新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月12日 その2 新宿区百人町に新しいホテルとレストランが

2020-07-12 14:49:59 | コラム
この街に不似合いな洗練されたホテルとレストランが:

7月4日から営業を開始したという Galois Hotelの1階には、 GAZEBO TOKYOというレストランも開店していた。我が家から精々徒歩で7~8分の距離だが、そこを超えて新大久保駅前まで出掛けたのが先月の23日だけだったので、両方とも開店(「オープン」なんているカタカナ語は使わないよ)していたとは、ついぞ知らなかった。本12日には来客もあったので、家内と共にこの街にホテルを開業するとは大胆なと思って、偵察旁々昼食に出掛けて見た。

GAZEBOに入って見て些か戸惑ったことは、とてもこの界隈にある食べ物屋とは全く異なる雰囲気で、案内したお客様の感想でも「タイ国のホテルのダイニングルームにでも入ったか」と感じたのだった。内装も綺麗だったし空調が効きすぎている感はあったが、ウエイトレスたちも確かにホテルのそれらしき雰囲気を醸し出していた。勝手に着席して良いと言うので、最も椅子が良いテーブルを選んだ。そこでメニューを貰えば、明らかにタイ風の料理が並んでいた。ランチは¥980(税抜き)と先ず先ず経済的だった。

しかしながら、店内を見回しても我々以外の客は2人だけ。丁度正午だというのに、明らかに「三密」ではなかったという、レストランにとってはお気の毒だが我々には安心出来る状況。しかも、天井に4台準備されているBoseのスピーカーからは綺麗なアルトサックスのソロで、“The Nearness of you”という久し振りに聴く曲が結構なアドリブで流れていたのには少しく感動。料理にはチャンとタイ米が使われていたし、タイの事情に明るいお客様は注文されたグリーンカレーには「現地の味が出ている」と評価された。

我々の中で意見が一致したことは「このホテルは以前はかなりな面積があった月極駐車場だったものを2年ほど前に潰してホテルを建てていたのだ。思うに、本来ならば来週には開始されていたはずのオリンピック需要を見込んだのだろうが、誰もが夢想だにしていなかった武漢ウイルスの襲来に遭って大いに予定が狂ったのだろう」という点だった。それのみならず、新宿区百人町は小池都知事様ご指定の「夜の街」代表格の歌舞伎町まで徒歩でも20分は要すまいという至近距離にあるという危険材料もあるのだ。しかも累計の感染者数では23区内の首位を独走している状態だ。

だが、お客様と私も「このレストランはこれから先に使えるな」と、ここでも意見の一致を見た。また、帰宅後に早速検索してみれば、GALOIS HOTELの室内は中々もので、宿泊代も確か最高値でも¥9,000程度だった。APA Hotelの元谷社長はこの業界にとっては最悪の状況下でも黒字を計上すると強気だが、このホテルとレストランがこれから先どうやって運営していけば無事に採算が成り立つのだろうかと、他人の疝気を頭痛に病みながら、天気予報通りに30度は超えていただろう暑さの中を帰宅したのだった。


私だけの英語勉強法

2020-07-12 10:52:10 | コラム
英語を話すときには使う筋肉が違う:

この際、私自身の為にも永年主張し続けて来た「私だけの勉強法」を総括してみようと思うに至りました。勝手な言い分で恐縮ですが、暫くお付き合い下されば幸甚です。恐らく、こういうことを言っているのは私だけだと思うですが、偉そうに言えば「こういう考え方をしない方々がどれほど成功していたのかな」となります。

英語の発音:
私が幸運だったのは昭和20年(1945年)という戦時中に入学した神奈川県立湘南中学で最初に出会った英語の先生は、何と外見は全く白人そのもので、当時は「合いの子」と言われていた人でした。その先生は今にして思えば完璧なアメリカ式発音を教えられ、それまでに敵性語の英語に接したことがなかった私は素直にその真似をして、それがまた上手く行って褒められたので、嬉しくなって真似をし続けました。それが後になって非常に良い結果を生むのです。アメリカ人たちには「君の英語の発音は”clarity“は特徴だから、そこは維持するように」と言われました。

正直に言えば、私は我が国の英語教育の数ある欠点の中の一つに「発音」があると主張してきました。その意味は先ず「ローマ字式の発音」であり「子音で止める発音が出来ないこと」なのです。因みに、韓国語には「子音止め」があります。そういう発音で育ってきた方々が英語教師になって教えるのですから、「外国人離れした発音」になるのは防ぎようがないと思うのです。それに加えて、私が知る限りの同胞で“th”、“a,e,i,o,u”に“r”が続く発音が出来ていない人がほぼ100%だと経験上も言えます。“f”や“v”も“w”も出来ていません。いえ、教えられていないのでしょう。

だから native speakerを連れてきて教えて貰えば良いというのは、物事が解っていない暴論です。私の持論では「日本までやって来て英語を教えて生活しよう」などと考える輩は本国における食い詰め者と見て良いだろう。そういう好い加減な外国人教員を約2校の大学で見かけました。まともな者であれば、自分の国でチャンとした職にありつけるはずです。私は我が家の近くでそういう不埒な若いアメリカ人の夫婦に出会って、「外国人に英語を教える資格を持っていないとは犯罪的だ。この場からそのケースを引っ張って成田に行って帰国しろ」と怒鳴ってやったことがありました

私はWeycoに移って頻繁にアメリカに出張するようになって気が付いたことが、何点かありました。その一つが“th”の発音をするので舌の先が痛くなったこと、“f”と“v”の為に下唇が腫れてきたこと、“w”の発音で口が横に広がると言えば大袈裟ですが、頬の筋肉が疲れてきたというような現象です。即ち、明らかに日本語とは異なる顔の筋肉を使うのが英語の(正しい)発音なので、馴れてくるほどに、終戦直後あれほど嫌っていた所謂「二世面」になっていったのでした。これは、1990年代に近くなった頃の写真を見れば明らかでした。

しかし、全く英語を話す機会などない今では、完全に日本人の顔に戻りましたが、英語が話しにくくなったのも確かです。その点を強調する意味で、私は「英語の発音を綺麗にしようと思えば、顔の筋肉のトレーニングが必要だ」と言うのですが、その意味は先ず理解されませんでした。当然のように、「そこまで配慮しなくても話が通じれば良いじゃないか」と反論する方はおられます。その方とは敢えて議論はしません。私のもう一つの主張は「発音が綺麗で正確なことは、七難隠す」なのですから。それは「聞いている方に好印象を与える」と確信しているからです。要するに「発音は綺麗で正確になるように努力しよう」ということです。

今回はここまでにして、次回は「英語の品格」と「無意識の非礼を犯さないないよう」辺りに触れてみたいと思います。