少し気分を変えて相撲の話題を:
相撲嫌いを標榜している私だが、今回はCOVID-19関連のような暗い話題を離れて、偶には相撲でも語ってみようかと考えた次第だ。
私が相撲を嫌う理由は幾つかあるが、直ちに思い浮かぶのがNHKを始めとしてあらゆる報道機関が相撲を「スポーツ」の範疇に入れていることで、相撲そのものの問題ではないのだ。私は成人してから相撲を実際に見たのは1994年1月に業界の知人に招待して頂いて桟敷で観ただけなのだが、決してその経験だけから嫌っているのではない。その時に確認したことは「これはスポーツではなく、明らかに歴史と伝統に輝く古式豊かな興行である」との点だった。何処の世界に桟敷席に座って飲食しながら観戦する競技があるかと言うこと。あれは「興行」の範疇に入れるべきだ。
第2はその練習法というか力士たちの鍛え方である稽古には歴史と伝統こそあるが、現代風の乃至は合理的な要素が見受けられない点だ。そこに最近のようにひたすら体重を増やして100 kg以上どころか150 kgにも垂んとするように体重を増やしていくのは、力士の健康面から考えると如何なものかと言いたくなるのだ、しかもあの食生活では糖尿病患者の温床ではないかと危惧するものだ。一般的な世界ではウエイトトレーニング等で筋力と体重の増加を図るのが普通であって、相撲界のような食生活はしないものだ。
第3には今を去ること50年以上も前に、故小林貫二氏(記憶が正しければ元NHKの運動部長で、中学の2期上の方)から教えられたことは「世間では相撲界の風習や仕来りや協会の営業方針が古いの封建的だ等との批判がある。だが、それは的外れである。何となれば、相撲界には江戸時代から築き上げてきた独特の文化があり、一般社会の常識からその文化を批判すること自体に意味がなく、正当性もないのだ。彼らの文化を認めて、それを基にした観戦をして楽しむのが筋だ」であった。それならば、私の好みではないだけのことだ。
ところで、大関・貴景勝である。場所前にはマスコミは「綱取りの場所」と囃し立てていた上に、白鵬と鶴竜の2人の横綱が休場では前場所と同様に、貴景勝に優勝の可能性が高くなるものなのだ。相撲が好みではないと言う私は、滅多に相撲の中継は見ていないが、偶には夕方のニュースが何処の局でも似たり寄ったりなので、相撲にチャンネルを合わせていることもある。その時刻になると上位の力士たちが出てくるので、自然に貴景勝を観察する機会も出てきていたのだ。
そこで奇異に感じたことが2点あった。先ずは「彼はほとんど組むことがなく、終始一貫突っ張りとそれに伴う前進あるのみで、極言すればノーテクの相撲に見えること」がある。次は彼のカタカナ語にすれば「パフォーマンス」では好調と不調が場所毎に入れ替わって出てくることを指摘したい。従って前場所で横綱が不在の虚を突いて優勝してしまった以上、今場所は不調となってくる訳だ。事実、初日から三連敗した不調振りには全く気迫もやる気も見えてこなかったのだ。当人は納得できない表情で転がるのだが、、あれではまるでバイオリズムの下降期にあるとしか思えない。
しかも相撲協会が安全を期して全力士にPCR検査を受けさせたのは良かったが、大量の陽性者が出てしまったので、テレビに見る限りでは何となく全員がおっかなびっくりで場所を務めているようで、盛り上がりがないように見える。このウイルス感染が拡大の一途を辿っている東京都内で場所を挙行したことの苦労と意図は解らないでもないが、私には危険な賭のようにしか見えなかった。折しも「緊急事態宣言が発出」された時期であり、1人でも来場された方から感染者でもでられれば、協会はどうやって責任を取るのだろう。身内の安全だけが課題ではあるまいに。
私はここ新宿から両国までJRに乗っていこうという勇気の持ち合わせはない。高齢者だけではなく若者にとっても危険な時だ。このまま場所で事故が起きず、貴景勝が気迫とやる気を取り戻せて、角番などに追い込まれずに場所が終われば、協会も一安心だろう。協会はNPBが2月1日からのキャンプ入りを延期している事をどのように受け止めたか尋ねてみたい。それが常識と思わせる新型コロナウイルスの感染拡大が怖い。結局、重苦しいウイルスの話題になってしまった。申し訳ない。
相撲嫌いを標榜している私だが、今回はCOVID-19関連のような暗い話題を離れて、偶には相撲でも語ってみようかと考えた次第だ。
私が相撲を嫌う理由は幾つかあるが、直ちに思い浮かぶのがNHKを始めとしてあらゆる報道機関が相撲を「スポーツ」の範疇に入れていることで、相撲そのものの問題ではないのだ。私は成人してから相撲を実際に見たのは1994年1月に業界の知人に招待して頂いて桟敷で観ただけなのだが、決してその経験だけから嫌っているのではない。その時に確認したことは「これはスポーツではなく、明らかに歴史と伝統に輝く古式豊かな興行である」との点だった。何処の世界に桟敷席に座って飲食しながら観戦する競技があるかと言うこと。あれは「興行」の範疇に入れるべきだ。
第2はその練習法というか力士たちの鍛え方である稽古には歴史と伝統こそあるが、現代風の乃至は合理的な要素が見受けられない点だ。そこに最近のようにひたすら体重を増やして100 kg以上どころか150 kgにも垂んとするように体重を増やしていくのは、力士の健康面から考えると如何なものかと言いたくなるのだ、しかもあの食生活では糖尿病患者の温床ではないかと危惧するものだ。一般的な世界ではウエイトトレーニング等で筋力と体重の増加を図るのが普通であって、相撲界のような食生活はしないものだ。
第3には今を去ること50年以上も前に、故小林貫二氏(記憶が正しければ元NHKの運動部長で、中学の2期上の方)から教えられたことは「世間では相撲界の風習や仕来りや協会の営業方針が古いの封建的だ等との批判がある。だが、それは的外れである。何となれば、相撲界には江戸時代から築き上げてきた独特の文化があり、一般社会の常識からその文化を批判すること自体に意味がなく、正当性もないのだ。彼らの文化を認めて、それを基にした観戦をして楽しむのが筋だ」であった。それならば、私の好みではないだけのことだ。
ところで、大関・貴景勝である。場所前にはマスコミは「綱取りの場所」と囃し立てていた上に、白鵬と鶴竜の2人の横綱が休場では前場所と同様に、貴景勝に優勝の可能性が高くなるものなのだ。相撲が好みではないと言う私は、滅多に相撲の中継は見ていないが、偶には夕方のニュースが何処の局でも似たり寄ったりなので、相撲にチャンネルを合わせていることもある。その時刻になると上位の力士たちが出てくるので、自然に貴景勝を観察する機会も出てきていたのだ。
そこで奇異に感じたことが2点あった。先ずは「彼はほとんど組むことがなく、終始一貫突っ張りとそれに伴う前進あるのみで、極言すればノーテクの相撲に見えること」がある。次は彼のカタカナ語にすれば「パフォーマンス」では好調と不調が場所毎に入れ替わって出てくることを指摘したい。従って前場所で横綱が不在の虚を突いて優勝してしまった以上、今場所は不調となってくる訳だ。事実、初日から三連敗した不調振りには全く気迫もやる気も見えてこなかったのだ。当人は納得できない表情で転がるのだが、、あれではまるでバイオリズムの下降期にあるとしか思えない。
しかも相撲協会が安全を期して全力士にPCR検査を受けさせたのは良かったが、大量の陽性者が出てしまったので、テレビに見る限りでは何となく全員がおっかなびっくりで場所を務めているようで、盛り上がりがないように見える。このウイルス感染が拡大の一途を辿っている東京都内で場所を挙行したことの苦労と意図は解らないでもないが、私には危険な賭のようにしか見えなかった。折しも「緊急事態宣言が発出」された時期であり、1人でも来場された方から感染者でもでられれば、協会はどうやって責任を取るのだろう。身内の安全だけが課題ではあるまいに。
私はここ新宿から両国までJRに乗っていこうという勇気の持ち合わせはない。高齢者だけではなく若者にとっても危険な時だ。このまま場所で事故が起きず、貴景勝が気迫とやる気を取り戻せて、角番などに追い込まれずに場所が終われば、協会も一安心だろう。協会はNPBが2月1日からのキャンプ入りを延期している事をどのように受け止めたか尋ねてみたい。それが常識と思わせる新型コロナウイルスの感染拡大が怖い。結局、重苦しいウイルスの話題になってしまった。申し訳ない。