国内に存在する異文化圏内の出来事:
吉本興業所属の芸人たちが反社会的勢力の宴会に、会社というか事務所に届け出ることなく出演して料金まで貰っていたことを、各テレビ局は恰も天下の一大事の如くに採り上げて、所謂専門家を呼んで色々と解説させたり論評させたりしているのを、私はどちらかと言えば「奇観」であると思って見ている。
当方はもう半世紀ほど「NHKを始めとしてあらゆる報道機関が相撲をスポーツ扱いしているのは誤りである。あれは一般人が住む世界とは異なる文化(ある特定の集団の言語・風俗・習慣・思考体系を指す)の下に暮らしている人たちである。故に、一般社会の常識に照らして何らかの批判や論評をするのは不当である」と主張し続けてきた。ご記憶の方がおられれば幸甚だが、私のこの持論は嘗ては某局の運動部長だった方から教え諭されて唱え始めたことだったのである。解りやすく言えば、「一般社会の物差しで相撲界を測るな」ということ。
今回は13人もの芸人たちが5年も前にとった非常識とも言える行動が写真週刊誌が暴いたことによって、各テレビ局が一斉に報じ出したのである。そういう報道とというかニュースショーのような番組を全部見た訳でもないが、司会の役を務めている者どもの発言と言い、その道の専門家たちの論評と言い、一聴芸人たちに「同情の余地無し」的な批判的な表現を採っている。だが、私が聞く限りでは、底流を流れているものは飽くまでも同業者に理解を示し、残念なことをした「相談してくれれば阻止してやったのに」と言いたげだった。
テレビ局とて同じ事で、彼らも具体的にそう表現しないだけで、お仲間の不慮の過ちを悔やんでいるとしか聞こえない優しさがあったと聞こえた。テレビ局の番組制作の狙うところは、既に彼ら自身が認めているように「知識階級を対象にして番組を創っていない」そうだから、仲間内の重大事として懸命に報じているのだと解釈している。その辺りはNHKが相撲をあれほど大事にして中継放送しているのと同じ感覚なのだと、私は看做している。即ち、芸人たちはテレビ局にとってはお目当ての層を目指す番組作りには重要な要因たちなのだ。
即ち、テレビ局が今日のように蔓延ってしまう世の中にあっては、芸人というかタレントたちは何時の間にやら彼らの仲間内だけの独特の文化圏を、言うなれば江戸時代からの歴史と伝統に輝く相撲界のように、形成してしまったのだと私は見ている。そこにはその階層独特の倫理観というか道徳までもが確立されているようなのである。バイキングとやらを司会する坂上忍は宮迫博之が加わっていたことを捉えて「(彼ほどの主演の番組を抱えていながら、高収入がありながら)直(闇営業と同義語)をやったのか」と嘆いて見せた。
私が言いたいことは「芸人とテレビタレントという集団が既に独自の文化圏を成立させてしまった以上、一般社会の常識を以て今回暴かれてしまった事務所の許可を得ていなかった『闇営業』を何のかのと言って批判したり非難することの意義は極めて薄い」という点だ。即ち、テレビという媒体が何時の間にか、こういう独自の文化圏を創り上げる手助けをしてしまったのだと考えれば、解りやすいと思う。私はこの件に関して論評する意義は余りないとは思ってきたが、「異文化圏内の出来事と論じることには多少意味があるか」と考えた次第。
換言すれば、そういう文化圏の他に一般の社会人が暮らす文化の世界があり、我々と言うか私はそこに永年居住しているのだと言えば良いのだと考えている。
吉本興業所属の芸人たちが反社会的勢力の宴会に、会社というか事務所に届け出ることなく出演して料金まで貰っていたことを、各テレビ局は恰も天下の一大事の如くに採り上げて、所謂専門家を呼んで色々と解説させたり論評させたりしているのを、私はどちらかと言えば「奇観」であると思って見ている。
当方はもう半世紀ほど「NHKを始めとしてあらゆる報道機関が相撲をスポーツ扱いしているのは誤りである。あれは一般人が住む世界とは異なる文化(ある特定の集団の言語・風俗・習慣・思考体系を指す)の下に暮らしている人たちである。故に、一般社会の常識に照らして何らかの批判や論評をするのは不当である」と主張し続けてきた。ご記憶の方がおられれば幸甚だが、私のこの持論は嘗ては某局の運動部長だった方から教え諭されて唱え始めたことだったのである。解りやすく言えば、「一般社会の物差しで相撲界を測るな」ということ。
今回は13人もの芸人たちが5年も前にとった非常識とも言える行動が写真週刊誌が暴いたことによって、各テレビ局が一斉に報じ出したのである。そういう報道とというかニュースショーのような番組を全部見た訳でもないが、司会の役を務めている者どもの発言と言い、その道の専門家たちの論評と言い、一聴芸人たちに「同情の余地無し」的な批判的な表現を採っている。だが、私が聞く限りでは、底流を流れているものは飽くまでも同業者に理解を示し、残念なことをした「相談してくれれば阻止してやったのに」と言いたげだった。
テレビ局とて同じ事で、彼らも具体的にそう表現しないだけで、お仲間の不慮の過ちを悔やんでいるとしか聞こえない優しさがあったと聞こえた。テレビ局の番組制作の狙うところは、既に彼ら自身が認めているように「知識階級を対象にして番組を創っていない」そうだから、仲間内の重大事として懸命に報じているのだと解釈している。その辺りはNHKが相撲をあれほど大事にして中継放送しているのと同じ感覚なのだと、私は看做している。即ち、芸人たちはテレビ局にとってはお目当ての層を目指す番組作りには重要な要因たちなのだ。
即ち、テレビ局が今日のように蔓延ってしまう世の中にあっては、芸人というかタレントたちは何時の間にやら彼らの仲間内だけの独特の文化圏を、言うなれば江戸時代からの歴史と伝統に輝く相撲界のように、形成してしまったのだと私は見ている。そこにはその階層独特の倫理観というか道徳までもが確立されているようなのである。バイキングとやらを司会する坂上忍は宮迫博之が加わっていたことを捉えて「(彼ほどの主演の番組を抱えていながら、高収入がありながら)直(闇営業と同義語)をやったのか」と嘆いて見せた。
私が言いたいことは「芸人とテレビタレントという集団が既に独自の文化圏を成立させてしまった以上、一般社会の常識を以て今回暴かれてしまった事務所の許可を得ていなかった『闇営業』を何のかのと言って批判したり非難することの意義は極めて薄い」という点だ。即ち、テレビという媒体が何時の間にか、こういう独自の文化圏を創り上げる手助けをしてしまったのだと考えれば、解りやすいと思う。私はこの件に関して論評する意義は余りないとは思ってきたが、「異文化圏内の出来事と論じることには多少意味があるか」と考えた次第。
換言すれば、そういう文化圏の他に一般の社会人が暮らす文化の世界があり、我々と言うか私はそこに永年居住しているのだと言えば良いのだと考えている。