USJとTDRの再開場が大歓迎されている:
我が国では何故かこの略号で遍く通用しているようなので、私も真似してみているのだ。こういうアメリカ式の大仕掛けな遊園地が大受けしているようだ。実は、私は両方とも国内では行ったことがないし、老い先短いこれからの人生で行こうとも行きたいとも思わない。だが、アメリかでは両方とも経験していたのだった。「何だ、それでは興味があったのではないか」と言われそうだが、そういう事情で行った訳ではなかった。
思い起こせば、1975年3月に転出したばかりのW社の我が事業部のアメリカ全土と言えば大袈裟だが、方々にある営業所、工場、研究所等に顔見せの旅をしているときのこと。、偶々カリフォルニア州のアナハイムで土・日の休みにぶつかった。そこで、地区の営業所が予約していてくれたモーテルがディズニーランドに近かっただけのこと。だが、さして関心がないままにホテルのコンシエージュ(conciergeだが、フランス語読みでは「コンシェルジュ」で接客係のこと)に「何か良い暇つぶしは」と尋ねて教えられたのがユニバーサルスタジオだった。前売り券もその場で買えた。
多くのホテルを回っているバスが来るというので、気楽に出掛けて見た。面白いことは面白かったが、その規模にはやや圧倒された。第一印象では「何だこれは。壮大なる子供騙しの遊園地ではないか」だった。だが、多くの見世物を回っている間に「もしかして、これは大仕掛けな大人騙しの遊園地では」と感じるようになって「此もアメリカを知る良い経験か」と受けとめてホテルに戻った。そこでふと考えて「斯くなる上は明日の日曜日には目と鼻の先にあるディズニーランドにも行ってみよう」と決めた。
歩いて行ったかシャトルバスの類いを利用したかについては、如何に私が誇る記憶力でも45年前の事は定かではない。入場券売り場を見ると“guided tour”という案内人がつく方式があって、この券を買うと幾つかの所謂「アトラクション」が待ち時間なしで見られるとあり、それを利用することに決めた。ガイドさんはうら若き女性で何よりも嬉しかったのは、私とそう変わらない身長の美女だったこと。ここでの数時間の発見は「ユニバーサルスタジオを遙かに凌駕する壮大な大人も十分に楽しめ且つ騙される大仕掛けな遊園地だ」という事。換言すれば「もう一度来ても良いか」となる。
その「もう一度」は1978年にやって来たが、舞浜ではなくえアナハイムでだった。それは、アナハイムにある大展示場で“Food & Dairy Expo”(通称“Dairy Show”、酪農ショー)が開催され、我が事業部は展示会社として牛乳その他の食品包装用の製品と原紙を展示してしていた。このショーは月曜から金曜まで開催され、私は日本から来られるお客様のご案内役として、5日間朝10時から午後5時まで立ちっぱなしの勤務だった。そのショーの出品者用に、何とディズニーランドが一晩無料開放され、我々は展示社のバッジ(名札のこと)を見せるだけで入場出来たのだった。
未だそれほどアメリカ慣れしていなかった私は「なるほど、流石にアメリカだな。やることの発想が違う」としきりに感心した。そして、皆であれやこれやと回って、スペースマウンテンだったかでは良い歳をした大人がキャーキャー言って楽しんだのだった。中には、私に“Gaijins are noisy.”だと思っているだろうという者までいたほど、彼等は思いきり大声を出して楽しんで見せていた。正直に言って「何かが違う国に来たものだ」と痛感させられていた。とは言え、アメリカを知る貴重にして良い経験の一夜だった。
この他にも、デイズニーランドの経験があった。それは、当時カリフォルニア州の東側の奥に我が事業部の紙器加工の工場があった頃のこと。この工場を見学したいお客様が何としてもデイズニーランド・ホテルに泊まってみたいと主張され、本部から予約を取って訪れた。1980年代になっていたかいないかの頃だった。フロントデスクに行って驚いたのは、受け付けるのは現金のみでクレデイットカード払いはお断りだとニベもなく宣告されたこと。後で聞けば、お客は放っておいても来るから強気なのだそうだ。アメリカでカード払いを認められなかった経験はここだけ。だが、今はどうなっているかなど知る由もないが。
テレビのニュースで舞浜のTDR盛況を見せられて、図らずも45年も前のことを思い出させて貰えた次第だ。因みに、カリフォルニア州アナハイムには、二刀流などと、あたら大谷翔平の才能を浪費しているとしか思えない“Angels”のホームグラウンドがある。
我が国では何故かこの略号で遍く通用しているようなので、私も真似してみているのだ。こういうアメリカ式の大仕掛けな遊園地が大受けしているようだ。実は、私は両方とも国内では行ったことがないし、老い先短いこれからの人生で行こうとも行きたいとも思わない。だが、アメリかでは両方とも経験していたのだった。「何だ、それでは興味があったのではないか」と言われそうだが、そういう事情で行った訳ではなかった。
思い起こせば、1975年3月に転出したばかりのW社の我が事業部のアメリカ全土と言えば大袈裟だが、方々にある営業所、工場、研究所等に顔見せの旅をしているときのこと。、偶々カリフォルニア州のアナハイムで土・日の休みにぶつかった。そこで、地区の営業所が予約していてくれたモーテルがディズニーランドに近かっただけのこと。だが、さして関心がないままにホテルのコンシエージュ(conciergeだが、フランス語読みでは「コンシェルジュ」で接客係のこと)に「何か良い暇つぶしは」と尋ねて教えられたのがユニバーサルスタジオだった。前売り券もその場で買えた。
多くのホテルを回っているバスが来るというので、気楽に出掛けて見た。面白いことは面白かったが、その規模にはやや圧倒された。第一印象では「何だこれは。壮大なる子供騙しの遊園地ではないか」だった。だが、多くの見世物を回っている間に「もしかして、これは大仕掛けな大人騙しの遊園地では」と感じるようになって「此もアメリカを知る良い経験か」と受けとめてホテルに戻った。そこでふと考えて「斯くなる上は明日の日曜日には目と鼻の先にあるディズニーランドにも行ってみよう」と決めた。
歩いて行ったかシャトルバスの類いを利用したかについては、如何に私が誇る記憶力でも45年前の事は定かではない。入場券売り場を見ると“guided tour”という案内人がつく方式があって、この券を買うと幾つかの所謂「アトラクション」が待ち時間なしで見られるとあり、それを利用することに決めた。ガイドさんはうら若き女性で何よりも嬉しかったのは、私とそう変わらない身長の美女だったこと。ここでの数時間の発見は「ユニバーサルスタジオを遙かに凌駕する壮大な大人も十分に楽しめ且つ騙される大仕掛けな遊園地だ」という事。換言すれば「もう一度来ても良いか」となる。
その「もう一度」は1978年にやって来たが、舞浜ではなくえアナハイムでだった。それは、アナハイムにある大展示場で“Food & Dairy Expo”(通称“Dairy Show”、酪農ショー)が開催され、我が事業部は展示会社として牛乳その他の食品包装用の製品と原紙を展示してしていた。このショーは月曜から金曜まで開催され、私は日本から来られるお客様のご案内役として、5日間朝10時から午後5時まで立ちっぱなしの勤務だった。そのショーの出品者用に、何とディズニーランドが一晩無料開放され、我々は展示社のバッジ(名札のこと)を見せるだけで入場出来たのだった。
未だそれほどアメリカ慣れしていなかった私は「なるほど、流石にアメリカだな。やることの発想が違う」としきりに感心した。そして、皆であれやこれやと回って、スペースマウンテンだったかでは良い歳をした大人がキャーキャー言って楽しんだのだった。中には、私に“Gaijins are noisy.”だと思っているだろうという者までいたほど、彼等は思いきり大声を出して楽しんで見せていた。正直に言って「何かが違う国に来たものだ」と痛感させられていた。とは言え、アメリカを知る貴重にして良い経験の一夜だった。
この他にも、デイズニーランドの経験があった。それは、当時カリフォルニア州の東側の奥に我が事業部の紙器加工の工場があった頃のこと。この工場を見学したいお客様が何としてもデイズニーランド・ホテルに泊まってみたいと主張され、本部から予約を取って訪れた。1980年代になっていたかいないかの頃だった。フロントデスクに行って驚いたのは、受け付けるのは現金のみでクレデイットカード払いはお断りだとニベもなく宣告されたこと。後で聞けば、お客は放っておいても来るから強気なのだそうだ。アメリカでカード払いを認められなかった経験はここだけ。だが、今はどうなっているかなど知る由もないが。
テレビのニュースで舞浜のTDR盛況を見せられて、図らずも45年も前のことを思い出させて貰えた次第だ。因みに、カリフォルニア州アナハイムには、二刀流などと、あたら大谷翔平の才能を浪費しているとしか思えない“Angels”のホームグラウンドがある。