新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

ひと言

2022-01-29 09:32:05 | コラム

あれやこれやと:

 前髪:

何時だったか、NHKのBSで毎週放映している「クールジャパン」(Cool Japan NetworkでCJNとも称している)で「日本の多くの女性に見られるヘヤースタイルの前髪を垂らしていることが外国人に与える違和感」が取り上げられていた。因みに、この番組には多くの外国から来ている人が登場して全て英語で進行し、司会は鴻上尚史氏である。そう聞かされて、初めて気が付いたのだが、我が国では多くの女性が前髪を垂らす髪型をしているが、白人の世界では先ず見かけないスタイルだった。

そこで、番組では街頭で多くの女性に「何故、そういう髪型を選んだのか」と問いかけるのだが、記憶では「小顔に見えるから」という答え(理由)が多数派だった。「なるほど、所謂『女心』とはそういう所に行くのか」と思って聞いた。余談の部類だと思うが、家内は永年の「額出し」派であり「そういう考え方があったのかしら」という程度の反響。

この話を聞いていて「前髪」を英語では何と言うのかなばかりに調べてみた。すると、英連合王国では“fringe”であり、アメリカでは“bangs”と言うようだった。序でのことになるが「髪型」は女性の場合には“hair do”で、hair styleは男性のことなのである。

譜面台にタブレット端末が:

これは、先日も採り上げたTBSの早朝番組である「The Time」で発見したこと。女性のピアノタレントさんは譜面台にタブレットを置いて演奏していたのだった。「なるほど。こういう時代になったのか」と、少しだけ感じ入っていた。タブレット端末には沢山の曲の楽譜が入力できるだろうから、最近横沢と滝藤が演じているCMで「未だ紙の請求書か!」と聞き捨てならぬ事を言っていたが、タブレットにすれば紙に印刷された重たい楽譜を持ち歩く必要もないのだろうと、理解してしまった。

何故、直ちに理解してしまったかと言えば、1994年のリタイア後に親しくしていたアメリカ人のオーケストラの指揮者が編曲をするときに、既にPCを使っておられ「この道具がなければ膨大な時間と五線紙を使わなければならなかった」と、文明の利器を賞賛しておられ、私にもPCの導入を強く薦められたからだ。そういう事があったのだから、譜面をタブレット化したのは当然のITC化の流れだと受け止めたのだ。なお、私のPCへの転向はその9年後の2003年だった。

カンニング:

先ほども、テレビでは大学入試センター試験(というのな)での女子大学生のスマートフォンを使った不正行為(カンニングの部類に入るのかな)を詳しく取り上げていた。私はICT化が進んだことの「コインの裏側」の事案だと受け止めている。ところで、この「カンニング」(=cunning)という英語の単語には所謂「カンニング」という意味はないのである。私は「狡い手段を用いるのだから、そういうのだろう」と解釈していた。念の為に触れておくと、ジーニアス英和には「・・・について悪賢い、狡猾である」が真っ先に出ているのだ。

英語で「カンニング」を何と言うのかと、和英辞典や英辞郎等を見ると素っ気なく“cheating”が出てきた。私はこれまでに「カンニングを英語にしたら」を余り深く考えたことがなかったので、多分「不正」か「不法な」の意味の“false”でも使うのかと想像していた。“cheat”はジーニアス英和には「自分の利益のために人を騙す、欺く」が最初に出ている。確かに「カンニング」はその通りの行為かなと思った。

カタカナ語製造業者がどこで勘違いをして「カンニング」としてしまったのか知らないが、falseもこの勘違い的な使われ方と関係がある。実は、陸上競技等の「フライイング」は日本語であって、こんな英語はないのだ。英語では“false start“なのである。即ち、「不正なスタート」だったのだ。だが、”flying start“という英語は存在するのだ。それは、出発の線の後から出走を開始して走り始め、その線を通過した時から時計が動く方式なのだそうだ。これも製造業者の勘違いスタートで、カタカナ語化されてしまったようだ。

ズームイン:

これは日テレの番組名で「ズームインサタデイ」(ズムサタ)は、土曜日の朝5時半から流されている。私はこの番組が出てきた頃には「ズーム」とはカメラにズームレンズという大きな器具を付けて撮る「接写」のことかなと思う程度の認識だった。そもそも“zoom”はジーニアス英和には「ブーンという音を立てる」と「物価などが急に上がる」と出ているのは承知していた程度で、日常的に使われたのを聞いた記憶もなかった。それなので、日テレがまたカタカナ語を創り上げたのかと、一瞬考えた程度の関心だった。

今朝も4時に起きてから「ズムサタが画面一杯に並べる朝刊各紙から何を取り上げるか」というだけの興味で、チャンネルを合わせた。そこで、試みに“zoom in”という熟語があるのかと調べてみれば、zoom outとzoom inの両方があると判明した。日テレの造語ではなく、英和辞典にも載っている表現だったのだ。我が身の浅学非才を恥じた次第だった。負け惜しみ的な結論を言えば「だから、カタカナ語は厄介なのだ」なのである。

筆者注:件名の「ひと言」は2000年までの4年間業界の専門誌に掲載の機会を与えられたコラムの題名から借用した。