新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月24日 その2 現代の流行り歌の旋律(調べ)は案外に綺麗だった

2022-01-24 16:31:59 | コラム
街角ピアノとThe Timeでの演奏を聴いて:

昨23日にチャンネルを合わせたNHKのBSでは「駅ピアノ」ではなく「街角ピアノ」で、金沢市の何とかいう場所に設置したピアノを、通りすがりの色々な人たちが演奏するのを聞かせてくれた。なお、見出しに掲げた“The Time”はTBSの早朝4時半からの番組というのかニュースショー(なのだろう)で、冒頭にピアノタレントという耳新しい職業の人がピアノを演奏し、更に番組中で視聴者からのリクエスト曲も演奏するという仕掛けだ。

私は以前にも取り上げたことで、NHKの「駅ピアノ」はなまじっか地上波にチャンネルを合わせて、COVIDというのかオミクロン株の脅威をこれでもかと言わんばかりに専門家という名の大学教授にご登場願って強調されるのを聞くのが鬱陶しいので、極力敬遠している。そして、自分なりに「ウイルスを正しく理解して、正しく怖れて、正しく対策を講じるように努めているつもり」なのだ。その点では駅ピアノでアメリカやヨーロッパの人たちが自分たちの音楽を楽しみながら演奏するのを聴いて、現代風に表現すれば「癒やされている」のだ。

早朝のThe Timeでのピアノ演奏はやや趣が違うが、流行歌の旋律(調べというか英語風にいえば「メロでイー」)には「案外に綺麗なものだな」と認識させられている。私は古き良き昭和時代の藤山一郎、東海林太郎、淡谷のり子、渡辺はま子等の正統な発声で歌うお行儀が良かった歌手たちと、現代の素人に毛も生えていないようなシンガーソングライターとやらいう連中や、ミーハーに受けている歌手たちとは別個の音楽だと思っているので、聴こうとも思わないし、その気になって聴いたことがない。現に、紅白歌合戦などは半世紀以上も聴いてない。

その点では、何年前のことだったか、桑田佳祐の曲を「下品だから聴かない」と決めつけて「名曲を何と言うのか」と「頂門の一針」誌上でお叱りを被ったことがあった。ましてや、EXILEその他などという合唱団というか舞踏団などは、マスコミ報道でその存在を承知している程度だ。

ところが、である。そういう私が流行歌と決めつける曲を昨日のように、The Timeでというのか、歌を抜いた曲だけを聴くと「何だ。案外に綺麗なものではないか、音域が極めて狭いという点を除けば」と思って聴いていた。いや、正直に言えば「見直していた」のだった。

その旋律が綺麗だと聞こえた訳は、もしかするとピアノタレントの方々の技量の所為だったかも知れないが、折角綺麗な音を選んで紡いでいたのに、そこに何も「歌詞」などという名に値しないようなお話しを付けるとか、やたらに英語風な横文字を入れるとか、余計なことをいないで曲だけを聴いて貰うことに専念すれば良かったのではと思って聴いていた。彼らが創り出す旋律は嘗てのようにマイナーではなく明るいのは、とても良いのではないかとすら感じていた。

そうやって批評をするからには、もしかしてその気になって聴いているのではないのかと疑われそうだ。決してそんなことはないのだ。家にいる時間が長くなる一方の昨今のウイルスの状況では、民放のテレビにチャンネルを合わせていれば、否応なくジャニーズでも誰でも売れている連中の歌をCM等までを含めて、これでもかと聞かせて貰えるのだ。最後に一言添えておけば、「現代の流行り歌には、酒だの涙だの別れだの駅だの港などが出てこないで明るいので聴きやすい」のが良いと思う。


我が身を守るストーイックな生活態度:

2022-01-24 08:52:50 | コラム
心筋梗塞から我が身を守るストイックな生活態度:

昨夜、カレンダーを見ていて気が付いたのだったが、去る16日(日)は何と2006年の第1回目の心筋梗塞発症の16回目の、余り記録したくもない記念日だったのだ。何の意味もないが16日の16回目であり、その16回目が同じ日曜日だったということ。陳腐な表現で申し訳ないが「短いようであり長くもある16年だったし、悠々と楽しめるかと何となく期待していた余生を変えられてしまった出来事」だった。

どのように変わったかを振り返ってみれば「2006年以降は極力夜の外出は避け、心臓に負担がかかるだろ走ることは仮令短距離でも避け、看護師さんに教えられた血管を収縮させる作用があるカフェインを摂らない(ということは好きだったコーヒーは精々1日に一杯かデイキャフェのみとする)、心臓に負担がかからないように体重が増加しない食生活を心掛ける、長時間の公共交通機関の利用はしない等々」だ。

上記以外には、2015年の2度の心不全による入院後には「減塩、減脂肪」の食生活を1年ほど続けた。因みに、3回の心筋梗塞から生き伸ばして頂いた結果で、3本の冠動脈に合計7本のステントが入っている。言うなれば、そのステンとのお陰で生きているという事になる。

とは言うものの、2011年の11月までは医師の許可を取ったり取らなかったりという具合で、海外旅行もしていた。だが、2013年の第2回目の発症後にはそれまで10年も続けてきた専門出版社から依頼されていた海外ニュースの翻訳も辞退したし、パスポートの更新も諦めることにした。だが、生き甲斐としてきたブログの毎日更新と、渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」への投稿は止むを得ざる場合以外には続けてきた。

心筋梗塞の恐怖はといえば、何時如何なる体調の時に襲ってくるのかは予測不可能であるという点だ。即ち、「今日は体調が良くないな。何かが起きるのかな」などと感じているときに発症したことがなかったのだ。1回目の時は自分にも油断があったかも知れないが、2日前の金曜日には商社マンと昼食会をやっていたし、土曜日には何時通りにジムでストレッチ、軽いウエイトトレーニング、ウオーキングをこなしてから入浴して帰宅していた。

尤も、前年の12月には2,000m以上の高地であるグランドキャニオンに行っていたのだった。1回目に救急車で搬送された国立国際医療研究センターの循環器内科で処置して頂いた医長先生には「グランドキャニオンで発症していても不思議ではなかった程悪い状態だった」と指摘された。このように心筋梗塞は気をつけていても、ある日ある時に突然襲ってくるものだと経験から解っているので、偽らざる所をいえば「今でも毎日ヒヤヒヤしながら過ごしている」状態なのだ。

これまでは3回とも自分の家の中で家内が見ているまえでの発症だったのだし、意識があったので自分で救急車を手配できていた。だが、最初の入院の時には同室の患者さんが「都内で移動中に発症して公園のベンチに座って休んでいながら通行人に助けを求めても、酔っ払いと誤認されて無視されていた」と回顧された。この発作は一過性の痛みであり、それが治まった後は痛覚がなくなっているので普通に動けるし、健常者のように見える欠陥(?)があるので怖いのだ。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の喩えもあるが、私は何としたことか16回目の記念日を忘れていたほど迂闊だったのは、甚だ宜しくないと昨夜から反省しきりなのだ。ストイックな生活態度を忘れてはならないのだ。