新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月15日 その2 カタカナ語の濫用と誤用を戒める

2021-01-15 16:39:35 | コラム
何故カタカナ語を使いたがるのだろう:

「しつこい」と言われるのを覚悟で言う。カタカナ語排斥論者である私は、永年「一見英語のようなカタカナ語を無闇にというか、無定見に使うのを止めよう」と唱えてきた。改めて述べておくと、同時に「それらの言葉が最早日本語の一部と化しているのだから、使って何が悪いのかという主張には敢えて反論しないから、(格好が良いとか、英語を知っているのだと誇示したいのだからと)使いたい方を妨げる気はないからご随意に」とも言ってきた。

ところが、昨年の新型コロナウイルスの感染が本格化して以来、これまでのカタカナ語製造業者以外の「本来は濫用か乱造を担当すべきでない知的で教養もある方々が、新たなカタカナ語を機会ある毎に普及させておられるようになってしまった。誠に憂うべき現象である。それらの代表的な例挙げれば「オーバーシュート」、「ソーシャルデイスタンス」、「コロナ」、「クラスター」、「ステイホーム」、「ロードマップ」、「第~ステージ」等々である。誤用である「オーバーシュート」以外は全部日本語に置き換えられると思うので、英語擬きを使う意義はないと断じる。

等と言い出すと少し固すぎるし、何方かの攻撃のようになってしまうので、今回は極力当たり障りが少ないと希望的に考えている、一般的なおかしなカタカナ語の例を挙げてみよう。それは、多くのテレビ局と新聞等が濫用する「トラブル」である。ほとんどの場合に「揉め事」、「言い争い」、「故障」、「事故」と言いたい時に使われている。私などはその余りの濫用振りに惑わされて「はて、英語の”trouble“の本来の意味は何だったっけ」と、改めて辞書を引いたのだった。

この件では約1年ほど前に「そもそも“trouble”とは如何なる事を意味しているかが解らなくなってしまった。この件はこれまでに何度も採り上げてきた。だが、流石の私も訳が解らなくなって、あらためてジーニアス英和辞典に訊いてみた。すると、そこに先ず出てきたのは「心配、苦労、悩み」だった。「騒音の心配」があって他人を刺殺するか。「飛行機のエンジンに苦労」があると爆発墜落するのかという問題だ。」と述べていた。だが、正直に言えば、ジーニアス英和には先があったのだ。その辺りを引用してみよう。

この辞書には①として「心配、苦労、悩み」があり、②は「・・・にかんする迷惑、面倒:困難、災厄」が出ている。③は「しばしば人との/・・・に関するもめごと、いざこざ、紛争、騒ぎ、混乱、騒乱」となっているので、「金銭トラブル」のように使うのは誤用ではないかも知れない。で、④になって漸く「機械などの故障」が出てくる。嫌みを言えば「単語帳の知識がこの辺で漸く生きてきたようだ」となる。

そこで、お待ちかねのOxfordを見てみよう。解釈は数多くあるが、ジーニアス英和の③のような解釈が出てくるのは3の“something that is wrong with a machine, vehicle, etc.”である。7まで来て初めて“the Trouble”というのが出てくるが、これは北アイルランド関連のことを指しているのだった。最初に出てくるのが“a problem, worry, difficulty, etc. or a situation causing this”である。どうもカタカナ語の使われ方とは余り符合しないようだ。ここまで見てくると、英語では余り一般的に使われていない解釈を「それでも良いじゃないか」とカタカナ語にしてしまった感がある。

特に、ジーニアス英和にある「揉め事」、「言い争い」、「故障」、「事故」という解釈は、寧ろカタカナ語の使われ方を基にして載せたのではないかと疑いたくなるのだ。我が国でも良く知られている黒人の霊歌に“Nobody knows the troubles I’ve seen”というのがある。この題名は「誰も知らない私の悩み」となっている。ここで「揉め事」のような誤訳をしていなかったにも拘わらず、現在では「揉め事」と「エンジントラブル」のようにカタカナ語化されてしまったのだ。

私は矢張り我が国の「単語の記憶に偏重した英語教育の欠陥が、カタカナ語になって現れている」と思っている。しかしながら、この現象と上記のように採り上げた新型コロナウイルスに関連したカナカナ語の濫用は別問題だと思う。あれは地位と身分が上がった方々が、その点を示したい為もあって英語擬きを使いたがるのだと見ている。「ステイホーム」くらいは万人に解って貰えるだろうが、「ロードマップ」に至っては無理だったようだ。

忘れたくないのが「コロナ」である。これは間違いなく言葉の誤用で、マスコミ特に新聞は「新型コロナウイルス」が長すぎるので、勝手に短縮したのだろう。“corona”とは「光冠(太陽・月)の光環」と、ジーニアス英和にある。ウイルスの周囲に光環(コロナ)が出ているので、コロナウイルスと呼んだのだろう。それならば、せめて「コロナウイルス」か「新型ウイルス」と呼んで欲しかった。このように、不正確に英語の言葉を誤用していては、何時まで経っても国民全般の英語力は上がらないと思うよ。


マスクの着用と手洗いの励行

2021-01-15 15:05:29 | コラム
マスクと手洗いには予期せぬ副作用が:

私は新型コロナウイルスの感染から身を守る方法として推奨されているこの二つを、昨年の流行の初期以来一所懸命に守ってきた。それかあらぬか、基礎疾患を持つ高齢者は今日まで何とか感染を免れてきた。所がである、つい先日採り上げたようにマスクの紐による耳の周辺のかぶれというか湿疹というのか知らないが、痒さに悩まされてきた。それは何気なく立ち寄った薬局のポスターで原因が解り、持ち合わせのステロイド系の軟膏の塗布で食い止められた。その際、紐がゴム入りではないゆったりとした紐がついたマスクを購入して使うことにした。言うなれば偶然の産物だった。

ところがである、耳の痒さ以前に「ここが何故痒いのでしょう」と、既に掛かりつけのクリニックの先生に両手の指の付け根の湿疹を見て頂いていた。先生は上記の軟膏と保湿剤で対応しなさいという診断だった。早速その通りにしてみた。だが、余りはかばかしくなく、ついつい痒さに耐えかねてかいてしまうのだった。そこで、ふと考えたことは「これはもしかして、手を洗いすぎるせいで、これまで余り石鹸やアルコールに触れてこなかった箇所がかぶれたのではないか」だった。そして、「これは冬場の乾燥期に入った結果かな」くらいに考えていた。

だが、湿疹は中々治ってくれないのだ。そこで、ふと思い立って何年か前に国際医療研究センターの皮膚科で処方されていた痒み止めの「ドレニゾンテープ」を細かく切って患部に貼ってみた。すると、この方がステロイド系の軟膏よりも効果が挙がるようなのだ。実は、テープの袋に記された期限などはとっくに切れているのだった。それでも効果があるようなのだった。

これらの2箇所で発生したかぶれ(湿疹)が私の皮膚が弱い所為なのか、長期間続ければ誰にでも起きる現象なのか、あるいは不可抗力なのか知らないが、お医者様はそういう警告を出しておかれるべき事柄ではないのだろうかと思う。私の場合は偶々入った龍生堂で知らされたのだったが、薬局が解っていることを何故マスコミは採り上げなかったのだろうか。特に手洗いの方法はテレビでも何でも「指の間をも」と図解して報道している。「身を守る手段のコインの裏側がどうなっているか」くらいを広く知らせておくべきではないのだろうか。