新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月20日 その2 本20日は東京で522人

2020-11-20 16:38:43 | コラム
何処かに泉のようにウイルスが湧いてくる所があるのかも:

昼頃に何となく見てたテレビで、日本医科大学の北村教授が新型コロナウイルスの感染者の急増の現象について、勿論冗談だろうが掲題のように形容して嘆かれた。上手いことを言われるものだと感心している場合ではないと思う。北村教授は「職場」と「家族間」の感染が多いという分析を批判して「これでは感染源を特定できていない。誰かが何処かで感染してウイルスを持ち込んだのであるから」と言われた。なるほど尤もだなと思って聞いていた。

ところが、3時前にあらためて「ゴゴスマ」だったかを見れば、本日の東京の感染者は前日よりも僅かに減少した522名と報じいた。年代層別の分析では相変わらず20と30歳台が主力だが、郭年齢層に満遍なく感染者が出ていたのは、陳腐な表現を用いれば「大いに心胆を寒からしめられた」とでもなるだろう。続いてフジの「イット」だったかでは尾崎東京医師会長が「このままの比率で感染者が増加すれば、何日か後には1,000人を超えて、医療は対応できなくなる」と深刻な表情で警告された。

都民ファーストの会だったかは「無届け外出をすると5万円の科料云々」との条例だか法案を用意したとの報道もあった。これに妥当性があるか否かは知らないが、東京都だけではなく、国全体とするか都道府県別とするかは私には解らないが、かなり強烈な具体的な対策を講じないと、尾崎会長の警告は単なる警告では終わらないほど深刻な事態に至りそうな気がしてならない。簡単に言えば「『Go to 何とか』などを景気回復を謳い文句に実行している時か」となるのではないか。何処かに五つの「小」などとしたり顔で言っていらした知事もおられたが。そんなことで済むのか。



なお、これが本当の「その2」であり、先ほど掲載したものは言わば「その1」でした。そそっかしくて申し訳ない。真一文字赤面

11月20日 その2 カタカナ語排斥論者の嘆き怒り

2020-11-20 14:27:46 | コラム
好ましくないカタカナ語:

何時まで経っても同じ事を言うが、この世にはあってはならないというか好ましくないカタカナ表記が蔓延っているのだ。そこで、今回は元の英語というか外国語の本当の発音とは異なる余りにも無様な表記になっているものから槍玉に挙げていこうと思う。そこには商品名、商標、社名、更には映画の題名もあるという具合だ。

私の持論は如何なる表記をしようと勝手だし、そのカタカナ語は最早日本語の一部と化してしまっているので、日常的に使われることまで阻止する気など毛頭ない。だが、それらが原語と非常にかけ離れているので、そのまま「英会話」などで間違っても使わないことだけはご忠告申し上げておく。

先ずは最新のものではアメリカの待望のワクチン製造会社のModerna Inc.から行こう。この会社名を失礼なことに我が親愛なるマスコミは「モデルナ社」と表記するのだ。しかも、テレビに登場される某有名私立大学の英文学科ご出身と聞いた大学教授までがシレッとして「モデルナ社」と言われたのには呆れたし、情けなかった。これはどう読んでも「マダーナ」か「モダーナ」でしかあり得ない。

似たような例に「マドンナ」というのがある。元のイタリア語というか、英語の綴りはMadonnaであり、英語での発音は「マダーナ」か「マダナ」だ。記憶が正しければ、夏目漱石の「坊っちゃん」にマドンナというのが登場する。漱石は英語学者と聞いたのだが、イタリア語読みしておられたのだろうか。

次に有名な時計のブランドRolexにしよう。これはマスコミが躊躇わずに「ロレックス」としている。頼むから一度くらい辞書を引けよ。ジーニアス英和の発音記号は「ロウレックス」となっているし、常識的には「ローレックス」だ。「このような珍妙なローマ字読みは止めろ」と言ってやりたい。

外国語(イタリア語?)というか、英語にも当て嵌まる原則は「終わりから2番目の母音にアクセントが来る」のが常識だ。以前にも批判したがPOLUSとローマ字表記している会社がある。これはこの原則に従えば「ポーラス」になってしまうのだが、テレビCMで「ポラス」になっている。何処の宣伝広告会社が作ったの知らないが、もう少し勉強しろよ。

トム・クルーズが熱演する映画にMission Impossibleというのがある。これのカタカナ表記は我が国の英語教育を根本から乱そうとしているのかと言ってやりたいほど酷い。ミッションはまだしも「インポッシブル」はローマ字読みまで採り入れた出鱈目なものである。辞書を見ても、日常的に聞いていた英語でもimpossibleは「インパサブル」が最も近いと思う。何が故に出鱈目で嘘のカタカナ表記をするのだ。製造業者には見識がないと断じたい。

映画の題名をもう一つ。矢張り人気が高いものにHarry Potterというのがある。この日本語の題名は「ハリーポッター」だ。「ハリー」は兎も角「ポッター」も悲しくなるほど情けないローマ字読みだ。辞書を引けよ。「パター」か「パーター」が原語に近いのだ。如何なる理由があって原語の発音を避けて奇妙なローマ字読み的な表記をするのか。ここでは常識を疑っておこう。「君等は政府が躍起になっている英語教育を妨げようとする気か」とも言ってやりたい。

今度は普通の英単語だ。スポーツ用語以外の場面でも頻繁に使われるようになった「メンタル」と「フィジカル」に」行こう。ここから先は理屈が半分以上を占めるとお断りしておくが、何処の誰がこのようなおかしな英語の言葉をカタカナ語にしてしまったのかと憤慨しているのだ。

先ずは「メンタル」でmentalが英単語である。これはOxfordによれば、いきなり「通常は名詞の前で使われる」とあるが、これは当然のことで、これは形容詞であるから。だが、カタカナ語では名詞として「精神力」を表すかのように使われている。敢えてここでも言うが、「どのように使おうと勝手だ」であり、「形容詞を恰も名刺のように使うな」と戒めておく。
Oxfordに先ず出てくる意味は“connected with or happening in the mind; involving the process or thinking”となっていて、その後に“strength“を付けても「精神力」を表す為に使うのは無理があると思わせる。ジーニアス英和には[限定]として「精神の、心的な」が先ず出てきて、使用例にmetal illnessなどというのが出てくる。どうも「精神力」の意味でカタカナ語化したのには無理があるとしか思えない

次は「フィジカル」だが、これは勿論physicalのことだろう。言うまでもなく、これも形容詞である。ジーニアス英和の使用例にはphysical strengthがあり{stamina}となっているので、これはこれとして通じるが、形容詞を如何にも名詞のように「身体能力」のような意味で使っているのは、文法的に敢えて言えば誤りである。もう一度言うが「カタカナ語をどのように使おうとご勝手に」なのだ。だが、文法を無視していることだけは忘れないで欲しい。万が一にも、英語圏の国に行って知識階級の人たちと会話などをして、文法的な誤りを犯せば「下層階級め」と口には出さないだけで、相手にされなくなると請け合った置く。

大袈裟なことを言えば、毎度同じ事を言うのだが「このような好い加減なカタカナ語を恣意的に作らせただけではなく、今日ここまで広めておく輩がいるにも拘わらず、放置している文部科学省を糾弾したい。こんな事を許しておきながら「英語教育を充実させて、小学校から教え、国際人を養成しよう」などと戯言を言っているのは天下の奇観である」と断じて終わる。