欣喜雀躍するほどのことだろうか:
我が国はUnited Nations(国際連合)のSecurity Council(安全保障理事会)のNon-permanent member country(非常任理事国)に目出度く12回目の選出をされたと報道されていた。議場では我が国の代表者のお二方が両手を挙げて歓喜を表現していた。結構な事だとは思う。
毎日新聞のニューヨーク駐在の隅俊之氏の記述をそのまま引用するとNon-permanent memberとは「安保理は、法的拘束力がある決議を採択し、経済制裁や武力行使などの強制措置を取ることもできる唯一の機関。決議の採択には15カ国のうち9カ国以上が賛成し、常任理事国の5カ国が拒否権を行使しないことが条件になる。非常任理事国に拒否権はなく、連続しての再選は認められない。」とある。
私は烏滸がましくも、UNのように未だに敵国条項を残している組織は無用の長物であると見ている不信論者である。時恰もSecurity Councilの改革論が声高に叫ばれているにも拘わらず、拒否権も何もないNon-permanent memberに選出された事にどれほどの意義があるのかと思っている。現に、中国とロシアはDPRKの非難決議に対して拒否権を発動したではないか。
情けないと思う事は、我が国では未だに外国、特に白人が支配する国を必要以上に有り難がり、尊敬している点なのだ。戦後70年以上を経た21世紀にあっても、大谷翔平のように誰かが海外で大活躍するか、何らかの国際的に権威がある受賞をすると、我が事のように歓喜するのだ。そう言う輩には「もっと我が国には諸外国よりも優れている人材が豊富だし、彼らに優る点が多々あるとの事実を認識せよ、無闇に卑下するな」と言ってやりたい。
私がここに挙げるまでもなく「UNや何とか理事会の議決にどれほど効力が無かった事が何度も立証されてきたか」なのだ。重ねて言うが「外国がそれほど有り難く、敬うべき存在なのか」なのだ。敢えて言うが、20年以上も外国人の世界で過ごしてきたからこそ言えるので、「我が国とその国民は世界の何処に出しても諸外国に負けている点などない」のである。自分が生まれ育った国に「必要にして十分な誇りを持とう、いや持つべきなのだ」である。
終わりに、矢張り英語の問題に触れておこう。何処の何方が最初に訳されたのか知らないが、「国際連合」、「安全保障理事会」、「常任理事国」、「非常任理事国」は何と言って評して良いか解らない「素晴らしい意訳」であると断じたい。英語の表現の何処を探しても「国際」に当たるinternationalは出ていないし、「理事」に相当する英語の単語はみつからない。
敢えて想像を逞しゅうすれば、United Nationsを何とか箔を付けた日本語にして、それに加盟できた事を権威付けたかったのではなかろうか。未だに忘れられない事は、ある国会議員がUNを評して「田舎の信用組合みたいな存在」と言って大顰蹙になった事だ。何度でも言うが、「自分が生まれ育った国に誇りを持とう、外国を必要以上に崇め奉るな」である。