新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月28日 その2 安倍内閣の新型コロナウイルス対策に思う

2020-07-28 16:12:13 | コラム
疑問を感じる未曾有の危機とも言える国難への対応策:

私は幸か不幸か、我が国は“SARS”にも“MERS”にも襲われていなかったので、世界的(と言うのも変だが)な感染症は精々流行性感冒(アホなマスコミは「インフル」などという間抜けな略語を作ったが)くらいへの対応を経験してこなかった。そこに、この中国は武漢から発生した新型コロナウイルスの大流行に襲われたのだから、真っ向から対応する術を誰も知らなかった。その状況下で我が安倍内閣は立派に対応してこられたと思う、多くの手段が「後手・後手、継ぎ足し方法」であった点を除けばだが。

本28日も国立国際医療研究センターで循環器科に定期診断に行ってきた。帰路に昨日も採り上げた新宿区指定のPCR検査場の状況を遠くから眺めてみた。昨日の半数ほどの列が出来ていた。並んでおられるという事は、開業医の先生方等の紹介状があるのだろうから、感染は止まっていないと感じた。循環器科の主治医の医長先生は「感染の勢いは十分に危険だと言えるので、これまでの行動範囲から逸脱しないよう十分な注意を」と警告された。帰路にこの病院の各科の先生の掲示板を見れば、感染症センターの医師の数が激増していたように見えた。

今日までの所、野党とマスコミ連合軍は安倍内閣の対応を不行き届きを責め続けて来たかの感が否めない。だが、私は上記のように結果的には立派な対処で、死亡者が少ないことなどはかのWHOのテドロス如きさえ認めていたではないかと思っている。私は今後より一層対応の質を上げていくとすればというか改善すべき点は、西村と加藤の両大臣にあると断じて良いと考えている。2人の問題点は「未曾有の危機に際して、覚悟を決めて当たっていく以外に道はないという固い決意のほどが見えない点なのだ。

全てに対して役所の事務処理のようにしか対応できないのだ。彼等2人がやって来たことは、語弊があると承知で言うが「事務屋」の仕事ぶりである。そつなく処理すれば、後は部下が善処するか進めるだろうという態度が見え見えだ。でなければ加藤厚労相のように「誤解だ」とシレッとして言えるのだ。自分の命令を理解できなかった現場と国民のせいにしたのだ。総理はあの言動を叱責されて然るべきだろうと信じている。

これは「彼等が我が国の最高の官庁である大蔵省と通産省での経験しかなかった為に『如何にして利益を最大化して、損失を最小限に止め、クレームを如何に売り手買い手が納得できるように最大限の努力と熱意と良心で当たっていくか』と言うな『切った張った』の実務の世界を全く知らなかった為に、未知の分野では力を十分位発揮できていない」という状況を作り出したのだと思っている。その意味では小池都知事の振る舞いも評価に値せず、反省と改善材料だらけだと断じて誤りではないと思う。

言いすぎだと非難されることを覚悟で言えば、彼等に欠けている点は危機に対処するに際して「自分が火の粉を浴びるのを覚悟で火中に突っ込んでいくだけの、危機管理対策と腹の決め方が分かっていない」という点にあると見ている。特に小池知事は何か標語のような言葉を創り出せば、そこから先は西村康稔大臣以下か以上が慌てて対応するだろうとすら目論んでいるかのようにしか見えない。要するに東京都知事として当事者意識に乏しいのだ。

自慢話と受けとめられても結構だが、私は1975年にW社に転じて以来初期の7~8年間は小・中・大の品質問題のクレームに遭遇し、その処理の忙殺されていた。そこにはアメリカの労働力の質も問題もあるが、我が国の世界にも希な厳格さで細かい点までゆるがせにしない品質の受け入れ基準に対して、アメリかでは何事でも大雑把で、大量に生産して販売出来れば良いし、消費者の受け入れ基準もまた極めて寛容で、機能さえ果てしてくれればそれで満足という態勢だったので、我が国のような世界一厳格な市場には到底通用しないような製品が多かったという意味だ。

そこで私が散々苦しんで先ず学んだことは「補償問題は逃げれば何処までも追いかけて来るのだ」と言う如何にも厳しい教訓。それは、恰もラグビーのように「頭を下げて突進して相手に当たる」以外に解決法がないので、タックルするのが怖いと言っていたら前に進まないという事。但し、如何なる姿勢で当たれば、トンネルの先にあるはずの光が見えるかを承知していないと、誤ったカタカナ語で言えば「ウインーウイン」状態には絶対ならないという事。嫌みになるかも知れないが、両大臣には「会社の存亡をかけた事故処理」の経験などなかっただから、責任回避と逃げ腰になると見ている。

多くの専門家やジャーナリストやお医者様たちが指摘しておられるように、我が国にはアメリカのようなCDCのような機関がない。何も西村と加藤の両大臣だけに言うことではないが、それならば「俺が中心になって司令塔の役をやってやろう」というような、もしかすると最悪の貧乏くじを引く気がある気概を何処かの誰かが見せて欲しいのだ。何かと言えば「専門家に伺って」と言っているような政治家には任せておけないと、心の底から危惧している。「我々は国費で雇われている」という責任感を示すべきだ。

MLBは大谷翔平の才能を浪費している

2020-07-28 08:38:47 | コラム
投手・大谷翔平の投球には腕にも身体にも力が入っていなかった:

この期に及んでも我が親愛なるマスコミは、未だに無用な鳴り物を入れて、「二刀流・大谷翔平」復活を持ち上げて空疎な空騒ぎを続けている。彼が投手に自信を持てていないことは、エンジェルス側がそうしているのかも知れないが、遠距離のでの「プレイ・キャッチ」(to play catch)が英語の表現)しか見せず、本格的な投球練習も撮らせていないことからも解りそうなものだ。悪条件が重なって投手としての練習は不十分だったのだろうと、私はあの報道振りからでも安心出来ていなかった。

果たせるかな、あの2年何ヶ月ぶりかの公式戦での投球の結果は、我が国の報道とは比較にならないほど無残だったと見た。第一に腕の振りが全く遅いというか最初から力を入れ切ってしまったとしか見えず、肝腎の「リリース」(という言葉を使うが)の時にはもう加える力残っていないのでデレンとした棒球になっていたと見えた。あれではMLBは愚かNPBでも通用しないだろう。それに力みすぎか力が出ないのか、身体の動きに全く躍動感がなく、彼も認めたとおりに只投げているだけのキャッチボールの延長だった。あの状態の投手を後1週間空けてまた使って結果が出るか?

冷静な評論家を自認する私には、不十分なというか投手としても打者としても不十分な仕上がり方でシーズンに入ってしまったとしか見えなかった。あるいは、投手・大谷翔平は未だトミー・ジョン手術の後遺症から精神的乃至は心理的に十分に回復し切れていないのではないか。でなければ、あのような恐る恐るの投球はしないだろうし、肘を曲げていたかにさえ見えてスピード感がない腕の振りをしていなかっただろう。打者としても決して精神的に自信を持てるほど復活しておらず、あの好機での見え見えのインサイドの落ちる明らかななボール球を見送れずに無残な空振り。

私がマスコミならば、暫く大谷翔平のことを放っておいてあげて、十分に投手か打者の何れかで回復するまで黙っているだろう。だが、球団側は客寄せ何とやらで獲って無謀な二刀流で売り出した以上、「駄目だ」と見切りがつくまで使いたがるだろう。だから私は「二刀流」なる愚策は止めるべしと最初から指摘して来た。張本勲だった投手として使いたがっていたではないか。ではあっても、MLBは相撲以上に強烈な興行を生業としている営利事業であるから、売り物になる間は使うだろうが、見切るのも早いのがアメリカの経営の怖いところだ。そういう視点で見ているべきだ。