新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月4日 その2 無駄な抵抗になると承知の上で言うが

2020-07-04 14:09:49 | コラム
カタカナ語排斥論者の嘆きと密かな怒り:

今回も私独得の「我が国の英語教育批判でもあり、何処を改革したらより実用性が向上するかの提言でもあるのだが、件名のように無駄な結果に終わるだろう」と承知はしている。でも言っておきたいのだ。

このところというか、近頃は安倍首相を始めとして政治家に加えてマスコミというか評論家や著名人がしきりに使われるカタカナ語に「ウインウイン」がある。あらためて言うまでもないが、その意味はジーニアス英和にもあるように「(交渉などで)双方が満足できる」ことだ。カタカナ語になっている「名詞形」ではない。それによって生じるだろう困ったことは元の英語になったときには名詞としては使えないという点だ。

それは、Oxfordには“win-win”は“only before noun”であって「名詞の前に置く形容詞である」となっていることだ。我が国の嘆かわしきカタカナ語では、99.9%が名詞として使われている。だが、私以外には何方もその誤りを指摘しないのだ。思うに「総理大臣も使っておられるから真似ても良いのだろう」と誤認識している人が多いのではないか。とんでもない誤解だ。

私はカタカナ語排斥論者だが「誤用されているカタカナ語をどうお使いになろうとご随意に。但し、それは本当の英語とは異なる意味で使われていて、我が国で何処かの通信社が創り出したか、先人が苦心して編み出した純粋の日本語として普及させたのであるとお心得を」と言って来た。だから、件名は敢えて「無駄な抵抗」としたのだ。遺憾ながら、私がどう言おうと状態は好転しないだろうという嘆きである。

私は「我が国でカタカナ語を濫用するか、創り出す方々の語彙の広さには尊敬すべき点があると思っている」とも永年指摘してきた。私はお恥ずかしながら、22年以上もアメリカの会社の一員として働きながら、こういう表現があるとは承知していたが“win-win”などという難しい表現を使う機会などなかった。使えた記憶がある表現は“It appears we are in a no-win situation.”だけだった。これは当に“win-win”とは反対の遣い方で「決して勝つ見込みのない」か「うまくいきそうにない」とジーニアス英和に出ている。

しかも、“win-win”の遣い方としてチャンと“situation”という名詞の前で使って「双方共に満足できる状況」という意味なる“a win-win situation”という例文まで掲載されていた。

もうこれくらい言っておけば十分に解って下さる方もおられるだろうと希望的に考えている。何処かで誰かが格好が良いと思ってカタカナ語を幾ら使っても私の知ったことではない。だが、“win-win” は形容詞であって名詞の前に置くべき表現であることくらいは、政治家もマスコミの方々も知っていなければならないのである。

いや、学校教育の何処かで英語の言葉や表現を恣意的にカタカナ語にした場合の、英語での本当の意味や正しい遣い方くらいを教えておくべきなのだ。この程度が我が国の科学としての英語教育の輝かしくない成果では、情けない極みではないか。この程度の基本的なことが解っていないような政治家が、いや文科省が「小学校3年から英語を英語専門ではない先生方に英語を教えさせようというのも、とんでもない誤りである。本当に困ったものだ」と、私は怒り、且つ嘆いているのだ。


日本はアメリカと中国の何れに与するのか

2020-07-04 09:57:21 | コラム
3日のPrime Newsより:

いきなり本筋から離れるが、今日が7月4日だと気が付いて“July 4th”だったことを思い出した。言わずと知れたか、あるいは元はと言えば彼らの一員だった私が思い出せねばならなかったアメリカ合衆国の独立記念日だった。時差から言えば現地では日本時間で明日のことだが、恐らく建国以来初めてだろうと思えわれるCOVID-19に苛まれている時期にあるだろう。早期に制圧対策を目に見えるような効果が発揮されるように何とかして推進して貰いたいものだ。

細川昌彦中部大学特任教授:
昨夜はご信頼申し上げている細川昌彦中部大学特任教授が出ておられたので、大いに期待して聞いていた。因みに、他のゲストは元農水相・斉藤健氏(東大→ハーバード大学修士→経産省出身)と東洋学園大学朱建栄教授(単なる中国共産党と習近平主席の拙い代弁者に過ぎない存在)だった。何れにせよ、学ぶところが大いにあった番組だったが、その中から個人的に「この点は」と特に感じたことを採り上げておこう。

「反省」:
先ずはここから。過日、安倍総理の確か新型コロナウイルスについての記者会見の場で外国人記者が調子外れとも感じた「日本はアメリカと中国の対立激化の最中にあって何れに与するのか」と質問したことの関連である。総理は日本語の典型的な表現で、アメリかではあると思わせる言い方はされたが、アメリカ式の二者択一的な「何れか」を断言することは巧みに回避されたと聞こえた。不勉強にしてあの答弁がどのような英語になって本国に送られたかは知らないが、余程日本語の「頁の裏まで読む」ような解釈に熟達していないとあの記者は苦労されただろう。

その件について細川教授の解説を聞いていて大いに反省したのだった。「同盟国である我が国が如何に国内の方々に媚中派が多くても、中国に靡く訳がないのに」としか考えられなかったのは大間抜けけだったと、思い出さされたのだった。即ち、総理はその前か後かは記憶もないが「中国依存しているサプライチェーンなるものの改革をして、生産拠点を他国に移す計画である」と述べておられたのだった。それは言うまでのなく武漢封鎖で悩まされた自動車部品であり、アメリカまでを脅迫した薬品であり、8割りも依存していたマスクがあったのだ。この点は本日の産経抄にもあった。

「日本はアメリカと中国の何れを」:
恥を覚悟で言えば「あの外国人記者はその点を衝いたのだった」と今頃思い出させてくれたし、あらためて認識させてくれていたのだった。イヤな国を相手にしていると思い込んでいると、これほど明白なことでも考えつかなかったことは「老化」だけでは言い訳にもなるまいと大いに反省していた。細川教授は指摘されていたが、あのレアアース供給中断という厭がらせを想起すれば「サプライチェーンの改変などをやりたければやってみろ」という姿勢があの受注分のマスクの出荷を封鎖したこと処置からも読めてくることだった。

中国の半導体製造:
次は半導体である。これも細川教授の説明だった。それは「中国は武漢に5兆1千億円を投じて自前の製造設備を建造中で、その設営、部材、技術等の関連に、我が国がチャーター便で帰国させた600名だったかの半数の邦人がこの半導体関連に勤務する技術者だった」との解説だった。半導体関連の我が国の予算が1千億円台であると比較するときに、その中国の集中度が違うのは明らかだ。中国は半導体を国内生産に切り替えるのが狙いであるのは当然だが、

アメリカはこれに対応すべく既に手を打ってあり「生産する機械がアメリカ製であれば輸出禁止で、他国も輸入するな」と縛ってあると言われた。これには台湾の最精鋭のアメリカ製の器機が入っているTSMCだったかも該当するのだそうだ。私がお寒いなと痛感したことは、300人もの我が国の技術者が武漢に勤務していたことだ。彼等は現時点では帰任しようがないだろうが、中国は呼び戻したいのだろう。

この形は嘗て何度も採り上げていたサムスンが我が国の技術者を高給で引き抜くか、土日勤務で勧誘し、技術を吸い上げては切り捨てていた一件を想起させられた。彼等はやることがえげつないし阿漕ではないか。サムスンの件は先頃親しい友人である既に某多国籍企業の副社長を引退されている人物に尋ねて見れば当然承知していたし、「我が社からもいっていた」と語っていた。実は、この件は10年ほど前だっただろうか、YM氏から聞かされていた。だが「本当にそんなことがあるのか」と驚きを以て聞いていた。

通産省出身者:
斉藤健氏と細川教授の間柄が微妙で興味があった。私はこの今では61歳になられている斉藤氏が農水相に着任されたときには「この人物は自民党内でも良く切れる方に入るのではないか」と評価していた。だが、それ以降ほとんどその名前を聞いていなかった。昨夜の対中国関連の情報の発言を聞いていると、確かに衆議院議員としては良く全体を把握しておられるなと思わせるだけの広がりはあるが、それだけに浅く、随所で何期か上だったのだろう細川氏に補足説明や実態を解説されてしまった。

換言すれば経産省OBである細川教授の情報網が未だにどれほど広く深く活優れていたことが解った。私が「?」と感じたことは、細川教授がずっと斉藤氏を「斉藤先生」と呼んで配慮されていた点だった。相手が年下の者でも議員ともなれば、そこまで気を遣うものかと思わせられた。

朱建栄教授:
同様に、朱建栄教授の中国の立場を何とか擁護し強調する発言も、細川教授が笑って穏やかに訂正して行かれた。朱健英教授の発言で最も興味を惹かれたのは「中国政府が香港安全法を施行したのは香港の一国二制度を武力その他で保護しようとするのではなく、この新法の下で合法的に穏やかに守っていくためだ」という辺りだった。これについて私が何か云々する必要はあるまい。この方は東洋学園大学で何を誰に教えておられるのだろう。博士号は学習院大学で取得しておられるそうだ。

参考資料:Wikipedia