新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

ユニバーサルスタジオジャパンとデイズニーランドの再開場が大歓迎されている

2020-07-05 14:55:22 | コラム
USJとTDRの再開場が大歓迎されている:

我が国では何故かこの略号で遍く通用しているようなので、私も真似してみているのだ。こういうアメリカ式の大仕掛けな遊園地が大受けしているようだ。実は、私は両方とも国内では行ったことがないし、老い先短いこれからの人生で行こうとも行きたいとも思わない。だが、アメリかでは両方とも経験していたのだった。「何だ、それでは興味があったのではないか」と言われそうだが、そういう事情で行った訳ではなかった。

思い起こせば、1975年3月に転出したばかりのW社の我が事業部のアメリカ全土と言えば大袈裟だが、方々にある営業所、工場、研究所等に顔見せの旅をしているときのこと。、偶々カリフォルニア州のアナハイムで土・日の休みにぶつかった。そこで、地区の営業所が予約していてくれたモーテルがディズニーランドに近かっただけのこと。だが、さして関心がないままにホテルのコンシエージュ(conciergeだが、フランス語読みでは「コンシェルジュ」で接客係のこと)に「何か良い暇つぶしは」と尋ねて教えられたのがユニバーサルスタジオだった。前売り券もその場で買えた。

多くのホテルを回っているバスが来るというので、気楽に出掛けて見た。面白いことは面白かったが、その規模にはやや圧倒された。第一印象では「何だこれは。壮大なる子供騙しの遊園地ではないか」だった。だが、多くの見世物を回っている間に「もしかして、これは大仕掛けな大人騙しの遊園地では」と感じるようになって「此もアメリカを知る良い経験か」と受けとめてホテルに戻った。そこでふと考えて「斯くなる上は明日の日曜日には目と鼻の先にあるディズニーランドにも行ってみよう」と決めた。

歩いて行ったかシャトルバスの類いを利用したかについては、如何に私が誇る記憶力でも45年前の事は定かではない。入場券売り場を見ると“guided tour”という案内人がつく方式があって、この券を買うと幾つかの所謂「アトラクション」が待ち時間なしで見られるとあり、それを利用することに決めた。ガイドさんはうら若き女性で何よりも嬉しかったのは、私とそう変わらない身長の美女だったこと。ここでの数時間の発見は「ユニバーサルスタジオを遙かに凌駕する壮大な大人も十分に楽しめ且つ騙される大仕掛けな遊園地だ」という事。換言すれば「もう一度来ても良いか」となる。

その「もう一度」は1978年にやって来たが、舞浜ではなくえアナハイムでだった。それは、アナハイムにある大展示場で“Food & Dairy Expo”(通称“Dairy Show”、酪農ショー)が開催され、我が事業部は展示会社として牛乳その他の食品包装用の製品と原紙を展示してしていた。このショーは月曜から金曜まで開催され、私は日本から来られるお客様のご案内役として、5日間朝10時から午後5時まで立ちっぱなしの勤務だった。そのショーの出品者用に、何とディズニーランドが一晩無料開放され、我々は展示社のバッジ(名札のこと)を見せるだけで入場出来たのだった。

未だそれほどアメリカ慣れしていなかった私は「なるほど、流石にアメリカだな。やることの発想が違う」としきりに感心した。そして、皆であれやこれやと回って、スペースマウンテンだったかでは良い歳をした大人がキャーキャー言って楽しんだのだった。中には、私に“Gaijins are noisy.”だと思っているだろうという者までいたほど、彼等は思いきり大声を出して楽しんで見せていた。正直に言って「何かが違う国に来たものだ」と痛感させられていた。とは言え、アメリカを知る貴重にして良い経験の一夜だった。

この他にも、デイズニーランドの経験があった。それは、当時カリフォルニア州の東側の奥に我が事業部の紙器加工の工場があった頃のこと。この工場を見学したいお客様が何としてもデイズニーランド・ホテルに泊まってみたいと主張され、本部から予約を取って訪れた。1980年代になっていたかいないかの頃だった。フロントデスクに行って驚いたのは、受け付けるのは現金のみでクレデイットカード払いはお断りだとニベもなく宣告されたこと。後で聞けば、お客は放っておいても来るから強気なのだそうだ。アメリカでカード払いを認められなかった経験はここだけ。だが、今はどうなっているかなど知る由もないが。

テレビのニュースで舞浜のTDR盛況を見せられて、図らずも45年も前のことを思い出させて貰えた次第だ。因みに、カリフォルニア州アナハイムには、二刀流などと、あたら大谷翔平の才能を浪費しているとしか思えない“Angels”のホームグラウンドがある。


2020年6月の新宿区の人口

2020-07-05 11:22:38 | コラム
20年6月は528人の減少で347,014人だった:

20年の6月の新宿区の人口は減少傾向が続いており、対前月比△0.2%の347,014人となっていた。日本人が160人の減少で308,166人となった。特に目立った現象は外国人の減少が続いていたことで、5月の△1,003人ほどではなかったとは言え△368人で38,848人と、対前月比で△0.9%となっていた。全体に占める比率も11.2%と5月の12.3%大きく下回ったのだった。減少傾向が続くのはただ単に日本語学校が休校中だと言う以外に、彼等が何処か他の地区に引っ越したのかも知れないが、出入国が不可能な折から帰国できたわけでもあるまいと思っている。

外国人の減少は昨年12月から始まってきたが、7ヶ月間の合計で4,335人もの減少という結果になってしまった。日本語学校には彼等は再入国不可能だとは思うが、我が家の近所では1校だけ再会している学校があるのも不思議な気もする。この頃は徒歩10分ほどの大久保通りにも滅多に出掛けないが、何処に行っても韓国語が聞こえてくることは極めて希だ。それでもKoreatownはバスの中から見れば結構繁盛している。良く解らない現象だ。

6月というか今月に特筆大書すべき事は余り名誉ではないとしか思えない事で、遂に新宿区は世田谷区を抜いて新型コロナウイルス感染者数でダントツの23区の第1位になったことだろう。7月2日まででは728名だったが、昨4日の感染者数が131名だったことを勘案すると既に800名に迫っているのではないだろうか。因みに、第2位は世田谷区の539名、以下港区、中野区、練馬区と続くが、小池都知事が名指しした夜の街・豊島区は6位の241名である。

事情通によれば、「新宿区はこれも『夜の街』指定?を受けた、かの歌舞伎町が存在することが大きな要因になっている。だが、ここで働いているホステスもホストの大多数が近隣の百人町や北新宿と言うような深夜にも徒歩ででも帰宅可能な地域に住んでいることが感染者を著しく増やす原因になっている」とのことだった。当方は2006年の第1回目の心筋梗塞発症以降夜間の外出を避けているので、歌舞伎町で働く者たちに出会う危険性は低いと思うが、兎に角薄気味悪い地帯になってしまったと思っている。

私は新型コロナウイルス制圧対策を徹底することは絶対必要だと思っている。同時に(如何なる具体的な意味があるか解らないので困るが、多分景気を回復して経済を活性化させるという意味だろうが)「経済を回す」必要もまたあるとは認識している。だが、その為とは到底考えられない「夜の街」を活性化させることがそれほど肝要だとは思えない。ところが、緊急事態解除に続いて何の具体性もなかった「東京アラート」だかも解除すれば、馬鹿者じゃなかった若者が夜の街に繰り出してあの感染者増加に一役も二役も買ってしまう始末だ。外国人のせいではないようだ。

マスクの安売りにも触れておこう。一昨日慌てて外出してマスクの着用を忘れたのに気が付いて、目の前のイオンの食品スーパーにも置いてあったと思って駆け込んだ。不織布の製品が7枚入りで¥327だった。これは正規の販路と言うべき薬局で購入した日本製の物と同値段だった。だが、大久保通りとイスラム横町の価格は50枚一箱で¥1,000が当たり前で中には¥850すらあった。この国産の¥327が税込みであるから50枚に換算すると、¥2,000を遙かに超える。それでも、イスラム横町に山摘みされたマスクを買っている人を見かけたのは1度だけだった。当然の消費者心理か。

私は3月から本気で大事を取って大病院と掛かりつけのクリニック以外にはほとんど出ていかないようにしていたので、街中を観察して得る情報も限定的になってしまった。だが、どう考えてもその方が安全だと思うのだ。心なき輩が夜の街に彷徨い出ていては、何時まで経っても事態は改善されないと恐れている。私は橋下徹氏や東国原英夫氏が唱えられるように「特措法」の改正は急務だと思っている。だが、夜の街に自粛させて休業補償までするのは如何なものかと、密かに案じている。

参考資料:新宿区広報 令和2年7月5日号