新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月10日 その3 サルコベニアの恐怖に対応するためには

2021-01-10 17:20:17 | コラム

何処かに「ステイホーム」と繰り返して呼びかける知事さんがおられたが:

私はこのサルコベニアを「加齢性筋肉縮小症」とでも言えば良いかと思う症状の恐怖を味わっている。それは、新型コロナウイルスの感染から身を守る為に外に出て行かないので、それでなくとも衰えていく一方の筋肉、特に太腿辺りが弱っていく現象で悩まされている。それは、出歩かない生活が間もなく10ヶ月に達すると、気が付けば歩行が苦痛になってしまっている状態を指しているのだ。私は掛かりつけのクリニックの先生に「筋肉の衰えをを防ぐ為には、毎日1 kmは歩くように」と告知されていた。

実は正直なところ、往年はあれほどサッカーで鍛えてあったし、72歳までは往年の仲間とフットサルを1時間やっても筋肉痛などお濃いなかったこと、ジムにも新型コロナウイルスの感染が拡大する前までは1日置きに通って十分に運動していたので、現在ほど歩くのが厳しくなるとは予期していなかったのだった。だが、先月下旬からは太腿を伸縮性の包帯で縛り上げておかないと、1 kmの歩行はかなり辛くなってきていたので、愕然としているのだ。息子からも「リハビリの為に晴雨も寒さも忘れてウーキングをせよ」と忠告された。「何ともはや高齢者は辛いぜ」状態だ。

昨日から本気で恐る恐る歩行訓練を開始したのだが、うっかり歩き出しを往年の速度にしてしまうと、15年の心不全で辛く苦しい入院をしていた際に発生し始めた心窩部(鳩尾の辺りと言えば良いか)が痛み出して、動くのさえ苦痛になってくるのだ。この痛みは排便の後にも発生するのだが、病院で看護師さんに教えられた治療法は「蒸しタオルで15分ほど暖めること」だ。循環器科の主治医の先生は「温めて治る程度では放置する」と、取り合って頂けなかった。クリニックの先生も同じような診断だった。

本10日は頑張って1 km以上歩こうとばかりに太腿を縛り上げて歩き始めた。この寒さというか気温が低いと、身体が暖まってくる前の10分ほどはかなり苦痛だったが、何とか克服した。そして、何気なく大久保通り沿いの薬局に入ってみた。そこで大いに有り難い発見をした。それはマスクの棚に「マスクの紐の部分が耳にかぶれを起こして痒くなる」というポスターが出ていたことだった。しかも、その痒さに対応する軟膏まで発売されているとあったのだ。実は、何を隠そう私はここ2週間ほど原因が思い当たらないマスクの紐が当たる耳の辺りの湿疹に悩まされていたのだった。

考えて見れば、88年の生涯でこれほど長期間にマスクを着用していた経験がなかったので、まさかあの紐がアレルギー(なのだろうか)を起こすとは想像できていなかった。そこで売り場の女性に尋ねてみると、その湿疹に対応するマスクも発売されているし、湿疹には国際医療研究センターの皮膚科から出てる軟膏で十分に対応できると言うので、取り敢えず紐の部分がゆったりとしたマスクを購入して試してみることにした。俗っぽい言い方をすれば「犬も歩けば棒に当たる」かな、などと思った次第だ。本日の収穫だった。

この薬局に入る前には反対側のドンキホーテの中も誰ともすれ違わないように短時間歩いて見たので、帰路だけでも十分に1 km以上は歩いていた。その帰路に発見したことは、2~3年間に大久保通りに店を構えた1個¥190のメロンパンを売り物にした「東京メロンパン」が店仕舞いをしている最中だったことと、イスラム横町で最古のハラルフード店がマスクの販売を辞めていたことだった。だが、直ぐ隣のハラルフード店では相変わらず¥399で50枚入りの箱を高く積み上げて売っていた。この値段では最早誰も手を出していないのだが。

出歩けば何か収穫があるのだから、明日からはまたリハビリに励もうと固く決意はしたが、大久保度追りには未だにあれほど多くの異邦人が動き回っているでのは。矢張り恐怖感を覚えるのでコースを変えねばなるまい。更に新規に購入したマスクの効果も試してみたいのだ。最後に、知事さんに申し上げたいことは「高齢者向けに『ステイホームだけではなく、歩行訓練もお忘れなく』と日本語で仰って下さい」なのだ。


1月10日 その2 主権免除を適用せず

2021-01-10 11:32:05 | コラム
ソウル地裁の判決に思う:

去る1月8日に韓国ではソウル地裁が慰安婦の我が国に賠償を求める訴訟について「主権免除を適用せず、国際法を無視して」有罪判決を下した。私が残念であり、遺憾に思うことは「また韓国がやったか」と受け止めて、特に衝撃を感じなかった事だ。韓国のこの種の無法に対して、それほど慣れっこになって感覚が鈍ってしまっていたということだ。

これを受けて、我が国というか菅内閣は直ちに反応し、首相から受け入れらる性質ではないと抗議されたし、茂木外相は韓国の駐日大使を外務省に招いて厳重に抗議した。

この件については既にネット上では「韓国との関係は終わった」とか「日韓関係の完全な終わりの始まり」というハッキリした意見が出ていたのは、驚きでも何でもあるまいと思う。私は事態は将にその通りかと痛切に感じている次第だ。最早、ではなかった、韓国は我が国との間柄ではとっくの昔に「帰らざる河」を渡っていたと思って来たので、上記のように「また来たか」と感じただけのことだが、事態は一層深刻化したと見ざるを得ない。

昨年末に、ほんの少しだけ掃除をしていてSincere Lee氏の「沈韓論」が出てきたので、改めて視力が許す限り読み直してみた。この著作におけるLee氏の論点の一つに「韓国人に対して一度でも謝れば、謝った方は自分たちが韓国よりも下層(下位)にいると認めたことになるので、韓国人は何度でも謝罪した者を責めても良いのだと考える精神構造である」というのがあった。

即ち、河野談話と村山談話で謝ってしまった時点で「日本が自ら韓国よりも下位に落ちたと彼らは認識してしまったのである」という解説だった。それ故に、韓国の今日までの言いたい放題、無理無法を要求し放題があるのだと指摘しているのだった。私は大分以前に「この韓国の態度では国交断絶を考えるしか対策がないのかも知れない」と言った覚えがあるが、彼らはかかる国際法も国際的な条約をも守らない事で、我が国とアメリカとの関係を断ってでも中国の傘下に入りたいと言っているのと同じなのだ。だが、今回の判決はそこまでの方針に基づいているか否かは不明だ。

私が思うには、今回の判決は朴槿恵前大統領が「恨みは千年経っても消えない」と言ったような、反日感情と法律よりも上位にあるとされる感情論が又ぞろ現れたのだろう。即ち、Lee氏が唱える「一度謝罪した者に対しては如何様にも強硬姿勢で臨んで良いのだ」が、具体化されたのかと思っている。私は問題は菅首相と茂木外相が何処まで腹を決めて、この無法な判決に対応し続けて行かれるかが最も重要な点ではないかと考えた。

茂木外相が直ちに青瓦台に飛んで行かれたらどうかと思ったりしたが、ソウル便は運航しているのだろうか。中国がWHOの調査団の入国を拒否したように、韓国が茂木外相の入国を拒否するのではないかなどとふと考えた。何分にも、彼らには嘗て新藤義孝氏の入国を拒否した実績があるので。


時短営業どころか期間中は閉めてしまうのだそうだ

2021-01-10 10:33:49 | コラム
ある寿司屋さんの決意:

昨9日は醤油の在庫を切らしたというので、近所まで買いに出た序でに「もしかしてまた閉めているかも知れない」と懸念しつつ、ここ百人町で50年近く商売を続けているという夫婦でやっているお寿司屋さんに行ってみた。この店は昨年4月の緊急事態発言発令の際には、その有効期間中は閉店していたのだった。ところが、昨日はチャンと暖簾が出ていたので、今年になって初めての外食を楽しんだのだった。入り口には「1月10日から2月7日まで閉めます」との貼り紙がしてあった。

女将さんに「もう閉まって切るのかと思った」と尋ねて見ると、「仕入れをしてしまった後の急な発令だったので在庫があり、今日まで営業することにした」との解説だった。閉めてしまう最大の理由は「午後8時までの営業では商売にならないので、いっその事前回と同様に閉店してしまえと決めた」のだそうだった。勿論、「ウイルスに何時感染させれるか解らない恐怖感も判断の根拠」だそうだった。夫婦2人であれば雇い人の人件費の心配もないだろうから決断できたのだろうが、小池さんや西村大臣が聞けば、さぞかし喜ぶような潔さではないか。

この事例のみに基づいて言う訳ではないが、東京都内の感染者の激増は確かに脅威である。だが、強いて安心出来そうな材料を挙げてみれば、現在に2千人台にある感染者たちは昨年のクリスマス騒ぎの前後にウイルスを浴びたのであって、正月休み以降の感染者数は希望的観測では減って然るべきではないかと思っている。現に、ある大学教授も同様な指摘をしておられた。だが、少なくとも、テレビのニュースに見る都内の盛り場の人の動きは、未だ未だ若者たちは楽観視しているのではないかと疑わせてくれるので不安だ。

先ほども、フジテレビに出演しておられた田村憲久厚労大臣には不満を感じざるを得なかった。この方は厚生労働省の業務に精通された2度目の大臣就任だと報じられたと思う。だが、既に繰り返し指摘して来たことで、この方は言わば長広舌を振るわれるだけで「何を言いたいのか」が判然としていないので困るのだ。悪化する一方の状態を如何にして裁き、ウイルスを制圧するかを模索中なのだと語っているだけのようなのだとしか、私には聞こえないのだ。

今朝もコメンテーターだと自らの立ち位置を強調される橋下徹氏に「法律的にかくあるべし」と責められても「何故そうは出来ないか」と、出来ない理由を並べ立てるだけで、キチンと答えていなかった。この辺りは政府が確固足る制圧策を未だ見出していない証拠のように聞こえたのは遺憾だった。そのような優柔不断な様子では、期間中は閉店するお寿司屋さんの決断に報いられないのではないか。

西村康稔担当大臣は常に「専門家と分科会の意見を聞いて」と逃げるのだが、田村憲久厚労大臣は「出来ない理由を延々と述べる」だけでは、私は如何ものかと思う。橋下氏は「前例がない事態だから仕方ない面もあるが」と慰めていたが、それで済む事態ではあるまい。