年齢を基準に物事を考えると:
「先輩対後輩の間柄」とは異なる話題になるかも知れないが、サッカー界では出身大学が異なっても学年が上の人に対しては当然敬語を使うし、下の人を「君」で呼んでいるのだった。今となっては先輩・後輩の関係を嫌う私でもサッカー界の習慣に従って、余所の大学のサッカー部出身の財界人OBの某氏は3学年下なので「君付け」にしていたし、未だにそれで通している。だが、昨年久しぶりに会った時に彼を「君」と呼んで、何となく失礼ではないかと気が咎めた感があったりしたものだった。
私が未だ母校のサッカー部の非公式なコーチをしていた頃に、全日本代表が練習するグラウンドがないからと、あの砂埃が舞い立つ四谷のお堀のグラウンドを借りにきたことがあった。昭和30年代の全日本はこういう何となく寂しい存在だったことなど、現在では想像も出来ないだろう。その中に弟の慶応の下級生だった選手が2名いて、何を差し置いても(私の好みではない表現だが)先輩である私に挨拶に来て、我がサッカー部の学生たちは「コーチが如何に偉いのか」を知らしめたのだった。私はこういう先輩・後輩関係は尊重しても、決して好みではないのだ。
それは、既に述べたことで、私が先輩対後輩の間柄を尊ばないようになったのは、年齢や性別による差別というが区別をしていないアメリカのビジネスの世界に20年以上も在籍して、そのアメリカ文化の方が私には居心地が良かったからに他ならない。だからこそ、我が国独特の文化であり習慣である年功序列であり、年長者を先輩として敬う世界というか仕組みに今更戻って行きたくはないと思うようになったのだ。アメリカは「実力の世界」の如くに考えておられる向きもあるだろうが、必ずしもその通りではないのが実態で、この件は別の機会に解説する。
あの神奈川県下を大騒ぎさせた逃亡犯の小林誠が神奈川県下で泊まり歩けていたのは、泊めた者たちが「先輩の要請を断り切れなかった」と報じていた。私はアメリカの影響もあって「自分とは異なる分野で十分に活躍して実績を挙げておられる方が、仮令私よりも年下であっても私は先輩面をするべきではない」と思っている。解りやすく言えば、我が国の伝統である「先輩対後輩の間柄」をこの期に及んで、自分から尊重しようとは思っていないということ。
「先輩対後輩の間柄」とは異なる話題になるかも知れないが、サッカー界では出身大学が異なっても学年が上の人に対しては当然敬語を使うし、下の人を「君」で呼んでいるのだった。今となっては先輩・後輩の関係を嫌う私でもサッカー界の習慣に従って、余所の大学のサッカー部出身の財界人OBの某氏は3学年下なので「君付け」にしていたし、未だにそれで通している。だが、昨年久しぶりに会った時に彼を「君」と呼んで、何となく失礼ではないかと気が咎めた感があったりしたものだった。
私が未だ母校のサッカー部の非公式なコーチをしていた頃に、全日本代表が練習するグラウンドがないからと、あの砂埃が舞い立つ四谷のお堀のグラウンドを借りにきたことがあった。昭和30年代の全日本はこういう何となく寂しい存在だったことなど、現在では想像も出来ないだろう。その中に弟の慶応の下級生だった選手が2名いて、何を差し置いても(私の好みではない表現だが)先輩である私に挨拶に来て、我がサッカー部の学生たちは「コーチが如何に偉いのか」を知らしめたのだった。私はこういう先輩・後輩関係は尊重しても、決して好みではないのだ。
それは、既に述べたことで、私が先輩対後輩の間柄を尊ばないようになったのは、年齢や性別による差別というが区別をしていないアメリカのビジネスの世界に20年以上も在籍して、そのアメリカ文化の方が私には居心地が良かったからに他ならない。だからこそ、我が国独特の文化であり習慣である年功序列であり、年長者を先輩として敬う世界というか仕組みに今更戻って行きたくはないと思うようになったのだ。アメリカは「実力の世界」の如くに考えておられる向きもあるだろうが、必ずしもその通りではないのが実態で、この件は別の機会に解説する。
あの神奈川県下を大騒ぎさせた逃亡犯の小林誠が神奈川県下で泊まり歩けていたのは、泊めた者たちが「先輩の要請を断り切れなかった」と報じていた。私はアメリカの影響もあって「自分とは異なる分野で十分に活躍して実績を挙げておられる方が、仮令私よりも年下であっても私は先輩面をするべきではない」と思っている。解りやすく言えば、我が国の伝統である「先輩対後輩の間柄」をこの期に及んで、自分から尊重しようとは思っていないということ。