我が同胞の服装に対する感覚をアメリカやヨーロッパと較べれば:
小池都知事批判や224人の感染者などという難しくて暗い話題や事柄から離れて、少し気楽な話題を採り上げようと考えた次第。それは、昨日採り上げたBrooks Brothersの経営破綻で思いついた事だ。そこでも、海外にいれば機内だろうと街中だろうと、出会う人が我が同胞だという事は、その服装でほぼ99%は解るのだった。
先ずは最も最近、と言っても2012年の事だったが、カリフォルニア州のロスアンジェルス市の外れにある現地では有名な、我が国の感覚では一寸想像できないほど広い大問屋街“Fashion district”での経験だった。ここは駐在員の方に聞くと「絶対に日本から来られたお客様をご案内してはならない」と厳命されているほど危険だと思われている場所。だが現地の事情に精通したYM氏は「何の問題もない」と言って、現地に永年住んでいて行ったことがないというSM氏と私を案内したのだった。
なるほど、ほとんどの店舗で店番をしているのはヒスパニックか韓国人だったが、SM氏も私も呆気ないほど何の危険も感じなかった。念の為に申し上げておくと、YM氏はコーデユロイのパンツに何処かNHL(アメリカのアイスホッケーリーグ)のテイームのジャンパー、SM氏は革ジャンパーにジーンズ、私は以前にシアトルでセールで買ったBrooks Brothersのコットンのジャンパーにチノパンという出で立ち。その3人が全員英語でまくし立てるのだから、まさか日本人とは思わせなかったと思う。
そこに、明らかに我が同胞としか見えない中年の男性が単独で歩いて来られるのに出会った。我が同胞の特徴である「着飾っている」状況ではなかったが、色彩感覚が明らかに日本的で着衣の色の数が多すぎるし、明らかに四方八方に注意されていた、言うなれば、不安げだった。そこで「日本の方ですね。良くお一人で入って来られましたね。何方かに危険だと聞かされましたか」と声をかけると、ギクッとなった表情で「どうして日本人だと解ったのですか。知人に一度は行ってみればと勧められてきましたが、それほど身の危険は感じませんでした」と言われたが、そうとは見えなかった。
ここで飽くまでも一般論として申し上げておくと、アメリカ人もヨーロッパ人も無地の服を好み、色彩も男女を問わずに圧倒的に原色を選んでいるのだ。しかも、色彩の好みにはほとんど言って良いほど男女の区別がないのだ。換言すれば「赤は女性の色」というような決め付けがないのだ。それと比べれば、我が同胞は明らかに沢山の色を使った細かい絵柄か図柄のものを好むのである。それだと、近くで見れば綺麗だが遠くから見れば細かさが消えてしまって、地味な色彩の服装にしか見えないのだ。
これだけでは未だ説明不足だ思うので、悪い例を挙げておこうと思う。それは最近こそ比較的に減ったが、大企業の偉い方や政治家がお好みの、かのフランスの名品“Hermes”(英語の発音は無味乾燥な「ハームズ」だが)のネクタイである。このネクタイは細かい模様を綺麗に編み込んだか、ヨーロッパ独特の染色の凄さを魅せて、近くで見れば芸術的に綺麗なネクタイのだ。だが、一寸距離を置くと多くの色が特徴を消し合うので、地味な細いネクタイにしか見えなくなるのが、ある意味で特徴だと思う。我が同胞の色彩感覚はこれに近いのであるから、私には直ぐに解るのだ。
このような違いを矢張り文化の違いと決めつけるか、長い間に醸成された芸術的な感覚の相違の何れであるかは私には俄に断定できない。だが、明らかに「遠目」を重んじるか、「近く」を採るかの違いは歴然としてあると思う。その例としては私が「ビジネスマンの服装学」の教科書のように崇めているアメリカのJohn Molloyの、邦題が「出世する服装」となっている名作には「服装における色の数は同系統を1色と数えて3色まで」と規定されている。だからと言うか何と言うか、アメリカの偉い人たちで、これまでの大統領をも含めて、Hermesのネクタイ愛好者を見た事がない。
念の為に申し上げて置くが、私は何も「海外に出て行かれるときに無理をしてアメリカやヨーロッパの感覚に合わせた服装をなさい」と言っている訳ではないのだ。敢えてご忠告申し上げれば「無理をして身上ありったけを投じて余所行きの服装をする必要などありません。普段着で良いのです」と言いたいだけだけなのだ。私が知る範囲内のアメリカ人では本当の意味のアッパーミドルかそれ以上に属する人たちは誠に厳格な服装の規範があるが、そういう世界の人たちに会われて懇談する機会など滅多に巡ってこないと思う。だからと言ってジーパンにジャンパーでも良い訳でもないのだ。
典型的なアッパーミドルの家柄で一流大学のMBAだった上司に教えられた、彼らの休日の寛いだ服装とは「ネービーブルーのジャケット(ブレザー)にフラノのズボン乃至はカーキ色のチノパンを着用せよ」となるのだそうだ。シャツは薄いブルーのボタンダウンのコットンのワイシャツであればもっと良いとなっていた。これにネクタイをすれば金曜日などには出勤も許されるそうだが、私の生涯の最高の上司の副社長は、事前の届けなしにこの服装で出勤することは許さなかった。ましてや、同じスーツで2日続けての出勤などは許される訳もなかった。
実は服装についてはアメリカの方が、我が国で紳士の国と崇め奉っているUKよりも余程厳格なのだ。上記のJohn Molloyの“A New Dress for Success”などはアメリカの金融・証券業界の規範に従っていると教えられていた。念の為に申し添えておくと、アメリカ独自のブランドのスーツには円貨にして1着で20万円以上もする銘柄など幾らでもあるのだ。恥ずかしながら、私もそういうブランドを3着は持っているが、今やクローゼットの肥やしである。
小池都知事批判や224人の感染者などという難しくて暗い話題や事柄から離れて、少し気楽な話題を採り上げようと考えた次第。それは、昨日採り上げたBrooks Brothersの経営破綻で思いついた事だ。そこでも、海外にいれば機内だろうと街中だろうと、出会う人が我が同胞だという事は、その服装でほぼ99%は解るのだった。
先ずは最も最近、と言っても2012年の事だったが、カリフォルニア州のロスアンジェルス市の外れにある現地では有名な、我が国の感覚では一寸想像できないほど広い大問屋街“Fashion district”での経験だった。ここは駐在員の方に聞くと「絶対に日本から来られたお客様をご案内してはならない」と厳命されているほど危険だと思われている場所。だが現地の事情に精通したYM氏は「何の問題もない」と言って、現地に永年住んでいて行ったことがないというSM氏と私を案内したのだった。
なるほど、ほとんどの店舗で店番をしているのはヒスパニックか韓国人だったが、SM氏も私も呆気ないほど何の危険も感じなかった。念の為に申し上げておくと、YM氏はコーデユロイのパンツに何処かNHL(アメリカのアイスホッケーリーグ)のテイームのジャンパー、SM氏は革ジャンパーにジーンズ、私は以前にシアトルでセールで買ったBrooks Brothersのコットンのジャンパーにチノパンという出で立ち。その3人が全員英語でまくし立てるのだから、まさか日本人とは思わせなかったと思う。
そこに、明らかに我が同胞としか見えない中年の男性が単独で歩いて来られるのに出会った。我が同胞の特徴である「着飾っている」状況ではなかったが、色彩感覚が明らかに日本的で着衣の色の数が多すぎるし、明らかに四方八方に注意されていた、言うなれば、不安げだった。そこで「日本の方ですね。良くお一人で入って来られましたね。何方かに危険だと聞かされましたか」と声をかけると、ギクッとなった表情で「どうして日本人だと解ったのですか。知人に一度は行ってみればと勧められてきましたが、それほど身の危険は感じませんでした」と言われたが、そうとは見えなかった。
ここで飽くまでも一般論として申し上げておくと、アメリカ人もヨーロッパ人も無地の服を好み、色彩も男女を問わずに圧倒的に原色を選んでいるのだ。しかも、色彩の好みにはほとんど言って良いほど男女の区別がないのだ。換言すれば「赤は女性の色」というような決め付けがないのだ。それと比べれば、我が同胞は明らかに沢山の色を使った細かい絵柄か図柄のものを好むのである。それだと、近くで見れば綺麗だが遠くから見れば細かさが消えてしまって、地味な色彩の服装にしか見えないのだ。
これだけでは未だ説明不足だ思うので、悪い例を挙げておこうと思う。それは最近こそ比較的に減ったが、大企業の偉い方や政治家がお好みの、かのフランスの名品“Hermes”(英語の発音は無味乾燥な「ハームズ」だが)のネクタイである。このネクタイは細かい模様を綺麗に編み込んだか、ヨーロッパ独特の染色の凄さを魅せて、近くで見れば芸術的に綺麗なネクタイのだ。だが、一寸距離を置くと多くの色が特徴を消し合うので、地味な細いネクタイにしか見えなくなるのが、ある意味で特徴だと思う。我が同胞の色彩感覚はこれに近いのであるから、私には直ぐに解るのだ。
このような違いを矢張り文化の違いと決めつけるか、長い間に醸成された芸術的な感覚の相違の何れであるかは私には俄に断定できない。だが、明らかに「遠目」を重んじるか、「近く」を採るかの違いは歴然としてあると思う。その例としては私が「ビジネスマンの服装学」の教科書のように崇めているアメリカのJohn Molloyの、邦題が「出世する服装」となっている名作には「服装における色の数は同系統を1色と数えて3色まで」と規定されている。だからと言うか何と言うか、アメリカの偉い人たちで、これまでの大統領をも含めて、Hermesのネクタイ愛好者を見た事がない。
念の為に申し上げて置くが、私は何も「海外に出て行かれるときに無理をしてアメリカやヨーロッパの感覚に合わせた服装をなさい」と言っている訳ではないのだ。敢えてご忠告申し上げれば「無理をして身上ありったけを投じて余所行きの服装をする必要などありません。普段着で良いのです」と言いたいだけだけなのだ。私が知る範囲内のアメリカ人では本当の意味のアッパーミドルかそれ以上に属する人たちは誠に厳格な服装の規範があるが、そういう世界の人たちに会われて懇談する機会など滅多に巡ってこないと思う。だからと言ってジーパンにジャンパーでも良い訳でもないのだ。
典型的なアッパーミドルの家柄で一流大学のMBAだった上司に教えられた、彼らの休日の寛いだ服装とは「ネービーブルーのジャケット(ブレザー)にフラノのズボン乃至はカーキ色のチノパンを着用せよ」となるのだそうだ。シャツは薄いブルーのボタンダウンのコットンのワイシャツであればもっと良いとなっていた。これにネクタイをすれば金曜日などには出勤も許されるそうだが、私の生涯の最高の上司の副社長は、事前の届けなしにこの服装で出勤することは許さなかった。ましてや、同じスーツで2日続けての出勤などは許される訳もなかった。
実は服装についてはアメリカの方が、我が国で紳士の国と崇め奉っているUKよりも余程厳格なのだ。上記のJohn Molloyの“A New Dress for Success”などはアメリカの金融・証券業界の規範に従っていると教えられていた。念の為に申し添えておくと、アメリカ独自のブランドのスーツには円貨にして1着で20万円以上もする銘柄など幾らでもあるのだ。恥ずかしながら、私もそういうブランドを3着は持っているが、今やクローゼットの肥やしである。