ち、女性の外科医は確かに少ないのであり(米倉涼子が演じていた大門未知子は絵空事だろうよ)、カテーテルの処置でも常に男性の医師が担当して下さっていた。私は医学部のことは知らないが、医学生たちは最初から何科の医師になろうと志して入学するのではないと聞いている。であれば、皮膚科と眼科の医師が増えるのは当然の結果かも知れない。

ここで医学部を離れて文学部のことにも触れてみたい。私の級友でもある某大学の教授だった人物が言うには「某有名私立大学の英文学科などは入学試験の成績の順で受け入れていれば女性だけで定員を超過してしまうので・・・・」なのだそうだ。私もこの世に85年も生きていれば「なるほど、そういうことはあり得るだろうな」と妙に納得させられたものだった。言うまでもないことだが、女子の方が遙かに几帳面且つ生真面目に勉強してくるのだから、成績が優秀なのは当然なのだろうと思ってしまう。

いや、そもそもこの世では女性の方が我々愚か男性よりも遙かに優秀なのではないかと思わせられることが非常に多くはないか。これに異論を唱える方はおられるだろうか?!東京医大はこの難しくも微妙な問題に対して既に答えを出してしまったように思えるのだが。