新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月30日 その2 便利の裏側

2019-06-30 10:28:44 | コラム
「便利の裏側」にあるものは:

30日は前夜の早寝の為に4時には目が覚めてしまい、仕方なくテレビを見ていた。そこで途中からチャンエルを合わせたテレ朝の「便利の裏側」に思いがけない大勉強(?)をさせて貰った。画面にはコンビニに向けに食品を供給している会社の8度Cに調節された倉庫内で多くの店舗向けに多種類の加工乃至調理済みの食品をトレーに午前3時頃までに仕分けて積み込む作業が行われていた。非常に細かい仕事で、積み込み間違いは許されない。ここで注目すべき点は作業員全員が週28時間の就労が許されているアジア等からの留学生だったということ。日本人は皆無だった。

私が言うまでもないことだが、コンビニには24時間営業に合わせるべく早朝にも食品を納入せねばならないので、このような深夜勤をする若い働き手が必要になるのだ。だが、音声では日本の若者が応募してくることはないと言っていた。「なるほど」と思わせられた。勤務を終えたネパール人の留学生が休憩室で一服して同国人と語り合っている場面も出てきた。彼らは働き場所を求めて治安も良く人手不足の日本の日本語学校や専門学校に留学ヴィザを取得して働きに来ているのだそうだ。

次に出てきたのは愛知県の運送会社で、このような食品会社から出てきた荷物のコンビニへの深夜から早朝の配送を請け負っている企業だった。私には正確なことは解らなかったが、ここに働くアジア系の外国人留学生はドライバー職ではないようだった。その会社の管理部長代理という女性は質問に答えて「深夜勤は全員外国人で彼らが若年(青年)労働者の不足を補ってくれている。いくら募集をかけても日本人は来ない。当社に外国人留学生が来なくなれば、人手不足倒産は免れないだろう」と語っていた。これも「なるほど」と思って聞いた。

この会社はこういう留学ヴィザの学生を試験して内定を出しているのだそうだ。その内定者の1人のベトナム人は国で工科大学を出ていながら就職口がなく、治安が良くインフラも整備され人手不足の日本に機会を求めてやって来たのだそうだ。そこで四日市市の経済大学に留学してアルバイトを続けその運送会社に内定を貰ったが、名古屋の出入国管理局に就労ヴィザへの切り替えを申請して2ヶ月経ったが未だに認められていないと語っていた。即ち、認められなければ内定も無効になるので、会社側も大いに案じていた。

このベトナム人は運送会社での時給は¥1,380だったかで月収は¥16万円ほどで、その中から大学の授業料を払い、2DKのアパートに妻子と暮らし、従兄弟まで同居させているとかだった。大学は卒業してしまったので何としても就労ヴィザが貰えないことには内定も無効だし、万一の場合にはまた何処かの学校に行かねば就労も不可能になる事態だそうだ。彼は「もう、勉強は結構だ」と嘆いていた。だが、幸いにも就労ヴィザを取得出来て一件落着だった。因みに、彼は毎日4時間しか寝ていなかったと回顧していた。

私はこれまでに「新宿区に無数にある日本語学校にあれほどアジア系の留学生が来ている目的は何だろう。週28時間の就労が認められているとは承知しているが、一体何時何処で働いているのか」との疑問を呈してきた。多くの日本語学校の留学生は午後12時には授業が終わって一斉に帰って行く様子は見慣れている。すると、彼らはそれから上記のような深夜勤務に出ていくのかと、初めて知り得た次第だ。前述の留学生たちは一定以上の日本語能力が身に付いている様子なので、就労には好都合なのだから、日本語学校が繁盛するのも解る気がした。

では、あれほどの数の日本語学校を経営しているのは何処の国の人なのか、またその狙いは那辺にあるのかという疑問は常に持っていた。だが、今朝ほどの番組で日本語学校が人手不足の我が国で如何なる機能を持っているかは朧気ながら認識出来た。また、もっと重要なことは「コンビニエンスストア」の「便利さ」の裏側に何があるのかという実態を、イヤと言うほど知らされたと思った。そういう裏側の事態があるとは知らなかった我が身の不明を恥じた。

確かに我が家の周辺にあるコンビニやイオンの食品専門のスーパーなどのレジにいるのは東洋人が多い。だが、これなどは「駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」という古い言い慣わしを当て嵌めれば、明らかに「担ぐ人」なのではないか。私は以前から「何れ我が国には単純反復労働やそれに類する職種を敬遠する若者が増える時代が来るだろう」と予測してきた。そして、その事態を「駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」と言うが、究極的には「草鞋を作る人」がいなくなる時が来る危険性が高いと唱えてきた。

今朝のテレ朝に聞かされたことは「草鞋を作る人」不足乃至は不在を補っているのが、未だに発展途上にあるか就職難に喘ぐ若者を抱えたかのようなアジアの諸国からの留学生であるという実態が、果たして良いことなのかどうかは疑問ではないかと考え込まされた。政府は入管法を改正して海外から労働力を輸入すると言うが、その前に既にこういう「便利の裏側」を担っている留学生の存在を何処まで把握しているのかなとも考えた。私は容易ならざる時代になったものだと痛感した、夜明け前の30分弱だったと思っている。


私は時代に遅れたのか

2019-06-30 07:45:53 | コラム
LINEの使い方の講習会:

昨29日の午前中に小降りの雨をものともして買い物に出掛けた。ふと気が付くと隣の棟の集会所に「LINEの使い方の講習会」と貼り紙あって、多くの高齢者が参加しておられた。この状態には少し驚かされた。それはLINEとはスマートフォンを使った仲間との交信手法と理解していたので、我がアパートでもスマートフォンを所有する高齢者が増えて、LINEなるものの講習会まで開催される事態ではなく時代になったのかということ。当方は今更スマートフォンに投資する気など更々なく、PCと二つ折りの携帯電話で他者との連絡手段は十分間に合っていると思っている。

しかし、軽減税率の方法などを遠目で眺めていると、キャッシュレスのようにスマートフォンの所有者でないとその恩恵に浴せない事態となるようだくらいの認識はある。年齢の割には交際範囲というか連絡を取り合う方の人数は多いという自負はあるが、負け惜しみではなくスマートフォンなど必要はないと考えている。中・高のクラス会ではPCすら持っていない者が圧倒的だ。しかしながら、次々へと現れてくるICT化というのかデイジタル化時代の新たなアプリケーション(で良いのかな?)は全て当たり前のようにスマートフォンを使うようになっている。IOT何ていうのも出てきた。

そう考えながら講習会の前を通り過ぎると、受付をやっておられた顔見知りはない女性に丁寧にお辞儀をされてしまった。私も参加者と看做されたらしい。参加しておられた高齢者の方は何処までスマートフォンを使いこなした上でLINEを勉強しようとしておられるのだろう。私の友人や知人にもPCからメールを送るとスマートフォンから返信する方もおられる。

私はもう緊急に連絡を取り合う必要がある相手もほとんどなく、定期的に原稿を送る相手もなくなった。だから、PCと旧式の携帯電話があれば十分だと思っている。だが、何となく時代に取り残されたかという恐れがあるのは否めない。昨日の講習会はその恐れを少しだけ増幅させてくれた。