漸くその存在意義が解った:
私は「成人式」という行事が何時始まったのかは全く知らないし、自分自身は昭和28年、即ち1953年に20歳になっていたが、当時住んでいた藤沢市から成人式に参加せよとの通知があったかどうかも知らない。また仮令あったとしても、当時の忙しすぎる学生生活の中にあっては、到底参加する余裕はなかったと思う。即ち、規律というか規則が非常に厳格なイエズス会系の大学に通い、サッカー部の練習に参加し、1年中何時出勤してくれても結構等というアルバイトをしていたのでは、日曜日であっても参加できなかったと思う。
「成人の日」という祝日が何時から出来たのかも知らないので、成人式とは如何なる趣旨の催し物かも知らなかった。しかし、テレビの報道で見る限りでは、若き男子たちが羽目を外して騒ぎ回り、女性たちは白いフワッとした襟巻きをして和服を着飾って楽しむ会かなと思っていた程度の不案内さだった。だが、今年は新型コロナウイルスの感染が蔓延しすぎた為に、多くの自治体がその開催か延期か中止するかに腐心されているようだとも報道で承知していた。
そこに何処のテレビ局だったか定かではないが、多くの和服(振り袖と言うべきか)に例の襟巻きの美女たちに色々と質問している答えを聞いて、漸く彼らが如何なる形ででも一堂に会する機会を設けて頂けて良かったと感謝する意味が解った。それは「成人式は一生に一度の貴重な皆が集まる機会である」ということと「皆に会えて良かった」に加えて「故郷に戻って同級生や友人たちと再会できる貴重な機会である」との意見に集約されるし「再会の機会」が強調されていたのだった。なるほど「公費による同窓会かクラス会の役目を果たしている」かのようだった。
男性の中には「20歳の成人として社会に貢献すべきだと自覚した」という正統派の意見を堂々と述べる者もいた。だが、事が再会であれば、88歳になる当方の考えでは「ここまで来れば、なるべく多くの同期生や同年齢層の知人たちに会っておきたいものだ」と、日頃から願っている。懐かしい人たちもおられれば、お世話になった人たちもおられる。
新型コロナウイルスの脅威さえなければ、藤沢市でも大阪にでも行って、出来るだけ多くの友人知己と旧交を温めておきたいと思っている。未だ何とかそれくらいの時間を公共交通機関を利用してもへたばらないで行けると過信?している。政治を司る方々には若者だけではなく、高齢者も労って頂けると有り難いのだ。「米寿の日」などがあれば素晴らしいではないか。
私は「成人式」という行事が何時始まったのかは全く知らないし、自分自身は昭和28年、即ち1953年に20歳になっていたが、当時住んでいた藤沢市から成人式に参加せよとの通知があったかどうかも知らない。また仮令あったとしても、当時の忙しすぎる学生生活の中にあっては、到底参加する余裕はなかったと思う。即ち、規律というか規則が非常に厳格なイエズス会系の大学に通い、サッカー部の練習に参加し、1年中何時出勤してくれても結構等というアルバイトをしていたのでは、日曜日であっても参加できなかったと思う。
「成人の日」という祝日が何時から出来たのかも知らないので、成人式とは如何なる趣旨の催し物かも知らなかった。しかし、テレビの報道で見る限りでは、若き男子たちが羽目を外して騒ぎ回り、女性たちは白いフワッとした襟巻きをして和服を着飾って楽しむ会かなと思っていた程度の不案内さだった。だが、今年は新型コロナウイルスの感染が蔓延しすぎた為に、多くの自治体がその開催か延期か中止するかに腐心されているようだとも報道で承知していた。
そこに何処のテレビ局だったか定かではないが、多くの和服(振り袖と言うべきか)に例の襟巻きの美女たちに色々と質問している答えを聞いて、漸く彼らが如何なる形ででも一堂に会する機会を設けて頂けて良かったと感謝する意味が解った。それは「成人式は一生に一度の貴重な皆が集まる機会である」ということと「皆に会えて良かった」に加えて「故郷に戻って同級生や友人たちと再会できる貴重な機会である」との意見に集約されるし「再会の機会」が強調されていたのだった。なるほど「公費による同窓会かクラス会の役目を果たしている」かのようだった。
男性の中には「20歳の成人として社会に貢献すべきだと自覚した」という正統派の意見を堂々と述べる者もいた。だが、事が再会であれば、88歳になる当方の考えでは「ここまで来れば、なるべく多くの同期生や同年齢層の知人たちに会っておきたいものだ」と、日頃から願っている。懐かしい人たちもおられれば、お世話になった人たちもおられる。
新型コロナウイルスの脅威さえなければ、藤沢市でも大阪にでも行って、出来るだけ多くの友人知己と旧交を温めておきたいと思っている。未だ何とかそれくらいの時間を公共交通機関を利用してもへたばらないで行けると過信?している。政治を司る方々には若者だけではなく、高齢者も労って頂けると有り難いのだ。「米寿の日」などがあれば素晴らしいではないか。