新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月29日 その2 メデイアの影響の考察

2021-01-29 11:23:55 | コラム
メデイアの影響を考えると:

週間AWACS氏とこの悪影響についての意見交換をしてみた。言うまでもないかも知れないが、彼らの批判である。私は屡々マスコミを批判するが「頂門の一針」主宰者・渡部亮次郎氏には「無駄な事だ」と何度か窘められた。尤もだとは承知しているが、ついつい腹が立って批判してしまうのだ。今回は新型コロナウイルスについては多くのメデイアに共通する姿勢は、所詮は視聴者に「ウイルスは極めて危険だから恐れなさい、戦きなさい」と脅してるのと同じだと思っている。

私のAWACS氏に述べた見解は下記のようなものである。

多くのテレビ局の論調は「脅かし」です。決してウイルスの恐ろしさを正しく伝えてはいません。しかも、常連のように依存している医師や大学教授たちも、結果的には一役買っています。かの尾身茂分科会長などはその経歴を見ると「医者」をやっておられた時期が見当たりません。知り合いの先生は「あの方は医者じゃない」と不愉快そうに言われました。私には政治的に振る舞うというような分野に集中しておられる方のように見えます

テレビというメデイアは自社というか独自の意見を言わないで「誰か(世間が権威者と看做すだろう)他所の人を連れてきて、説明、解析、専門家としての意見、見通しを表明して貰っています。その姿勢は私には「責任回避」であり「狡い」としか見えないのです。尤も、テレ朝社員の玉川徹のように物議を醸す意見を堂々と述べる場合もありますが、私は彼が社員である以上、テレ朝の意見だと受け止めています。何れにせよ、これでは「誰が言う事を信ずれば良いのか」が解りませんし、罪なき一般大衆は結局は「テレビが作った世論」を信じてしまうのではありませんか。

私は誰にとっても未知な世界だったこのウイルスの流行では、本当に実体を把握している人などほとんどいないのではないかと疑っています。その未曾有の難局を解決するという大任を背負って一所懸命に(やっているのでしょう)西村康稔大臣や田村憲久厚労大臣はさぞかし大変な苦労をしておられるのだろうと思っております。その限りでは同情しても良いのかも知れませんが、何とかするのが彼らに課された苛酷な使命でしょう。メデイアはもう少しでも、菅首相と2人の大臣の悪戦苦闘振りをありのままに伝えても良いと思います、批判ばかりしていないで。

話は変わりますが、昨日は河野太郎大臣を褒めたような事を言いましたが、正直に言ってあれは河野氏に対する「皮肉」です。私はイージスアショアを突然止めたような独断専行と言われても仕方がない手法は、時には「ファインプレー」となる事もあるでしょうが「とんだ空振り」と背中合わせだと思うのです。河野氏は偶然に私と同じイエズス会系の大学のご出身なので、少しだけ親近感を覚えます。そして同じように英語の世界に長くおられたので「二者択一」的な思考体系で決断されるように見えますが、それでは唐突感は免れないでしょう。我が国の風土には不向きかとの感があります。

実は、私はアメリカの会社に移って1年も経っていなかった頃に、日本の会社でお世話になった年長の方と語り合う機会がありました。その会談が終わったところで「君は何時からあれほど断定的に物を言うようになったのか」と指摘されました。そこで、暫く考えてから「自分では全く意識していなかったのでしょうが、子供の頃から英語に親しんでいた事も手伝ってか、アメリカ人の中に入って彼らの二進法的思考体系に、知らず知らずのうちに合わせるようになったのでしょうか」と答えました。河野氏にもこれが当て嵌まるのか、あるいは彼の個性かどうかは解りませんが。

だった。



88歳になっても筋肉は回復するようだ

2021-01-29 09:19:12 | コラム
88歳のリハビリの効果が現れた:

昨年の春頃から右足の膝に痛みが出始めて階段の上り下りが辛くなり、5分も歩くと脚を動かすのが少し辛くなる事もあった。一過性かと軽く考えていたその痛みが一向に引かないので、今年で言えば33年も診て頂いているクリニックの先生に診断して頂いた。結果は膝に水が溜まっていたという事で、大量のリンパ液が抜かれた。そして「なるべく無理に歩かないように」と言われて、保険適用外の立派なニーブレイスを装着するようになった。そして、「但し、このまま歩かないでいると脚が弱るので、適当な運動を」とも指示された。

しかも、それから間もなく新型コロナウイルスの感染が本格化して、先生から「貴方の循環器内科の症状から見れば、感染すれば致命的になる恐れがあるので、ジム通いは辞めた方が」と告知されて、運動の場も失ってしまった。だが、愚かにもそれほど重大事にはなるまいと高を括っていた。ところがである、昨年の第3四半期に入った頃になると、5分も何事もなく歩ければ良いほど歩行が辛くなってきた。ニーブレイスを付けていても階段を降りるのは苦痛になってきた。傘を杖代わりに使ってみても何らの効果も出てこなかった。

年が明けた頃には「このまま朽ち果てて車椅子の人生になるのか」などと想像するほど、歩くのが苦痛になった。そこで、愚息の忠告もあって、この1月の第2週の終わりから、ふと思いついて太腿に広幅の伸縮性の包帯をぐるぐると巻き付けて縛り上げて歩いて見た。すると、あら不思議テーピングのような効果が出たのか10分ほどはさして苦痛ではなく歩けるのだった。そこで、本気になって「88歳のリハビリの一環としての歩行訓練」を開始したのだった。

方法は1日目には広幅の包帯を両脚に巻いて歩き、2日目にはUnder Amourの新規に購入したCompressionのタイツで締め上げて歩き、3日目は以前に買ってあったワコールのテーピング効果があるタイツを着用する、4日目は何もせずに歩くとの形で、20~30分間の歩行継続を目指して歯はを食いしばらずに「フウフウ」言いながら我が家の周辺で人通りの少ない道を歩いて見た。ここで先ず解った事は、マスクをしている事による息苦しさがきつい点だった。これは辛かった。だが、徐々に航続距離も時間も延びるようになってきた。トンネルの向こうに灯りが見えてきた。

そこで、19日にクリニックの先生に「これで良いでしょうか」と伺いを立ててみると「大いに結構」と言って頂けたので、真冬の寒さをものともして週6日制でリハビリ歩行訓練を続けてきた。実は、当初は半信半疑どころか「88歳で衰えた筋肉が復活はないだろう」と半ば以上「無駄な抵抗」だと思って続けてきていた。しかし、案外な事に今週に入ってからはかなりスタスタと歩けるようになってきたのだ。それならばと、一昨日と昨日は何もせずにそのままで途中買い物に立ち寄ったりして、30分ほど完走ではなかった完歩出来たのだった。

これは松坂大輔の真似になるが、このままの調子で回復できれば「88歳になっても歩行のリハビリで効果が出る」との仮設は「自信から確信に変わるだろう」と信じても良いかなと思うようになってきた。正直なところを言えば「まさか復活できるとは」なのだ。そのように先が見えてきたので気分を良くして、思い立った時に室内でジムでやっていたストレッチの短縮版を5分程度やってみて、徐々に身体を慣らそうと試みている。スクワットなどは10回もやれば息が上がりかけるが、あれもこれもリハビリだと思って努めている。

この年齢になっても色々と経験できるのだと知った。もしかすると、73年前に国体の高校サッカー部の部では決勝戦で負けてしまったが、その為に鍛えてあった筋肉が復活したのかと、懐かしく思い出している。