新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

報道は偏っていないか

2019-06-08 09:21:13 | コラム
高齢者の自動車運転事故に思う:

以前に何度もお断りしたことで「私はこれまでの86年間に一度も自動車を運転したことはないし、当然ながら免許を取ろうと試みたことすらない」のである。従って「自動車とはここにいてもアメリカに行っても、何方かのご好意に縋って乗せて頂くもの」だと思って過ごしてきたから、法律的にもの技術的にも何の知識もない。という前提で今回は論じていこうという次第だ。

今、将に高齢者が引き起こした事故が日本中で発生しており、その対応策の一つとして免許証の自主的な返納等がマスコミの大きな話題となっている。そうかと思えば、地方に行けばある程度の規模の街でも高齢者だろうと誰だろうと車、それも軽自動車がなければ生活が成り立ちにくいのだという擁護論の如き主張も絶えたことはないようだ。この私にさえ、こういう地方の交通事情は経験上も十分に理解出来る。

先日、テレビはニュース番組とスポーツ中継を主体にしてしか見ないと言っていた私は、何処の局だったかで所謂交通問題の専門家が年齢層別の交通事故の数を表す棒グラフを出して「高齢者のアクセルとブレーキの踏み間違いの事故が多い多いと報じられているが、現実にはこのグラフが示すように20~30歳台が起こしている事故の数は高齢者そそれとはそう変わっていないのである」と指摘していた。なるほどその棒グラフは中央部が凹んでいて両端が高くなっていたのだった。

既に何の知識もないとお断りしてあった私には、非常に解りやすい図表だった。それに「若者であれば踏み違いではなくても強引や無謀な運転をして事故を起こすことだったあり得るだろうな」と思わずにはいられなかったほど影響を受けた。現実に、高校生の年齢で暴走して人身事故を起こしたという報道は何度かあったと思う。現在の風潮は「これを厳しく批判せずして、増え続けるだろう高齢者が起こす事故を如何にも社会的な大問題として採り上げているのではないのかな」のように思えてならない。

だが、私は高齢者が事故を起こさないような対策は必要だと思う。しかしながら、免許証返納のみが非常に重要な解決策であるかのような論調には疑問を感じてしまう。大きなことを言えば、我が国の自動車産業政策と道路政策は全てが後追いであるような気がしてならない。東京都内のような江戸時代の道路網を未だに使っていながら、そこにあれほども数の車を作って投入させたのだから渋滞など起きて当然だし、事故だって発生する。何度も言ったが、我が家は3人の男が全員自動車の貰い事故の経験者だ。それでも、何故か未だに車には乗せて頂くのだ。

私はマスコミ報道が偏っているのだったならば是正させるべきだし、政府も自動車を中心にした交通政策を考え直すべきだと思うが、これを言い出した議員を知らない。自動車を管理する前に歩道を当然のような顔をして疾走する自転車の始末さえ(道交法17条だったかの違反)もろくに取り締まれない政府や警察に何を期待すれば良いのか。マスコミも一度くらい自転車の取り締まりを大きく採り上げて見せたらどうだ。高齢の歩行者は自転車は怖いのだ。彼らには車道を走らねばならないという法的知識はないようだ。コンプライアンス(どうだ、カタカナ語だ!)の問題だ。