新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日本とアメリカの企業社会における文化の違い

2022-06-13 08:40:05 | コラム
今回は回顧談である:

日経新聞の「私の履歴書」で住友林業の矢野氏がウエアーハウザーのドン・ラッシュ(Don Rush)に触れておられたので、ラッシュについて回顧してみようと思った次第だ。彼は私とは違う林産物部門の有名は実力者だったので、親しくして貰っていた間柄ではないが、以下のように語り合う機会があったのだった。念の為に付記しておくと、私は紙パルプ部門の日本駐在マネージャーだった。

あれは1977年だっただろうか、アメリカに出張する為に出掛けた羽田空港の国際線の待合室で、帰国するところのラッシュに出会ったのだった。結果として、シアトルまでの9時間ほどのかなりの部分を彼と語り合って過ごしていた。

彼は木材部門の統括の責任者であるCEOのジョージ・ウエアーハウザーに次ぐ#2の地位にあったSenior vice presidentのチャーリーとの長期の等南アジア諸国から日本への出張を終えて、帰国するところだった。彼は我が国の木材製品の市場を開拓し成長させた実力者で、社内でも所謂「日本人殺し」として広く知られていた。

その彼独得の手法については別途機会があれば触れるが、ここに取り上げることは「アメリカの大手企業で責任ある地位に就けば、どれほど強行スケジュールをも厭わずに世界中を駆け巡らねば職責を果たせないのだ」という辺りである。ラッシュは問わず語りで今回の出張がどれほど大変だったかを語ってくれたのだった。私にとっては思いがけない展開だった。

彼らチャーリーと2人が香港から最終目的地の日本に向かう前に、ラッシュは「日本では到着する翌日が休日(national holiday)だったことをチャーリーに告げた、「それならば1日休息日にしよう」と言ってくれることを期待して。そこまでは、非常な強行日程で寝る間も惜しんで動き回ってきていたので、「やっと休めるか」と考えていたそうだ。

所が、チャーリーが言ったことは「それならば、明日は木材関係の全スタッフを集めて日本市場の現状報告と、今後の方針の討論会にしよう。直ちに東京事務所に電話せよ。休日であれば電話もかからないし、来客もないから心ゆくまで討論が出来るじゃないか」だったのだそうだ。ラッシュは「何という無慈悲なことを」と心の中で慨嘆したが、口から出たのは「チャーリー、それは素晴らしいアイデイア。是非やりましょう」だった。そう言った自分を呪ったそうだ。

チャーリーはハーバードの法科大学院出身の博士で、36歳でジョージに次ぐ#2の地位にまで昇っていた自称「天才」だった。確かに何度か東京でのスタッフ・ミーテイングなどで接した限りでは物凄い頭脳の持ち主であることは十分に認識していた。また、彼が無類の働き者で、そのスケジュールなどは常人がこなせるような性質ではないとも方々から聞かされていた。

現に、この時も最終日の夜の得意先との会食を終えてから、当時は羽田から21時に出ていた便でサンフランシスコに行き、そこに待たせてあった会社のジェット機でニューヨークの会議に出掛けただそうだった。彼らにとってはこれくらい当たり前のことだ。

ラッシュと色々と語り合って4時間ほどが過ぎた後で、彼は「ここまでにしよう」と言った。それは「今から今回の出張報告の原稿を書かねばならない。何故ならば、この報告を本社に出勤した直後にタイプアウトさせてチャーリーのデスクの上に置いておくのが、我が事業部内の決まりだから」と言うのだ。確かにシアトル到着までに書き上げていたようだった。

シアトルに到着して「自分は本社に直行するが、君はどうする」と訊かれたので「先ず、ホテルに入って本部から迎えが来るのを待っている。何故なら私は車の運転が出来ないから」と伝えた。すると「では、そのホテルまで送ろう」と言って、空港の敷地内にある我が社の駐車場に行って、出張前に駐車しておいた彼の車で送って貰えた。別れ際に彼がしみじみと言ったことは「君たちは紙パルプ部門所属で良かったな」だった。

ここまで読まれた方の中には、私がラッシュからあれほど泣き言に近いことまで言わせたのは、余程親密な関係だったのではないかと思われたかも知れない。実際には言うなれば、ほぼ初対面に近い関係で、単に同じ会社の社員であるというだけ。

これは自慢でも何でもないことだが、私には全く自覚していない何かがあるようで、多くの方が「何で、貴方にこんな事まで打ち上げるのかな」と屡々不思議がられたのだ。時には人事問題のような「社外秘」のようなことさえ聞けることがあるのだった。ラッシュも私に気を許す何かを感じたのではないかと思っている。

アメリカの組織では何もかも一人でこなしていかねばならないように出来ているし、ラッシュが出張報告を直ちに作成しなければならないと言ったように、如何なる場合にも「何時、何処で、何をしたか」の記録(証拠?)を綿密に残しておかねばならないのである。そういう次第であるから「リポートの提出はmust」なのである。