新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

あらためて新型コロナウイルスの脅威と対策について

2020-11-14 09:11:03 | コラム
何故か身の回りに感染者が出たと聞いたことがない:

これまでに多くの友人・知人たちと語り合ったことなのだが、昨日までに全国で115,414名と全人口のほぼ9%が、東京都では34,144名とほぼ10%の感染者が出ているにも拘わらず、誰しもが「身内は言うに及ばず、知り合いに感染者が出たという話を聞いたことない」と言うのだ。念の為に付記しておけば、かの問題多しとされた歌舞伎町を抱える新宿区では感染者の率は区全体の人口の0.9%に過ぎない。言って見れば「一体全体何処で誰が感染しているのだろう」という状態。因みに、当方が知る感染者の例は都内で1名、シアトルで1名だけだ。

私は昨日第1波だの3波だのと区切るよりも、あるいは異質化したかも知れないウイルスの感染は全国的に同じ調子で続いていると考える方が正確ではないかとすら考えている。上記したように感染者の比率から見れば、我が国ではアメリカやEUの諸国と較べれば遙かに低く、立派な対策が講じられてきたと評価できるだろう。11月の現在では「Go to キャンペーン」が華々しく進行中で多くの観光地にも(私は踏み入れない)東京都内にも人が溢れかえっている。ユニクロの新製品の発売の前日から大行列を作るほど地方から人々が流入している。話の筋が明らかに変わってきたのだ。

私とても、これまでの政府の感染防止対策は功を奏していると認めるに吝かではない。だが、後難を恐れずに言えば「安倍内閣が講じてきた対策は極言すれば『対症療法』であって『禍を源から断つ』方式ではなかった」のだ。しかも、特措法の限界もあって全ての対策は「要請」に止まり、休業補償するだけの財源もなく、何らの政治的強制力を伴っていなかったのは周知の事実である。昨日も指摘したように「我が国民の良識と、世界にも希な民度の高さに負うところ大であったこと」は否定できないと思う。

安倍内閣が講じた対策は未だ嘗て誰も経験したことがないウイルスの対策を専門家という名の臨床医ではない方々を集め、その意見に大きく依存してきたと見てきた。この手法の効果は確かに挙がったが、私には政府の逃げ腰というか(西村大臣と加藤厚労相(当時)の責任回避的言辞)」というか、思い切った「禍を源から断つ」という策とは思えなかった。今日の急増の事態にあっては「源から断つ」的な二者択一な思い切った勇気を出す対策が必要なのではないかと、私は考えている。二者択一の例を挙げれば、EU圏のような「外出禁止令を破れば罰金を科す」のような対策である。

勿論、我が国で菅内閣がそういう対策に打って出ることはないと分かっている。だが、寒くなり湿度が下がる冬が目前になったこの時期には、東京以外であれだけの感染者が増えている状況を考える時に「何時まで臨床医ではないお医者様を集めた分科会とやらの意見を尊重しているのか」と私は問いかけたいのだ。思い切った対策を考えて講じるのは、政治の役目ではなかったか。テレビなどに登場される医学部の教授や開業のお医者様に、司会者が統計学的な質問を投げかけているのはおかしいのではないか。医師は「目の前の患者さんを如何にして救うか」が本来の仕事ではないのか。

私は順序としては、「政治がこういう策を打ってみようと思うが、医学の立場から見て妥当か」と問いかける為に諮問機関(分科会等)があるのだろうと認識している。私は政治家が逃げ腰であると非難してきたが、彼らは疫病や感染症の対策などは知らないのだからこそ、果断な策を考えつくのではないかと思っている。その為に諮問機関を設けたのであって、諮問機関が先に立って訳の解らない技法でプリゼンテーションをさせている場合ではないと思うのだが、如何なものだろう。