矢張り“baseball”と「野球」の違いを見る気がした:
本日も長引く梅雨に降り籠められる一方で、広範囲に感染の勢いを増してきた感が濃厚なコロナウイルスに足止めされて、何をする訳にも行かずにボンヤリとテレビを見ていた。途中で気が付いてNHKのBSで大谷翔平も在籍するLAエンジェルス対オークランド・アスレティックス(A’s)の野球を見ることにした。暫く振りのアメリカの野球観戦だったので「矢張りかなり彼らの野球に対する考え方が違うな」とあらためて痛感させられた次第だった。
結果だけ先に言ってしまえば、A’sがタイブレークとなった延長戦で満塁ホームランでサヨナラ勝となったのだった。A’sがサヨナラ勝ちするだろうという閃きはあったが、まさか満塁ホームランとまでは考えていなかったので「矢張り彼等は身体能力に優れているなというか『パワーがある』と言う間違ったカタカナ語で表現するべきか知らないが、一死満塁でいともアッサリと勝負に出て行くところにMLBらしさ」を感じていた。打った者の名前は失念したが、打っていったのは初球だった。NPBだからあのような場面でいきなり打ちに行くのだなとも考えていた。
そこで、大谷翔平君である。私は日本ハムの栗山監督が彼を二刀流とかいう奇妙な形に持っていったところで「あたら我が国の運動選手として最高級の素材の能力の無駄遣いだ」と言ってきた。その才能の無駄遣いを物を知らない我が親愛なるマスコミは、褒め称えて騒ぎ過ぎ持ち上げ過ぎた。私の持論は「マスコミに持ち上げられすぎた選手には明るい未来はない」なのである。故に、安い年俸で二刀流まで引っ提げてアメリカのMLBに行ってしまった大谷君の将来の展望は明るくないと見ていた。それかあらぬか、肘のトミー・ジョン手術となって投手・大谷翔平は1年を棒に振った。
本日久しぶりに見た3番でDHの大谷翔平は、MLBの選手たちの中に入っては確かに並以上の素質の持ち主だとは見えたが、我らがマスコミが持ち上げるほどの領域には未だに達していないと断じたくなった。それが証拠に2死で走者二三塁という絶好の好機に、A’s が採った作戦は「大谷の前の好打者トラウトを敬遠して大谷との勝負」だった。しかも右投げの投手を替えることなくインサイドに落ちるボール球で空振りを取って三振に仕留めたのだった。
大谷の私にでも解る弱点を物の見事に突いたのだった。素材として優れていることと、弱点とは違うと見せつけてくれた。私の大谷の使い方に対する結論は「どちらか一本に絞るべきで、それも投手の方に」なのだが。フットボールの世界にも時々「両面」をやる者もいるが、大谷の場合は悪い言い方をすれば「エンジェルスの客寄せ商売の材料に使われているとしか見えないのが残念だし、勿体ない」と思う。残すは大谷君の奮起だけだ。でも二刀流とやらは止めさせたい。
アメリカらしいと言うべきか、我が国の何時まで経っても何処まで行っても「高校野球の延長線上にある野球をやっている」のと比較した場合に、MLBは新ルールの延長戦に入れば「無死で走者2塁」というタイブレークの設定でも、バントはしてこなかった辺りが、baseballであり「野球」との大きな違いだと思って見ていた。アメリカ人の頭の中には「自己を犠牲にしても全体に貢献する」などという考え方は存在せず「ひたすら個人として手柄を立ててやろう、目立ってやろう」としか考えないものなのだ。一丸となるか個人として目立つかの何れを採るかは国民性の違いだろう。
「なるほど。アメリカ式の考え方は我々から見れば極端だな」と言うか「思い切った決断だな」と思わせられた面白い作戦があった。延長に入ってA’sが1死で走者二三塁の好機が巡ってきた。ここでベンチから現れたエンジェルスの監督の指示は左翼手に内野手用のグラブを渡して三遊間に立たせ、外野手を2人にしたのだった。我が国のNPBでも時には割り切った守りの体形にして見せることもあるが、あそこまでは割り切るまいと思わせてくれた。その対右打者用のシフトも、左打ちの次打者にホームランを打たれては効果を発揮しなかった。
上記のような試合運びを見せられると、矢張りbaseballの方がスリルがある(「ゾクゾクさせる、ワクワクさせる」とジーニアス英和にあるが)ので、「野球」よりは面白いと言いたくなってしまう。だが、本日もドミニカを始めとして多くの南アメリカ出身の選手が多いので、以前から指摘して来たことで「MLBの野球の問題点は基礎から鍛え上げられた技術と技巧(近年は「スキル」などと言っているが)と知恵を見せるよりも、「身体能力ショー」と化してしまった嫌いがある。
例を挙げれば二塁手がベース寄りのゴロを捕って飛び上がって逆方向の一塁に見事な送球をするようなことや、ショートストップが三遊間の深いゴロを飛び込んで取って直ぐに起き上がって送球すること等だ。あれは捕球や送球の巧みさを見せているのではなく、球に飛び付くことや空中に飛び上がる身体能力の問題であるのだ。それだけ、南アメリカ系やアフリカ系アメリカ人たちの身体能力は凄いという意味でもある。その中に入って行けば、大谷翔平君の身体能力を以てしても、MLBに行けば「抜群」という域に達するのは未だ先のことだと思っている。
本日も長引く梅雨に降り籠められる一方で、広範囲に感染の勢いを増してきた感が濃厚なコロナウイルスに足止めされて、何をする訳にも行かずにボンヤリとテレビを見ていた。途中で気が付いてNHKのBSで大谷翔平も在籍するLAエンジェルス対オークランド・アスレティックス(A’s)の野球を見ることにした。暫く振りのアメリカの野球観戦だったので「矢張りかなり彼らの野球に対する考え方が違うな」とあらためて痛感させられた次第だった。
結果だけ先に言ってしまえば、A’sがタイブレークとなった延長戦で満塁ホームランでサヨナラ勝となったのだった。A’sがサヨナラ勝ちするだろうという閃きはあったが、まさか満塁ホームランとまでは考えていなかったので「矢張り彼等は身体能力に優れているなというか『パワーがある』と言う間違ったカタカナ語で表現するべきか知らないが、一死満塁でいともアッサリと勝負に出て行くところにMLBらしさ」を感じていた。打った者の名前は失念したが、打っていったのは初球だった。NPBだからあのような場面でいきなり打ちに行くのだなとも考えていた。
そこで、大谷翔平君である。私は日本ハムの栗山監督が彼を二刀流とかいう奇妙な形に持っていったところで「あたら我が国の運動選手として最高級の素材の能力の無駄遣いだ」と言ってきた。その才能の無駄遣いを物を知らない我が親愛なるマスコミは、褒め称えて騒ぎ過ぎ持ち上げ過ぎた。私の持論は「マスコミに持ち上げられすぎた選手には明るい未来はない」なのである。故に、安い年俸で二刀流まで引っ提げてアメリカのMLBに行ってしまった大谷君の将来の展望は明るくないと見ていた。それかあらぬか、肘のトミー・ジョン手術となって投手・大谷翔平は1年を棒に振った。
本日久しぶりに見た3番でDHの大谷翔平は、MLBの選手たちの中に入っては確かに並以上の素質の持ち主だとは見えたが、我らがマスコミが持ち上げるほどの領域には未だに達していないと断じたくなった。それが証拠に2死で走者二三塁という絶好の好機に、A’s が採った作戦は「大谷の前の好打者トラウトを敬遠して大谷との勝負」だった。しかも右投げの投手を替えることなくインサイドに落ちるボール球で空振りを取って三振に仕留めたのだった。
大谷の私にでも解る弱点を物の見事に突いたのだった。素材として優れていることと、弱点とは違うと見せつけてくれた。私の大谷の使い方に対する結論は「どちらか一本に絞るべきで、それも投手の方に」なのだが。フットボールの世界にも時々「両面」をやる者もいるが、大谷の場合は悪い言い方をすれば「エンジェルスの客寄せ商売の材料に使われているとしか見えないのが残念だし、勿体ない」と思う。残すは大谷君の奮起だけだ。でも二刀流とやらは止めさせたい。
アメリカらしいと言うべきか、我が国の何時まで経っても何処まで行っても「高校野球の延長線上にある野球をやっている」のと比較した場合に、MLBは新ルールの延長戦に入れば「無死で走者2塁」というタイブレークの設定でも、バントはしてこなかった辺りが、baseballであり「野球」との大きな違いだと思って見ていた。アメリカ人の頭の中には「自己を犠牲にしても全体に貢献する」などという考え方は存在せず「ひたすら個人として手柄を立ててやろう、目立ってやろう」としか考えないものなのだ。一丸となるか個人として目立つかの何れを採るかは国民性の違いだろう。
「なるほど。アメリカ式の考え方は我々から見れば極端だな」と言うか「思い切った決断だな」と思わせられた面白い作戦があった。延長に入ってA’sが1死で走者二三塁の好機が巡ってきた。ここでベンチから現れたエンジェルスの監督の指示は左翼手に内野手用のグラブを渡して三遊間に立たせ、外野手を2人にしたのだった。我が国のNPBでも時には割り切った守りの体形にして見せることもあるが、あそこまでは割り切るまいと思わせてくれた。その対右打者用のシフトも、左打ちの次打者にホームランを打たれては効果を発揮しなかった。
上記のような試合運びを見せられると、矢張りbaseballの方がスリルがある(「ゾクゾクさせる、ワクワクさせる」とジーニアス英和にあるが)ので、「野球」よりは面白いと言いたくなってしまう。だが、本日もドミニカを始めとして多くの南アメリカ出身の選手が多いので、以前から指摘して来たことで「MLBの野球の問題点は基礎から鍛え上げられた技術と技巧(近年は「スキル」などと言っているが)と知恵を見せるよりも、「身体能力ショー」と化してしまった嫌いがある。
例を挙げれば二塁手がベース寄りのゴロを捕って飛び上がって逆方向の一塁に見事な送球をするようなことや、ショートストップが三遊間の深いゴロを飛び込んで取って直ぐに起き上がって送球すること等だ。あれは捕球や送球の巧みさを見せているのではなく、球に飛び付くことや空中に飛び上がる身体能力の問題であるのだ。それだけ、南アメリカ系やアフリカ系アメリカ人たちの身体能力は凄いという意味でもある。その中に入って行けば、大谷翔平君の身体能力を以てしても、MLBに行けば「抜群」という域に達するのは未だ先のことだと思っている。