新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月25日 その2 MLBの野球観戦記

2020-07-25 16:38:23 | コラム
矢張り“baseball”と「野球」の違いを見る気がした:

本日も長引く梅雨に降り籠められる一方で、広範囲に感染の勢いを増してきた感が濃厚なコロナウイルスに足止めされて、何をする訳にも行かずにボンヤリとテレビを見ていた。途中で気が付いてNHKのBSで大谷翔平も在籍するLAエンジェルス対オークランド・アスレティックス(A’s)の野球を見ることにした。暫く振りのアメリカの野球観戦だったので「矢張りかなり彼らの野球に対する考え方が違うな」とあらためて痛感させられた次第だった。

結果だけ先に言ってしまえば、A’sがタイブレークとなった延長戦で満塁ホームランでサヨナラ勝となったのだった。A’sがサヨナラ勝ちするだろうという閃きはあったが、まさか満塁ホームランとまでは考えていなかったので「矢張り彼等は身体能力に優れているなというか『パワーがある』と言う間違ったカタカナ語で表現するべきか知らないが、一死満塁でいともアッサリと勝負に出て行くところにMLBらしさ」を感じていた。打った者の名前は失念したが、打っていったのは初球だった。NPBだからあのような場面でいきなり打ちに行くのだなとも考えていた。

そこで、大谷翔平君である。私は日本ハムの栗山監督が彼を二刀流とかいう奇妙な形に持っていったところで「あたら我が国の運動選手として最高級の素材の能力の無駄遣いだ」と言ってきた。その才能の無駄遣いを物を知らない我が親愛なるマスコミは、褒め称えて騒ぎ過ぎ持ち上げ過ぎた。私の持論は「マスコミに持ち上げられすぎた選手には明るい未来はない」なのである。故に、安い年俸で二刀流まで引っ提げてアメリカのMLBに行ってしまった大谷君の将来の展望は明るくないと見ていた。それかあらぬか、肘のトミー・ジョン手術となって投手・大谷翔平は1年を棒に振った。

本日久しぶりに見た3番でDHの大谷翔平は、MLBの選手たちの中に入っては確かに並以上の素質の持ち主だとは見えたが、我らがマスコミが持ち上げるほどの領域には未だに達していないと断じたくなった。それが証拠に2死で走者二三塁という絶好の好機に、A’s が採った作戦は「大谷の前の好打者トラウトを敬遠して大谷との勝負」だった。しかも右投げの投手を替えることなくインサイドに落ちるボール球で空振りを取って三振に仕留めたのだった。

大谷の私にでも解る弱点を物の見事に突いたのだった。素材として優れていることと、弱点とは違うと見せつけてくれた。私の大谷の使い方に対する結論は「どちらか一本に絞るべきで、それも投手の方に」なのだが。フットボールの世界にも時々「両面」をやる者もいるが、大谷の場合は悪い言い方をすれば「エンジェルスの客寄せ商売の材料に使われているとしか見えないのが残念だし、勿体ない」と思う。残すは大谷君の奮起だけだ。でも二刀流とやらは止めさせたい。

アメリカらしいと言うべきか、我が国の何時まで経っても何処まで行っても「高校野球の延長線上にある野球をやっている」のと比較した場合に、MLBは新ルールの延長戦に入れば「無死で走者2塁」というタイブレークの設定でも、バントはしてこなかった辺りが、baseballであり「野球」との大きな違いだと思って見ていた。アメリカ人の頭の中には「自己を犠牲にしても全体に貢献する」などという考え方は存在せず「ひたすら個人として手柄を立ててやろう、目立ってやろう」としか考えないものなのだ。一丸となるか個人として目立つかの何れを採るかは国民性の違いだろう。

「なるほど。アメリカ式の考え方は我々から見れば極端だな」と言うか「思い切った決断だな」と思わせられた面白い作戦があった。延長に入ってA’sが1死で走者二三塁の好機が巡ってきた。ここでベンチから現れたエンジェルスの監督の指示は左翼手に内野手用のグラブを渡して三遊間に立たせ、外野手を2人にしたのだった。我が国のNPBでも時には割り切った守りの体形にして見せることもあるが、あそこまでは割り切るまいと思わせてくれた。その対右打者用のシフトも、左打ちの次打者にホームランを打たれては効果を発揮しなかった。

上記のような試合運びを見せられると、矢張りbaseballの方がスリルがある(「ゾクゾクさせる、ワクワクさせる」とジーニアス英和にあるが)ので、「野球」よりは面白いと言いたくなってしまう。だが、本日もドミニカを始めとして多くの南アメリカ出身の選手が多いので、以前から指摘して来たことで「MLBの野球の問題点は基礎から鍛え上げられた技術と技巧(近年は「スキル」などと言っているが)と知恵を見せるよりも、「身体能力ショー」と化してしまった嫌いがある。

例を挙げれば二塁手がベース寄りのゴロを捕って飛び上がって逆方向の一塁に見事な送球をするようなことや、ショートストップが三遊間の深いゴロを飛び込んで取って直ぐに起き上がって送球すること等だ。あれは捕球や送球の巧みさを見せているのではなく、球に飛び付くことや空中に飛び上がる身体能力の問題であるのだ。それだけ、南アメリカ系やアフリカ系アメリカ人たちの身体能力は凄いという意味でもある。その中に入って行けば、大谷翔平君の身体能力を以てしても、MLBに行けば「抜群」という域に達するのは未だ先のことだと思っている。


ポンペイオ国務長官の演説に思う

2020-07-25 09:29:42 | コラム
アメリカの中国に対する姿勢があらためて明確にされた:

ポンペイオ長官*のアメリか時間23日の演説で明快に「歴代大統領の対中国政策は失敗だった」と断定された。そこで、あらためてトランプ政権の中国に対する一歩も譲らないとの姿勢を明らかにされたと思って聞いた。その前にトランプ大統領はテキサス州ヒューストンの中国総領事館の閉鎖をスパイ行為の拠点であると断じて閉鎖を命じ、それ以外の中国の公館の閉鎖をも命じる用意があると表明されていた。

中国は何か自国に対して敵対的な事を起こされると、常に対抗措置で応じてくるのだ。そこで、中国の外務省の報道官がアメリカの行為を真っ向から非難して、報復措置であると称して四川省成都(Chengdu)のアメリカ領事館の閉鎖を命じてきた。彼等が何らかの報復の手段に訴えてこないという事はない。韓国も同様で、あの我が国が半導体関連の3品目の輸出規制をかけた際の、「悪いのは日本である」と我が国を悪し様に言ってきた姿勢を想起して頂きたい。彼らの常套手段は大音声での相手国の非難であると共に、反抗的な手段に訴える事である。

私はこのような中国の反応の仕方は我が国では絶対と言って良いほどあり得ないのだと、経験上も考えている。中国と韓国は同様な民族性があるようで、何かを仕掛けられれば先ず「非は相手側にあり、我が方には何らの過失も失態もない」と攻勢に出てくるのだ。その傲慢さというか相手国を見下したような姿勢での穏やかならざる反抗は、決して我が国の政府や政治家に出来ることではない。精々官房長官の穏やかな反論で終わりである。これでは相手側は「そら見ろ。我が方の主張が通ったではないか」と勝利でも宣言されかねないのだ。

私は永年アメリカ側の一員として我が国との輸出入の交渉を経験してきた。その過程で我が国の良識ある世界一流のお客様から、如何なる激論を交わすとか困難な話し合いの間においても、我が国のご担当の方から「間違っているのは貴社だ。直ちに誤りを認めて不当な申し入れを撤回せよ」と言った類いの激しい言葉を使った論戦を挑まれた経験などなかった。要するに「話し合えば必ず有無相通ずるようになる」との信念で、穏便な話し合いと解決を目指されるのだ。我々はそういう考え方と姿勢を認識したので、中国式の姿勢で交渉しようと意図したこと等はなかった。

私は中国が尖閣諸島の水域で我が国に仕掛けてきている公船の行動などは、憲法上の制約があると承知した上で、我が国が明確な対抗手段に訴えてくることはないし、真っ向から抗議をしてこないと読み切っているか、最初から我が国の善意と紳士的な姿勢に付け込んでいるのだと思って見ている。では、あの中国外務省の報道官のようなアメリカ側を非難して見せた上で「報復措置である」と言い切るようなことは我が国の選択肢にはないと思っている。私にはこういう態度が「遺憾」なのか「残念」なのか未だに解らない。だが、「何かを恐れている」かには見えるが。

アメリカの中国に対する厳格な姿勢に話を戻そう。私は正直に言って「よくぞ、そこまで対中国の態度を明確にして下さいました」と思って読んだ。何も国務長官の一存だけであそこまで言い切られたのではないと思うが「なるほど。ポンペイオ氏は陸軍士官学校の出身者だけのことがあるな」とも感じた。トランプ大統領は中国との関税賦課の応酬を始められた後で、何度か徹底的に叩くとの姿勢が揺らいだのかと思わせたような、一時休戦に持ち込まれた事もあった。そこで、多少の不安感を抱かせられていたのだった。だが、今回は不退転の決意の表明と見て安心した。

私はこれまでに繰り返して習近平主席の明らかな世界制覇を意図する姿勢に対する懸念を述べてきた。オバマ前大統領の中国を野放しにした政策も批判してきた。だが、一帯一路と言い、AIIBと言い、5Gをも含めた知的財産の奪取と良い、EU諸国を誑かす悪質さと言い、武漢ウイルスを世界中に振りまいた事への無反省振りと言い、アメリカ(だけのことではないが)は「最早、到底これ以上、習近平に傍若無人に振る舞わせて置く訳には行かない」とあらためて決意されたのだろうと解釈した。

ところが、事ここに至れば私はあの外国人記者の「日本はアメリカと中国の何れに与するのか」との質問の重みが増してきたように思えてならない。結論は単純明快だとは思うが、サプライチェーンとやらにおける中国への依存度や、尖閣のみならず沖縄であり何でもある中国の奪取の意図が我が国の属国化にあり続けるのならば、我が国の政財界はそれこそ不退転の決意の下に自前で産業界を動かしていける態勢を可及的速やかに整える必要があると思う。中国は恐らくそこを徹底的に衝いてくるのは必定だろう。親中派と媚中派に何処までの決意が出来るのだろうか。そこが問題では。

注:*はMichael R. Pompeoであり、その名字の表記が「ポンペイオ」と「ポンペオ」に別れている。私はテレビの音声では何度か「ポンペイオ」に聞こえたので、ポンペイオと表記した。