新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月10日 その2 少し気楽な話題を

2020-07-10 14:13:52 | コラム
我が同胞の服装に対する感覚をアメリカやヨーロッパと較べれば:

小池都知事批判や224人の感染者などという難しくて暗い話題や事柄から離れて、少し気楽な話題を採り上げようと考えた次第。それは、昨日採り上げたBrooks Brothersの経営破綻で思いついた事だ。そこでも、海外にいれば機内だろうと街中だろうと、出会う人が我が同胞だという事は、その服装でほぼ99%は解るのだった。

先ずは最も最近、と言っても2012年の事だったが、カリフォルニア州のロスアンジェルス市の外れにある現地では有名な、我が国の感覚では一寸想像できないほど広い大問屋街“Fashion district”での経験だった。ここは駐在員の方に聞くと「絶対に日本から来られたお客様をご案内してはならない」と厳命されているほど危険だと思われている場所。だが現地の事情に精通したYM氏は「何の問題もない」と言って、現地に永年住んでいて行ったことがないというSM氏と私を案内したのだった。

なるほど、ほとんどの店舗で店番をしているのはヒスパニックか韓国人だったが、SM氏も私も呆気ないほど何の危険も感じなかった。念の為に申し上げておくと、YM氏はコーデユロイのパンツに何処かNHL(アメリカのアイスホッケーリーグ)のテイームのジャンパー、SM氏は革ジャンパーにジーンズ、私は以前にシアトルでセールで買ったBrooks Brothersのコットンのジャンパーにチノパンという出で立ち。その3人が全員英語でまくし立てるのだから、まさか日本人とは思わせなかったと思う。

そこに、明らかに我が同胞としか見えない中年の男性が単独で歩いて来られるのに出会った。我が同胞の特徴である「着飾っている」状況ではなかったが、色彩感覚が明らかに日本的で着衣の色の数が多すぎるし、明らかに四方八方に注意されていた、言うなれば、不安げだった。そこで「日本の方ですね。良くお一人で入って来られましたね。何方かに危険だと聞かされましたか」と声をかけると、ギクッとなった表情で「どうして日本人だと解ったのですか。知人に一度は行ってみればと勧められてきましたが、それほど身の危険は感じませんでした」と言われたが、そうとは見えなかった。

ここで飽くまでも一般論として申し上げておくと、アメリカ人もヨーロッパ人も無地の服を好み、色彩も男女を問わずに圧倒的に原色を選んでいるのだ。しかも、色彩の好みにはほとんど言って良いほど男女の区別がないのだ。換言すれば「赤は女性の色」というような決め付けがないのだ。それと比べれば、我が同胞は明らかに沢山の色を使った細かい絵柄か図柄のものを好むのである。それだと、近くで見れば綺麗だが遠くから見れば細かさが消えてしまって、地味な色彩の服装にしか見えないのだ。

これだけでは未だ説明不足だ思うので、悪い例を挙げておこうと思う。それは最近こそ比較的に減ったが、大企業の偉い方や政治家がお好みの、かのフランスの名品“Hermes”(英語の発音は無味乾燥な「ハームズ」だが)のネクタイである。このネクタイは細かい模様を綺麗に編み込んだか、ヨーロッパ独特の染色の凄さを魅せて、近くで見れば芸術的に綺麗なネクタイのだ。だが、一寸距離を置くと多くの色が特徴を消し合うので、地味な細いネクタイにしか見えなくなるのが、ある意味で特徴だと思う。我が同胞の色彩感覚はこれに近いのであるから、私には直ぐに解るのだ。

このような違いを矢張り文化の違いと決めつけるか、長い間に醸成された芸術的な感覚の相違の何れであるかは私には俄に断定できない。だが、明らかに「遠目」を重んじるか、「近く」を採るかの違いは歴然としてあると思う。その例としては私が「ビジネスマンの服装学」の教科書のように崇めているアメリカのJohn Molloyの、邦題が「出世する服装」となっている名作には「服装における色の数は同系統を1色と数えて3色まで」と規定されている。だからと言うか何と言うか、アメリカの偉い人たちで、これまでの大統領をも含めて、Hermesのネクタイ愛好者を見た事がない。

念の為に申し上げて置くが、私は何も「海外に出て行かれるときに無理をしてアメリカやヨーロッパの感覚に合わせた服装をなさい」と言っている訳ではないのだ。敢えてご忠告申し上げれば「無理をして身上ありったけを投じて余所行きの服装をする必要などありません。普段着で良いのです」と言いたいだけだけなのだ。私が知る範囲内のアメリカ人では本当の意味のアッパーミドルかそれ以上に属する人たちは誠に厳格な服装の規範があるが、そういう世界の人たちに会われて懇談する機会など滅多に巡ってこないと思う。だからと言ってジーパンにジャンパーでも良い訳でもないのだ。

典型的なアッパーミドルの家柄で一流大学のMBAだった上司に教えられた、彼らの休日の寛いだ服装とは「ネービーブルーのジャケット(ブレザー)にフラノのズボン乃至はカーキ色のチノパンを着用せよ」となるのだそうだ。シャツは薄いブルーのボタンダウンのコットンのワイシャツであればもっと良いとなっていた。これにネクタイをすれば金曜日などには出勤も許されるそうだが、私の生涯の最高の上司の副社長は、事前の届けなしにこの服装で出勤することは許さなかった。ましてや、同じスーツで2日続けての出勤などは許される訳もなかった。

実は服装についてはアメリカの方が、我が国で紳士の国と崇め奉っているUKよりも余程厳格なのだ。上記のJohn Molloyの“A New Dress for Success”などはアメリカの金融・証券業界の規範に従っていると教えられていた。念の為に申し添えておくと、アメリカ独自のブランドのスーツには円貨にして1着で20万円以上もする銘柄など幾らでもあるのだ。恥ずかしながら、私もそういうブランドを3着は持っているが、今やクローゼットの肥やしである。


7月9日の東京都の感染者は224名だった

2020-07-10 08:54:36 | コラム
7月9日の感染者が224名とは:

小池都知事が命名された「夜の街」における感染者が大きな比率を占めていても224名とは「最早、夜間の外出をしない人生では関係ないか」などと高を括っていられない数字であり、大袈裟に言えば心胆を寒からしめられる事態であると痛感している。特に、我が新宿区には夜の街の総本山の歌舞伎町を抱えているのだから、恐怖感は自ずと倍加してくるのだ。現実に、小池都知事のおわします都庁がある新宿区の感染者数は、8日の時点で丁度900人と他の区を圧しているのだ。

私は今日のここまでに至った経緯の責任は「女帝」と題された石井妙子氏の本にもある小池都知事にあると思っている。また、それに加えて、これまでに散々批判してきた西村康稔大臣も責任を問われるべき存在だと思っている。私は再選に至までの小池百合子さんの作戦は本当に巧妙だったと見ている。何処かの雑誌の新聞広告にもあったが、見事なほどにテレビと新聞を味方に付けさせていた。何局かが本来はMXに任せておけば良いと知事の記者会見を、毎週のように中継していたことは既に採り上げておいた。テレビで小池さんの顔とお話しに接しない日はなかった。

私には小池百合子都知事が本腰を入れて新型コロナウイルス制圧対策に取り組まれたのだろうとは思いたいし、また都知事としては当然そうあるべきだった。そして実際に打ち出された対策は「果たしてどれだけの罪なき都民がそのカタカナ語の意味を理解できたか知らないが、『ロードマップ』であり『ステップ』であり、『東京アラート』であり、レインボーブリッジの電飾だった」のである。カタカナ語の魔術で如何にも取り組んでいるとの印象を多くの都民に与えることに成功されたのではなかった、仮令、ご本人が何ら具体的な行動に出ておられなくとも。

小池さんはこれらの作戦を打ち出したところまでで「我が事なれり」と思われたのか、唯々時間の経過だけを待っておられた上に「東京アラート」とやらを解除されてしまった。その後に何が起きたかを私がここに云々する必要はないだろう。しかも小池さんの巧みなところは、特措法の規定では各都道府県の知事に権限が与えられている点を有効に活用して、常に担当の西村大臣よりも先に「何をやります」と宣言してしまう所にあった。これでは、閣僚である西村氏が小池都知事の後を追っている形になって、都知事の存在が際立ってしまったと私は見ている。

その成果はと見れば、都知事選挙では小池都知事の新型コロナウイルス制圧対策を評価するという人が60%を超えていたのだった。しかも目出度く再選を果たされた後からは、感染者が6日連続で100人超えとなり、遂にと言うか何と言うか昨9日には200人の大台に乗せたのだった。しかし、うんと意地悪く見れば、小池さんはチャンと「夜の街」を問題点として指摘されただけではなく、歌舞伎町と池袋と具体的な場所まで挙げておられたのだった。私に小池さんが何処まで意図的に振る舞っておられるのか知る由もないが、見た目には極めて巧妙に感じさせる作戦なのだ。

一都民として東京都知事に心からお願いしたいことは「もう再選されるか否かの心配はなくなったのであるから、既に『国難』とまで指摘している向きもあるこの新型コロナウイする制圧対策に、西村康稔大臣を蔑ろにすることなく、常に真剣に対策を打ち合わせて意見や発表に食い違いなどないように協力し合い、何としても第二波の襲来がないように最善の努力を傾けて頂きたい」のである。「努力を傾けろ」と言えば、今まで努力してこなかったと言っていることになるが、実績が上がっていなかったのでは「努力不足」と誹られても仕方があるまい。

小池都知事にとっては再選された以上、オリンピック(もし、本当に来年に開催できればの話だが)には東京都知事として臨めるのだから、都知事として本来の都知事の職務に心置きなく精励できるはずだ。最初の立候補の時に公約された「七つのゼロ」などは何一つとして実践されていなかったことを、よもやお忘れではあるまい。私流に極言すれば「格好付けて好い加減なカタカナ語で罪なき都民を煙に巻く時期はとっくに終わっている」のだ。それとも、一部で言われているように都知事をオリンピック次第では辞任されて、国政復帰から総理大臣を目指されるのかという事。

それが小池百合子さんの本当の狙いであったのならば、東京都は踏み台にされていたのかとなってしまうではないか。現時点では新型コロナウイルス制圧が思うように進んでいない時点にあっては、東京都知事本来の職務に精励して頂きたいのだ。それが、366万票も獲得された都知事としての当然果たすべき義務ではないのか。