新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

新型コロナウイルスの感染の勢いが止まらない

2020-11-13 09:20:42 | コラム
新型コロナウイルスの感染は憂慮すべき状態だと思う:

ウエアーハウザー・ジャパン在職中にアメリカ人の社長に「君は何でそう何時でもnegativeなのか」と訊かれたことがあった。瞬間答えに窮したが「物事を深く広く知れば知るほど、その裏側が見えてくるものだ。そこに見えた負の面を指摘しているだけだ」と反論したことがあった。2016年1月に最初の心筋梗塞で入院した際に、主治医に教えて頂いたことが「(血液型)A型の人は批判的で攻撃的なのだ。それがストレスとなって何故かA型の人に心筋梗塞を起こす例が多い」だった。その教えはその通りのようで、私が言うことは何時でも否定的で誰かを責めているようだ。

そこで、今回も現在の第3波とも言われている新型コロナウイルスの感染の全国的な激増振りを、A型の視点から考察(批判・攻撃?)して見ようと思う。

私は現在の感染者の急増を第3波とも2波とも見ていない。今年初めからの新型コロナウイルスの感染の勢いは、その間に多少の波があったが、当初のままで止まっていないだけだと思っている。確かに、安倍内閣の下では特措法も制定して中国伝来のウイルスを何とか抑え込んで、世界で最も少ない感染者と死者の数だったのは立派だったと思う。我が国では民度が高くほとんど全国民がマスクを躊躇うことなく着用し、真剣に手洗いを実行したし、ソーシャルデイスタンスとやらも守ってきた。これは対策が効果を発揮した訳ではなく、国民の質の高さの表れに過ぎないと思う。

ところが、安倍内閣が折角制定した特措法には兎角の批判が多く、私権の制限がどうのだとか、財政支出を伴うような都市の封鎖や商店や外食業の封鎖については中途半端なままに終わってしまった感が脾摘できない。言うなれば、中国が強権発動的に実行した武漢市の封鎖などという手法は採りきれなかった。飽くまでも国民の良識と従順さに依存した対策しか採れなかったと見ている。特に、私は支持していない小池都知事のように「対策を言うだけは言うが、何ら実行段階にまで降ろしていない」と保健所の担当者が匿名で語っていたような、芳しくない実態もあった。

このような思い切りの無さが我が国の文化であり、アメリカやヨーロッパの諸国との「文化と思考体系の相違」が如実に表れていたと思っている。我が国でも小池都知事が知ったかぶりで使って見せた“lockdown”のような手法が論議されたこともあったかの如くだった。だが、我が国では「やるのか、やらないのか」といったような二択の思考体系がないので、結局はどっちつかずの「国民の良識と判断に委ねる」というような手法しか採れなかったのである。

しかも、機能したのかどうかも良く解らない専門家会議では、再三再四「医療崩壊」が生じる危険性を指摘して見せたにも拘わらず、結局は東京都の失態が見せたように軽症者用のホテルの確保も果たせず、現在の第3波とやらマスコミが危険視して見える状態に立ち至っている。一部の大病院では未だに「ウイルス感染者用のベッドの数を揃えるだけでは何ともならない。対応できる医療スタッフが揃っていないと」などと嘆いてみせる状態だ。感染が流行し始めた頃に私が散々批判した「後手後手」が未だに改善されていない状態だ。私は究極的に政府の責任だと思う。

ここで得意技のマスコミ批判を持ち出せば、誰が決めるのか知らないがウイルスの感染の蔓延を第1波だの何のと区切って見せていることは理解できないのだ。ウイルスにはヘッドクオーターがあって、その指令の下に「第1波の攻撃が成功したので一休みして、何時第2波を出動させるか」と検討している訳ではないのだ。第1波が過ぎたからと勝手に安心して警戒態勢を解いたり、「Go to キャンペーン」などを実施するとか、都道府県の境を超えての移動を許可するということを、警戒態勢を整えずに実行した油断というか甘さがあったのではないのか。

私は何もEU圏内の諸国のように「外出禁止令を発動して、違反者からは罰金を徴収」という所までやれとは言わないが、日本国民の民度の高さと真面目さに依存する対策には限度があると思っている。特に身近に出た感染者の経験談を聞けば「都内で移動は車のみ、行く先に駐車場がない場合のみ短時間公共交通機関を利用、仕事は全てリモートで、感染したと思われる期間の面会者は1人」であっても発熱したとなっている。恐ろしいと思ったのことが連休だった為か、教えられた電話番号には2日間繋がらなかったというのだ。繋がった時には陽性で肺炎になりかかっていたそうだ。

こういう実態がある事を元の専門家会議も現在の尾身某氏が率いる分科会でもご承知のはずだ。だが、この期に及んで警戒せよと言い出すのは一寸理解に苦しむ。余計な偏見を言えば「私は“overshoot”などという誤った言葉を流行らせただけでも、尾身氏は信用ならないと見ている。昨日の同氏のプリゼンテーションを見ていても、私があれほど批判した『やってはならない技法で語っているので、聞き手が容易に理解できないだろう』と恐れている。私は何度も「お医者様を集めて政治を語らせるのは誤りではないか」と指摘した。語るべき人物は西村大臣と田村厚労相ではないのか。

非難攻撃はこれくらいにして言いたいことを言えば、「事ここに至れば、野党も好い加減に学術会議を材料にして菅内閣を貶めることを諦めて、お国と国民の為に特措法の速やかなる改正と、現実に即したウイルス対策を菅内閣と共に確立することに努力すべきだ。枝野以下がそれでも世迷い言を言い続けたいのならば、それこそ民主主義の大原則である多数決の原理を以て、内閣がやりたいような対策を講じて欲しいのだ。菅内閣は51対49よりも強い立場にあるのだから、野党とマスコミ連合軍が何をほざこうと無視して欲しいのだ。

私は折角87歳まで生きたのだ。昨日語り合った昭和20年以来の級友は「斯くなる上は90歳を超えて生きていこうではないか」と決意を語っていた。我々高齢者は政治と東京都の無策の為にウイルスにかかって寿命を縮められたくないのだ。