ジョセフ・バイデン氏を選んだアメリカ:
YM氏とも語り合ったことは、現在のバイデン大統領率いるアメリカが低迷しているかの印象が濃厚であるのは、アメリカの知識階級というか支配階層に属する企業社会を牽引している人たちが、反トランプ派と言うよりも「嫌トランプ」だったのが主たる原因だったのだろという点だった。
私も20年以上も彼らの一員として彼らと共に過ごしていたので「彼ら支配階層とは」を体感できたのだった。その経験から言えることはといえば「彼らはトランプ流の政治を真っ向から否定するのではなく、相当程度肯定的に見ていたのだが、彼らにとっては彼のお行儀の悪さ(人柄の悪さ?)と、公式の場で平然とswearwordを使って彼の支持層に語りかけることなどは到底看過できなかったのだろうと見ている。特に、彼らの常識であるswearwordの濫用などは、如何なる事情があっても許さない非常識な振る舞いだったと思う。
私のメル友の中にも「我が国はアメリカの庇護国であるので、そのアメリカの大統領を批判するのは絶対に許さない」という田久保忠衛氏の主張に従っておられた方もあった。私はその主張にも一理はあるとは認める。だが、アメリカの支配階層にある大手企業の幹部たちには、トランプ前大統領は上述の理由があって全面的に受け入れられていなかったのだと見ている。誤解を怖れずに言えば「こういう感覚は、彼らの中で過ごした経験がないと身に付かないのだ」と思っている。
私がアメリカでは5%にも満たない少数派だと認識している企業社会を支配している所謂エリートたちは、そうとは知りつつも彼らなるが故にトランプ氏を毛嫌いしたのだと考えている。それ故に彼らは「トランプ氏以外なら誰でも」と、本来は共和党支持者のはずだったにも拘わらず、トランプ氏を否定する側に回ってしまったと読んでいる。
そして、結果として選んだバイデン大統領の統治能力がそれほど思わしくないと判明しても、今更批判することもできないというデイレマに陥っているようにも見える。昨日紹介したIntelの精鋭の言い方にも、その苦しさが見えていたように読めるのだ。
私はバイデン氏もトランプ氏もあの高齢であることを些か奇異に感じている。それは、私が転出した1970年代のアメリカの企業社会では、ごく当たり前のように"Forty out.”と言われていて、「40歳で然るべき地位に昇り着けていなければ諦めろ」というのが常識だった。その世界に、私は迂闊にも39歳で入って行ってしまったのは、当時でも反省材料だった。私の生涯の最高の上司もMBAではなくとも42歳で副社長に就任した。だが、それでも一般的な常識では「遅い」とされるのだった。
我らのジョージ・ウエアーハウザーは39歳で就任したCEOを、65歳で降りていたのだった。70歳台の大統領が2代も続くアメリカを見ていると、私が1994年1月末でリタイアした後のアメリカでは、矢張り何かが変わったのかという感を禁じ得ない。だが、何処がどれほど変わったかは、ここに居ては具体的に見えてこない。