新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

専門家の人たちの考察

2019-06-22 14:36:58 | コラム
所詮は当事者ではない恨みが残る:

昨21日夜もBSでTBSの報道1930とフジのPrime Newsを見ていた。内容には共通する点もあったので興味深く「専門家」の方々の習近平主席のDPRK訪問に関してのご意見を承っていた。彼らは一様に広くて深い情報網をお持ちであり、その現状と将来の分析と解説には傾聴すべき点が多々あり、非常に勉強になった。ただ一つ問題ありとすれば、東洋学園大学教授の朱建栄氏で、彼はまるで中国というか習近平主席の代弁者の如きであり、余り愉快ではない存在ではないと私の思わせている点だろう。

何も昨夜のような主題に限定せずに多くのテレビ的な専門家を考えて見れば、私はニューヨーク(ワシントンDCだったか?)に駐在しているという点だけを採り上げても、産経の古森義久氏が出色であると思う。彼の採り上げる情報とそれに関する分析と判断の適切さは抜群に優れていると評価している。その優秀さの背景にある事は先ずは現地にいることだが、私は恐らく彼ほどの英語力がある特派員(何と大時代な名称か。英語では素っ気なく“correspondent”である)は他社にいないと見ている。私は彼の情報収集能力にはあれだけの英語力が大いに力になっていると思う。

話題は少し外れるが、アメリカに限らず外国人は「英語が上手い人即ち能力が高い人で信ずべき相手」と決めて付き合う傾向があるのだ。勿論、古森氏以外にも英語能力が高い人はいるだろうが、要するに如何にして外国人(情報源)の信頼を獲得出来るかが勝負の分かれ目だと思う。言い方を変えれば「自分の言葉で、自分で収集し分析した情報を語っているか」であり、「一聴で伝聞か報道された記事から引用した」と聞き手に悟られては価値がないのだ。

当方が長い間お世話になった紙業タイムス社(社名が如何にも業界新聞の如きだが、歴とした紙パルプ産業界に特化した出版社である、念の為)の高橋吉次郎社長(当時)は「自分の脚で稼いだ情報を自分で分析して自分の物として自分の言葉で発表するのが真の記者である」と常に言っておられた。換言すれば「右から左に伝聞を記事にしているようでは使い物にならない」と厳しく記者たちに説き聞かせておられたのだ。私も「その通りだろう」と思って聞いていたのだった。

私はW社のような組織の中に入って当然のように副社長兼事業部長級の優れ者たちの話を聞く機会があったが、彼らが強調する点は「我々が紙パルプ森林産業界の流れを創っているのである。我々が事を起こしているのであって、当事者である。マスコミの中には優れた解説や分析の記事を出す新聞社も専門の出版社もいるが、彼らは伝聞を伝える専門家であって流れを産み出しているのではない」という誇りと認識を持って事を推し進めていた。私流に換言すれば「メデイアの記事は結局は後追いになってしまうものだ」と聞こえていた。

私は製造業が恰もこの世を動かしていると思われていた時代の育ちなので、彼らの主張を当然のように受け入れていた。そこから先の問題点として考えられることはそういう製造業界が創った流れなり事柄なりを、マスメディアが何処まで正確に余す所なく業界の目指すところを一般大衆に伝えてくれるかであると思う。報道する側には独特の解釈もあれば、記事にする記者の視点と言うかよって立つ角度によっても内容が変わってくると思う。そして屡々我々が考えてもいなかったような分析になってしまったこともある。それは彼らは競合する同業他社も取材するからだったことも屡々あった。

何れにせよ、マスメディアが背負っている大きな障害物は「彼らは当事者ではなく、メーカーなり研究者が起こした事柄を如何なる方角から見て分析したか」であると、私は考えている。マスコミは好む表現に「真実は一つ」というのがある。私はこれは眉唾物だと思っている。それは同じ出来事でも、見る者の主観、立ち位置、角度、立場が違えば全く別なものとなって報道されていたことがあった。取材する記者がどれほど能力が高くとも、製造業界の経営者や管理職や研究者の頭の中までは取材が及ばず「何を目指していたのか」を読み取ること叶わず、推量になってしまうのだと思っている。なお、私の持論は「出来事は一つ」なのである。

今やICT化がここまで進み、AIが“fake news”を好き勝手に創り上げてしまう時代なってしまった。そういう時代にあって当事者ではないマスコミの方々が何処まで正確且つ的確に製造業界か研究開発機関やGAFAのようなビジネスの実態やその目指す新分野等を読み切れるかは、非常に難しい時代になったと思う。しかもそれだけに止まらず、アメリカ、中国、ロシア、イラン(イスラム教国)、DPRK等々の世界戦略や貿易戦争や情報合戦が益々複雑化して「次に何が起きるのか」などを読み切れる者が果たして何処かにいるのだろうかという時が来ている。

そういう時代にあって「専門家」には「その果たすべき役割」であるとか「この先に何が起きるか」等々、世間の期待はドンドンと高まると同時に難しくなっていくと思われる。そうなっていけば行くほど、彼らが事を起こしていく当事者と何処まで深い間柄を確立して独自の正確且つ的確な情報収集能力に基づく報道と分析と解説が出来るかが重要な課題になって行くと思う。私は我が国の報道機関の方々には「洋の東西間の文化と思考体系と場合によっては歴史の違いにまで踏み込める外国馴れ」を求めたいのだ。

それ即ち、古森氏のような英語力が必要になるとも言えると思うのだ。より厳しく言えば、トランプ大統領が“fake news”であると舌鋒鋭く批判されたアメリカの有力紙(ニューヨークやワシントンDC等の言わば地方紙を指す)の記事の垂れ流しでは通用しなくなる時が来ているという意味だ。記者会見ではなく、事を起こしている当事者を取材せよという意味でもある。「何だ、結局はマスコミ批判か」というこ声が聞こえてきたようだ。