ステイホームでスポーツ観戦に努めた正月:
サッカー:
元日には恒例の天皇杯の決勝戦があったが、申し訳ない次第でサッカー出身者の私がほぼ愛想を尽かしているので、ほとんど集中することなく流していた。予想も何も遠藤保仁を放出してしまったガンバ大阪には関心が薄れていたし、川崎フロンターレのサッカーが好みではなかったのだから仕方がない。
1945年というか昭和20年からWMフォーメーションの時代に蹴球部に入った私如きが、現代のような技術的に別世界にある我が国のサッカーを批判するとは烏滸がましいと承知で言うのだが、「兎に角見ていて歯痒いし、手に汗握るような緊張感がない」ので、ついつい真剣に観戦しないのだ。これまでに何度も何度も指摘してきたことで、「暇さえあれば最後陣のバックスに回して後ろの方で横パスを交換しているだけで、前線にいる連中が一向に走らず動かずでは、古き良き時代の蹴球人にはもどかしくて見ていられない」のである。
それだけのことだが、私が以前から遠藤保仁ほどではないが評価してきた中村憲剛が引退を表明した最後の試合だったにも拘わらず、最後まで1秒でも出さなかった鬼木監督とやらの「鬼」のような選手起用には腹が立った。無慈悲である。彼は我が国のサッカー界でも功労者の1人ではなかったのか。
高校の全国大会も一寸見た。その中で東京代表の関東一高のプレーの消極性が全日本代表そのままで、常に安全第一で後ろにパスを回しているのには落胆させられた。彼らは、もしかして日本代表のバックパス優先のサッカーを見て「これぞ見習うべきサッカー」と認識しているのかと疑った。あの形を許す指導者の見識も問題だと思った。
ラグビー:
昨2日に大学選手権の準決勝戦はフットボールの専門家と熱心に観戦した。チラと見ただけの家内は「皆が体格が良い」と感心したが、この台詞はそのままサッカー界に献上したいと思った。ここではラグビーの愛好家に叱られそうな極論で暴論を言えば「NHKのみならずマスコミは早稲田大学のラグビーを神聖化しており犯すベからざる聖域」とでも看做しているのではないかと疑っている。だから、対抗戦の優勝決定戦とも言える明治大学との試合で負けた時の嘆き節としか聞こえない中継の姿勢には疑問を感じていた。故に、大学選手権ではどうなるか解らないなどと言ったのだろう。
あの明治との試合は「あれほどアッサリと蹂躙された早稲田のラグビーを見たことがない」との感想を述べたほどの負け方だった。昨日の対帝京大学との試合も私には早稲田のラグビーの質の低下と思わせられた接戦だった。だが、帝京の後半になってからの早稲田のゴールラインに迫ってからの判断の悪さに救われて早稲田が勝ち上がった。だが、あれこそ「何が何でも勝った方が強いのだ」との典型的な例だと思う。帝京の判断の悪さは「あれほど早稲田が反則を重ねたのだから、点差を詰めた後で再度攻め込めば良いのだから、PKを選択すべきだったのでは」である。
もう一つの天理大学対明治大学は予想もできなかったほどの明治の惨敗だった。アナウンサーは何かと言えば古き時代の北島忠治監督の指揮の下に「前へ」という体格と力に依存した前進あるのみという戦術からとっくに脱皮している明治を「前へ」の精神でなどと言うのはおかしいと思っている。早稲田に勝った時などは綺麗にパスを展開するラグビーだった。ところが、昨日の関西の雄・天理大学は往年の明治はこうだったと思わせられそうな力業に徹していたので、洗練されたラグビーの明治から6本ものトライを獲って圧倒してしまった。
私に言わせれば、これで早稲田は目出度く選手権連覇の芽が出てきたのだが、あのトンガだったからの強力な留学生を要する天理大学を何処までいなせるかが勝敗を分ける鍵になると思う。ここでも敢えて暴論だと叱られそうなことを言えば、明治大学は早稲田に勝ったところまでが限界で、マスコミの好むところではない圧勝をした報いが来て天理大学に惨敗する結果になったのかとすら感じていた。そう言いたくなったほど、明治は天理の攻撃力に圧倒されていた。もしかすると、あれはスカウティング不足だったのではと感じていた。
箱根駅伝は未だこの原稿を書いている時点では、創価大学が勝ちきれるかどうか不明なので、後日に譲ろう。
サッカー:
元日には恒例の天皇杯の決勝戦があったが、申し訳ない次第でサッカー出身者の私がほぼ愛想を尽かしているので、ほとんど集中することなく流していた。予想も何も遠藤保仁を放出してしまったガンバ大阪には関心が薄れていたし、川崎フロンターレのサッカーが好みではなかったのだから仕方がない。
1945年というか昭和20年からWMフォーメーションの時代に蹴球部に入った私如きが、現代のような技術的に別世界にある我が国のサッカーを批判するとは烏滸がましいと承知で言うのだが、「兎に角見ていて歯痒いし、手に汗握るような緊張感がない」ので、ついつい真剣に観戦しないのだ。これまでに何度も何度も指摘してきたことで、「暇さえあれば最後陣のバックスに回して後ろの方で横パスを交換しているだけで、前線にいる連中が一向に走らず動かずでは、古き良き時代の蹴球人にはもどかしくて見ていられない」のである。
それだけのことだが、私が以前から遠藤保仁ほどではないが評価してきた中村憲剛が引退を表明した最後の試合だったにも拘わらず、最後まで1秒でも出さなかった鬼木監督とやらの「鬼」のような選手起用には腹が立った。無慈悲である。彼は我が国のサッカー界でも功労者の1人ではなかったのか。
高校の全国大会も一寸見た。その中で東京代表の関東一高のプレーの消極性が全日本代表そのままで、常に安全第一で後ろにパスを回しているのには落胆させられた。彼らは、もしかして日本代表のバックパス優先のサッカーを見て「これぞ見習うべきサッカー」と認識しているのかと疑った。あの形を許す指導者の見識も問題だと思った。
ラグビー:
昨2日に大学選手権の準決勝戦はフットボールの専門家と熱心に観戦した。チラと見ただけの家内は「皆が体格が良い」と感心したが、この台詞はそのままサッカー界に献上したいと思った。ここではラグビーの愛好家に叱られそうな極論で暴論を言えば「NHKのみならずマスコミは早稲田大学のラグビーを神聖化しており犯すベからざる聖域」とでも看做しているのではないかと疑っている。だから、対抗戦の優勝決定戦とも言える明治大学との試合で負けた時の嘆き節としか聞こえない中継の姿勢には疑問を感じていた。故に、大学選手権ではどうなるか解らないなどと言ったのだろう。
あの明治との試合は「あれほどアッサリと蹂躙された早稲田のラグビーを見たことがない」との感想を述べたほどの負け方だった。昨日の対帝京大学との試合も私には早稲田のラグビーの質の低下と思わせられた接戦だった。だが、帝京の後半になってからの早稲田のゴールラインに迫ってからの判断の悪さに救われて早稲田が勝ち上がった。だが、あれこそ「何が何でも勝った方が強いのだ」との典型的な例だと思う。帝京の判断の悪さは「あれほど早稲田が反則を重ねたのだから、点差を詰めた後で再度攻め込めば良いのだから、PKを選択すべきだったのでは」である。
もう一つの天理大学対明治大学は予想もできなかったほどの明治の惨敗だった。アナウンサーは何かと言えば古き時代の北島忠治監督の指揮の下に「前へ」という体格と力に依存した前進あるのみという戦術からとっくに脱皮している明治を「前へ」の精神でなどと言うのはおかしいと思っている。早稲田に勝った時などは綺麗にパスを展開するラグビーだった。ところが、昨日の関西の雄・天理大学は往年の明治はこうだったと思わせられそうな力業に徹していたので、洗練されたラグビーの明治から6本ものトライを獲って圧倒してしまった。
私に言わせれば、これで早稲田は目出度く選手権連覇の芽が出てきたのだが、あのトンガだったからの強力な留学生を要する天理大学を何処までいなせるかが勝敗を分ける鍵になると思う。ここでも敢えて暴論だと叱られそうなことを言えば、明治大学は早稲田に勝ったところまでが限界で、マスコミの好むところではない圧勝をした報いが来て天理大学に惨敗する結果になったのかとすら感じていた。そう言いたくなったほど、明治は天理の攻撃力に圧倒されていた。もしかすると、あれはスカウティング不足だったのではと感じていた。
箱根駅伝は未だこの原稿を書いている時点では、創価大学が勝ちきれるかどうか不明なので、後日に譲ろう。