新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月5日 その2 おかしな言葉遣いを嫌う

2020-11-05 15:06:21 | コラム
日本語が変わってきたのか:

私は永年「言葉は耳から入った場合に、その影響力は強いのだ。その為にテレビに登場するタレントとかいう有象無象が使うおかしな言葉や間違った語法は、あっという間に普及してしまう」と指摘してきた。今回はその類いの言葉の中でかなり広まってしまった例を幾つか挙げてみよう。中には「真逆」のように2004年の新語・流行語に入った言葉が、何時の間にか住民登録されて本来使用されるべき「正反対」を退けて広まってしまったといような例もある。私は頼まれても「真逆」などを使う気にはならないが。

今現在」、「今の現状」:
私はこの二つは同じ意味の言葉が二重になっていておかしいと思っている。だが、これらを国会議員の先生方(私は彼らの知性が高いなどとは毛頭考えていないが)も、所謂有識者の方も平気で使っておられるのを聞いて、我が国では英語教育が至らないだけに止まらず、国語の教育も地に落ちたのかと慨嘆している。国語学者のKS教授にでも伺えば良い問題だとは思うが、取り敢えず検索して調べて見ることから始めることにした

意外にもNHK放送文化研究所はこれらの言葉の使用を否定していなかったのだった。だが、私が当たった限りでは矢張り「今現在」は「現在」で、「今の現状」は「現状」で十分であるとしておられる専門家が多かったので安心した。私に言わせれば、これらには同じような意味の言葉が重なっていると気が付かない方がおかしいのではないのか。同様な重複の例にはテレビ局のキャスター等が平気で「後ろから追突」だの「未だ未熟」などというニュース原稿を読んでいる神経(無学?)も恐ろしいと思って嘆いている。国語教師は何を教えているのか。

「どうも、こんにちは」:
これもテレビに出て躊躇わずに使っている感覚が恐ろしいと思う。私が知るだけでも中居正広と渡辺裕太(という名前か?榊原郁恵と渡辺徹夫妻の息子)がいる。「どうも」は広辞苑によれば副詞であり「全く、まことに」であり「―にすみません」か」「―に有り難う」のように使うとある。他には「―も変だ」、「―迷った」という例も載っている。この「どうも、こんにちは」は学校でろくに勉強もしないでタレント業などに励んだ情けない結果だと思っている。困ったことは、上記のように彼等が使うと罪なき一般人が真似てしまうことだ。

生き様:
何処かの誰かが勝手に創り出したのだろう。これもテレビに登場して流行り出したと思っている。この言葉にも違和感を覚える。余談だが、時たま「違和感を感じる」と入力して「感」が重複していると思い、「覚える」と訂正している。私は「死に様が悪い」という表現は承知していたが、「生き様」は反対語だと思って使い始めて者たちがいたのかと思っている。検索してみると「死に様から類推して使われるようになった」との意見が出てきた。これも、私は絶対に使うまいと思っている言葉の一つだ。

結び:
結論めいたことを言えば、「ろくに国語を勉強してこなかった者たちは、勝手に新語を造るようなことをするな。公共の電波を使って喋ることの重大さをもう少し認識せよ」なのだ。かく申す私は12年間もラジオコメンテーターを務めてきたので、これくらいの偉そうなことを言う資格があると思っている。


2020年10月の東京都新宿区の人口

2020-11-05 09:07:30 | コラム
20年10月も前月に続き減少して344,579人に:

東京都内の新型コロナウイルス感染者の増加傾向が改善されない為か、10月の新宿区人口が733人の減少で対前月比では△0.2%だった。外国人の減少傾向も変わらずで△677人と9月の△740人よりは少なかったものの36,357人となり、減少率は△1.7%だった。外国人が区全体に占める比率も遂に10.6%と前月の10.7%を下回った。即ち、外国人は昨年12月から減り続けているのだ。

このように新宿区が発表する住民登録がある外国人は減少しているようだが、大久保通りやイスラム横町を動き回っているアジア系や、目立って増えてきたバングラデシュ人を筆頭とするイスラム教徒たちが減少しているとは思えない。日本語学校に吸い込まれていく若者たちが増えたとは見えないが、中国語を話している者どもを筆頭に、この界隈を動き回る連中が減ったとは感じられない。私の率直な疑問は「彼等は何の目的で我が国に入ってきて滞在し、如何なる手段で生活費を稼いでいるのだろうか」なのである。

一方、日本人も146人の減少で308.222人となり、その対前月比の減少率はは△0.04%だった。日本人が区全体に占める比率も89.4%となっていた。外国人は兎も角、日本人までが減少傾向が続くとは、新宿区はそれだけ不人気なのかと感じている次第だ。

10月26日に本当に暫く振りに大久保通りから職安通りと職安通りとの交差点まで約2 kmほどの距離を歩いて、この界隈の情勢を探ってみた。午前11時を回った頃だった。と言っても、新宿区民ではない方々にはピンとこないだろうが、この界隈で最も韓国化というかアジア人を中心とする外国人が数多くうごめいている一画である。暫くこの辺りに出向かなかったのは、勿論新型コロナウイルスの感染を警戒していたからだったが。

ところが、大久保通りから職安通りに抜ける最も韓国の製品を商う店と韓国料理店が多い路地には「週日の真っ昼間から何をしに来ているのか」と呆れるほど、老若男女ではなかった無数の老若女が楽しそうに歩いていて大変な賑わいだったのだ。大久保通りには相変わらず韓国風の「何とかドッグ」を食べ歩きしている多くの若い女性を見かけたし、何処から湧いてきたのかと疑いたくなるほど中国語と東南アジア系の言葉を話している若者もまた数多く蠢いていたのだった。

インバウンドが未だ制約されていて、日本語学校が閑散としている感が否めないこの時期に、彼等は如何なる在留資格で我が国に入国して滞在し続けているのだろうか。日本人である大学生や一般人がアルバイトの口がないと報道されている現時点で、如何にして生活しているのだろうかと考え込まされた。

大久保通りからイスラム横町にかけて気が付いた現象は、またもや日本人相手の店舗が1軒空き家になっていたことと、イスラム横町の少し先にあった伝統がある(はずの)足袋屋の建物が隣接していたリサイクルショップ(何度でも言うが、「リサイクル」は言葉の誤用で、「リユース」が正しい)と共に取り壊され、駐車場になっていた。要するに、日本人を相手にする商いは成り立たないという悲しい一例である。

この街にはもう一つ新たな変化が生じていた。タクシーの運転手さんたちに「新しい道」と言えば通じていた山手線の内側の諏訪町通りから大久保通りを抜けて職安通りに通じる名無しの道路が漸く全面的に開通し「つつじ通り」と命名されたことだ。これで少しは交通の便が良くなるのかと思えば然に非ず、タクシーの時間潰しの場がなくなって、我が家の近くの閑静なオフィス街を横断する道路に移ってきただけだった。

参考資料:新宿区広報 令和2年11月5日号