新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

先輩対後輩の間柄(年長者を敬う)

2019-06-27 14:16:28 | コラム
年齢を基準に物事を考えると:

「先輩対後輩の間柄」とは異なる話題になるかも知れないが、サッカー界では出身大学が異なっても学年が上の人に対しては当然敬語を使うし、下の人を「君」で呼んでいるのだった。今となっては先輩・後輩の関係を嫌う私でもサッカー界の習慣に従って、余所の大学のサッカー部出身の財界人OBの某氏は3学年下なので「君付け」にしていたし、未だにそれで通している。だが、昨年久しぶりに会った時に彼を「君」と呼んで、何となく失礼ではないかと気が咎めた感があったりしたものだった。

私が未だ母校のサッカー部の非公式なコーチをしていた頃に、全日本代表が練習するグラウンドがないからと、あの砂埃が舞い立つ四谷のお堀のグラウンドを借りにきたことがあった。昭和30年代の全日本はこういう何となく寂しい存在だったことなど、現在では想像も出来ないだろう。その中に弟の慶応の下級生だった選手が2名いて、何を差し置いても(私の好みではない表現だが)先輩である私に挨拶に来て、我がサッカー部の学生たちは「コーチが如何に偉いのか」を知らしめたのだった。私はこういう先輩・後輩関係は尊重しても、決して好みではないのだ。

それは、既に述べたことで、私が先輩対後輩の間柄を尊ばないようになったのは、年齢や性別による差別というが区別をしていないアメリカのビジネスの世界に20年以上も在籍して、そのアメリカ文化の方が私には居心地が良かったからに他ならない。だからこそ、我が国独特の文化であり習慣である年功序列であり、年長者を先輩として敬う世界というか仕組みに今更戻って行きたくはないと思うようになったのだ。アメリカは「実力の世界」の如くに考えておられる向きもあるだろうが、必ずしもその通りではないのが実態で、この件は別の機会に解説する。

あの神奈川県下を大騒ぎさせた逃亡犯の小林誠が神奈川県下で泊まり歩けていたのは、泊めた者たちが「先輩の要請を断り切れなかった」と報じていた。私はアメリカの影響もあって「自分とは異なる分野で十分に活躍して実績を挙げておられる方が、仮令私よりも年下であっても私は先輩面をするべきではない」と思っている。解りやすく言えば、我が国の伝統である「先輩対後輩の間柄」をこの期に及んで、自分から尊重しようとは思っていないということ。


先輩対後輩の間柄

2019-06-27 08:54:15 | コラム
我が国独特の文化というか美風かも知れない:

テレビ報道によれば、昨26日に採り上げた吉本興業所属の者たちで反社会的勢力の宴会に闇営業とやらで出演したのは輩の中には「先輩の誘いを断ることが出来なかった為」という言い訳をして者がいるとかである。確かにテレビだけでしか知り得ない事だが、彼らは「先輩は後輩の面倒を見るべき存在であり、その時の状況によって先輩が食事代や飲み代を負担するものである」と常に言っているようである。思うに「芸人とテレビタレントの世界にはそういう風習があり、後輩は先輩の言うことに何をさて措いても従うべきである」という基準があるようなのだ。

私は彼らの世界の文化には全く関心がないので、「先輩」と「後輩」がどのように定義されているかは知らない。年齢なのか、あの世界に入った年次を指すのか不明であるという意味。間違ったらご免なさいだが、プロ野球の世界では「生まれ年」で決まるようで、高卒で入った者と4年後に大卒で入団した同い年の者は対等であると聞いた記憶がある。私はそのような厳密な文化?(決め事)がある訳ではない湘南中学から高校までの間のサッカー部では学年が基準になっていたし、それが長幼の序が存在する我が国では普通のことだと思っていた。

私が今回の騒動を見ていて思うことは、彼ら芸人の世界では我が国独特の文化であり風俗・習慣であり、年長者を敬うというのは美徳でもあるのだろう。だが、「先輩。後輩」という間柄が価値判断の絶対的な基準になっていることがあの闇営業をもたらす原因にもなっていたのであれば、決して美しいことでも何でもないとしか思えないのだ。。私も運動部の世界で育っては来たが、1972年からはアメリカの会社に転じ、そこは年齢も経験年数が地位や偉さや物事を決める基準にはなっていないと知ったのだった。

即ち、何処の企業に行っても同じだとは思うが、少なくとも我が事業部内では副社長兼本部長の下に部員全員が横一線であり、そこには先輩や後輩とかいう基準は一切存在していなかった異文化の世界だった。現実的には、私が生涯最高の上司と敬っていた副社長兼事業本部長は10歳年下だったが、とても太刀打ちしようとも思ったことない凄い能力の持ち主で、前歴が地方の工場の会計係であったにも拘わらず、何時の間に学習したのかと驚倒させられたほど技術的な面では博士号を持つ技術者たちと対等にマシン操業の技術論を交わすほどの知識を蓄えていた。

要するに、彼には黙って従っていくしかなかったほどの明晰な頭脳の持ち主である優れた経営者だったのだ。同じ事業部内の同僚も私よりも年下の者ばかりだったが、彼らと私の間も、全員も皆対等な間柄であって「先輩、後輩」という基準乃至は関係は全く存在しなかった。ましてや、全員が中途入社だから年齢は何の基準にもなり得なかったのは当然のこと。故に、私にとっては「先輩対後輩」という関係が尊重される我が国の文化圏を離れたことは、結果的に私の為には良かったのだと考えている。

言い換えれば、アメリカとは年齢と入社年次による「先輩と後輩」という束縛がないで世界だということ。あの未だにテレビ局が採り上げて騒いでいる闇営業騒動について何が言いたかったのかと言えば、彼らが「先輩芸人に誘われたから、宴会に参加するしかなかった」という事態を、一般の常識的な世界に住む人たちに何処まで解って貰えるのかという疑問である。私はテレビ局が採り上げて騒いでいるのは、彼らの仲間内の価値の基準に根ざした彼らの世界の中での騒動だからではないのか」と解釈している。一般の社会の常識人は放っておけば良いことではないか。