新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月3日 その2 特措法の更なる改正が急務では

2020-07-03 15:43:09 | コラム
第2波の襲来か、若者の開放感の楽しみ過ぎか:

東京都の7月3日の感染者は124人と、昨日の107人をも超えてしまった。本音を言えば、都知事の格好だけを付けているだけの無策が原因ではと言いたい気にもなる。だが、悲観論者の私は状況はそんなに生易しいものではないのではと本気で恐れている。専門家と言われているお医者様の中には「200人超えもあり得る」と警告する方もおられるのだ。都知事は「夜の街」なる表現を案出されたが、歌舞伎町といい池袋といい、自粛し続けてきた若者だけではなく中年だった開放感を味合うべく「飲み且つ語り、歌いたい」のだろうと察しはつく。

私は緊急事態解除と何とかアラート解除も、ほとんど時期尚早の部類に入れたかったし、政府も東京都も自粛してきた人たちに向かって「夜に街に繰り出すのは勝手だが、飽くまでも節度を守って『外飲み』に徹して欲しい」くらいの要望を出しておいても良かったのではないかと思っている。私自身が何十年も外飲みをしてこなかったので気楽にきついことを言えるが、開放感を味合うにも限度が必要であると考えていた。更に「それは無理な相談だ」と言うくらいは解っていっているのだ。だが、繰り出した連中はもしかすると、その高い対価を払う羽目に陥るかも知れないのだ。

そこであらためて言えることは、橋下徹氏が繰り返し主張され、テレビに出演中の西村康稔大臣に真っ向から「早急にザル法である特措法を改正すべきだ」と語りかけて露骨にイヤな顔をさせたこの改正が焦眉の急になってきたと、あらためて痛感している。その時になってみれば、果たして西村大臣が杖とも柱とも頼っていたのかどうかも不明になった専門家会議は解散されてしまった。分科会にしてしまった。第2波が来るとは誰もが危惧していたことだが、来ているのかも知れない東京の状態を前にして、さてお手元不如意に陥った東京都が自粛要請即保証金支給とは行かないのだ。

元宮崎県知事・東国原英夫氏も可及的速やかなる特措法改正を主張し、各都道府県の知事に法的な権限を付与して、その管轄下における外出禁止なり外食業界や外飲み業界の営業停止を指示できる体制が望ましいと唱えている。基本的に橋下氏と同じ主張なのだが、国会が閉ざされていたのでは早急な改正は望めないと思う。だが、東京都の感染者の急増が検査数を増やした為だとかいうようなもので、言わば一過性なのかは断定できないと思うのだ。「本降りになって出て行く雨宿り」にしてはならない事態なのだ。

私が言いたいことは、今からでも早くはないので、第2波に備えた法的な仕組みを整えておき、要請するだけの状態から一歩を進める必要はあると思っている。尤も、東京の事態がそこまで深刻ではなくて、県境を超えた移動を禁止すれば済むような次元であれば良いのだ。だが、ここで然るべき手を打っておかないと首都圏だけの問題では済まないこともあると、西村大臣も都知事も十二分に配慮して置いて頂きたいと思う。私ならば、浅慮なと言いたい20歳台と30歳台の次代を担うべき年齢層に「自覚を持て、自重せよ」と厳しく警告するだろう。彼等は甘いと見ているから言うのだ。


言葉遣いに気をつけて英語を勉強しよう

2020-07-03 08:19:19 | コラム
アメリカ人の言葉遣いには真似をして貰いたくない点がある:

私はトランプ大統領の言葉遣いには品格に欠けるときがあり、アメリカ合衆国の大統領としては如何なものかなと思わせられている。彼の言葉遣いには大統領就任の前からスラング(slang)に分類しても良い言葉も多用されていたし、就任後では“swearword”まで使われていることもあった。

だが、以前に「言葉の分類」で指摘したように、“slang”とは「俗語」や「隠語」や「符牒」を言うのであって、必ずしも品格を問われるような性質ではないのだし、一流会社の社員でも普通に使っている類いの言葉で問題にする必要はない。

そのスラングも例を挙げて置くべきだろう。例えばアメリカ人は「簡単なことだよ」と言いたくて“It’s a cinch.”などと言うが、この“cinch”が俗語であり「簡単なことか、たやすいこと」を意味している。他には「警官」を“cop”と言うのは警官のバッジが銅、即ち“copper”で出来ているので、その短縮形で“cop”になったと聞いている。話は本題から外れが「ロボ・コップ」などという映画あったが、あれは“robot cop”であり、本当のアメリカ式発音では「ロウバット・カップ」なのだ。

では、どのような言葉遣いが好ましくないかと言えば、アメリカ人が頻繁に使う“I’m gonna ~.”であるとか、“You wanna ~.”という言い方だ。これは原形では“I am going to ~.”と“You want to ~.”である。私はこのような形で正しく使いこなせていない段階にある間には、こういう省略した形の表現を真似することは推薦できない。

このような言い方は「原形がどうなっているかを正確に承知できてから使うべきものであり、余程熟練するまでは飛び付くべきではない」と指摘しておく。多くのアメリカ人が使っているからと言って真似をして貰いたくないという事。即ち、そんな言い方をすると、それ以外の表現との釣り合いが取れずに「木に竹を接ぐ」ような形になって不自然なのだ。その点を十分に認識して貰いたいのだ。

他の例を挙げてみよう。私がある会合で 「“Me, too. ”はお薦めしない表現だ」と言ったところ、その場におられた文科省の官僚だった方が「ライシャワー大使だって使っておられた。構わないのでは」と、突っ込んでこられた経験がある。どうやらそれは私的な会合の場でのことだったらしい。それならば大使だって使われても不思議はないのだ。私の指摘は「英語を母国語していない者が、流暢に話せるようになっていない段階にある時に、native speakerが使ったからといって無闇に真似をするな」という点なのだ。

私が強調したいことは「正確な言い方が身に付いて、アメリカ人たちの中に入って私的な会話を楽しむ次元まで上達されたら話は違うが、英語で思うことを自由に言えるようにしようと勉強しておられる段階では避けたい言い方である」という点だ。なお、“Me, too,” を排除する理由は「文法的に見ればmeは代名詞の目的格であって、主語に立てるべきではない」からだ。私がこれまでに繰り返して指摘して来たことは「文法を誤ることは無教養と看做される」だった。典型的なアッパーミドルである私の上司の家庭では「駄目」と明確に指摘されたいた。

私が絶対に使うなと厳しく指摘するのは、適切な日本語の訳がないように思える“swearword”(「汚い言葉」とでも言うか)のことだ。少なくとも公衆の面前や公式の場で使うような言葉ではないと心得ておくべき言葉だ。この点も何度も指摘してきたことで、我が国では“slang”と“swearword”が混同されており、英語を教える側でもその識別が出来ていないと思う。

アメリカ人でも何処の国の者でも、「この言葉を乱用する者は知識階級ではない下層に属すると、自ら公言していると看做されても仕方がないこと」だ思っていて間違いない。また、“swearword”等はとても学校教育で教えられる代物ではないので、スラングと区別せよと言われても、我が国の学校教育で育った方々が識別するのは容易ではないと思う。

だが、swearword等はアメリカの映画でも音声が原語のテレビドラマでも、これでもかと言うほど乱発されているので、比較的耳には馴染んでいるので「これぞ格好が良い英語」と錯覚というか誤認されるのである。とんでもない誤りだ。現にカタカナ語には「「オーマイガー」などというのが出現している。思うに“Oh, my God!” のことなのだろうが、これぞ汚い言葉の範疇に入るので、「英会話」などで気楽に使ってはならない。品性と知性を問われるだろう。解りやすい例を挙げておけば “shit” や “hell” や、 “God damn” 等が典型的なのである。

トランプ大統領の「如何なものかな」と思わせられる言葉遣いは畏友YM氏との語り合いの場でも話題になった。それは、トランプ氏は少なくともアメリカ有数の私立大学でIvy Leagueの一角を占めるUniversity of Pennsylvaniaのご出身で、言わば知識階級であるエリートの1人のはずである。それにしては、困ったな言わざるを得ないのだ。YM氏と私の知る限りのビジネスマンや大学教授等には、彼と同様な言葉を公衆の面前で使う人はいるはずがないと思うから言うのだ。

トランプ大統領の為に弁護しておけば、彼の岩盤の支持層であると言われているプーアホワイト以下の層や、俗に言うラストベルトの労働者階級に向かって話しかけられているのであれば、あのような言葉遣いでないと彼等に理解して貰えないかも知れないし、親近感も感じて貰えないかも知れないのだ。要するに大統領は知的な階層に向かって語りかけてはおられないという事だと解釈している。

問題は「如何なる種類と次元の英語を目指すのか」が正しくて且つ綺麗な言葉遣いになる鍵なのだ。だが、どのような表現を使えばどの階層の人かを識別できるようになるのは、そう簡単ではない。社員が上司を選べないように、英語を学びたい者が正しく格調の高い英語を教えてくれる教師や(私は推薦しない)native speakerを選ぶこともまたほぼ不可能に近いだろう。

余程アメリカの英語に馴れていない限り、どれが真似をしても良い正調なアメリカ英語か、乃至は私はお薦めしない南部訛りかを聞き分けられないだろう。更に言えば、Queen’s Englishの本場であると思っているUKにはLondon cockneyのような訛りもあるし、その他にもオーストラリアやニュージーランドの独得の訛りをそれだと解る域には、容易には達しないものだ。その英連邦独得の訛りの特徴を私が屡々採り上げてきた例から挙げておくと、サッカーの貴公子David Beckhamは自らを「ダイビッド・ベッカム」と名乗っている。また、オーストラリアに行けは“I came here today.”を「アイ・カイム・ヒア・トウダイ」即ち“I came here to die.”のように発音するのだ。“Australia”は「オーストライリア」になってしまうことが多いのである。因みに、IOCのコーツ委員長はオーストラリア人なので、このような“a”を「アイ」のように発音されていた。

私が正調なアメリカの発音が出来るようになったのは偶々運が良かっただけだと自覚している。こういう事は何も英語だけに限られたことではない。国語、即ち日本語でも正しく教えていないと、現在のように「ら抜き言葉」が横行し、元の英語に意味とはかけ離れたカタカナ語が乱れ飛んでしまうように乱れてしまうのだ。

英語の場合でも「お里が知れる」ようにならないに十分に言葉遣いに気をつけて勉強することが肝腎なのだ。ここまでに挙げた「避けて欲しい言葉遣い」はほんの一例に過ぎない。私は学校教育でこそ、こういう点に十分に留意して教えて貰いたいものだと願っている。