新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月3日 その2 オリックスの日本シリーズ連覇危うし

2023-11-03 15:07:35 | コラム
第5戦敗戦の責任はひとえに中嶋聡監督の采配にあり:

昨夜は阪神が勝つことにして観戦していた。それは、どちらかに少しでも肩入れしていないと、ハラハラドキドキしながら観戦するスリルを味わえないからだ。試合の流れは先発の両左腕投手の好投あり、鮮やかなホームランあり、ダブルエラーあり、阪神の大逆転攻勢ありという具合で充分に楽しめた死面白かった。

田嶋大樹は悪い投手ではないと一定以上の評価はしていたが、まさか150km超の速球までを駆使して7回まで阪神をゼロに押さえ込むとは、少なくとも私は想像もしていなかった。あれほどの出来映えとあっては、中嶋監督も(コーチも)さぞや「替え時」に悩んでいるのではないかと観察していた。結果的には監督が「継投策」を誤ったことが最大の敗因になった。

中嶋監督の失敗はそれだけではなかったと断じて良いだろう。その一つは「二塁で使っていたゴンザレスは良い守備をしていたのに、頓宮を引っ込めて足立を二塁に入れて一塁に回したのは、直感的に「得策ではない?」と疑問に感じていた。

その直後に、ゴンザレスは強いゴロを上手く裁いてくれたが、足立は内野安打と記録されたゴロを一塁に暴投。そこから悪夢が始まってしまった。阪神にとっては幸いにも「閃き」が当たったのだった。野球の不思議なところは「代わって出てきた野手のところには直ぐに打球が飛んでいく傾向がある」のだ。ゴンザレスは上手く処理したが、足立は打者走者を2塁に進ませたのは大失態だが、責任の大半は交代を誤った監督にある。

次が、「迷ったことは迷った」と、監督自身が振り返った投手交代の失敗。山崎颯一郎を出したのも結果論だが失敗。さらにNHKのBSの解説者たちが「4連投をさせるのか」と宇田川の起用には疑問的だったし、NHKは丁寧に前3試合の投球数の表まで見せてくれた。思うに、あの場面では宇田川が最善の選択と監督(コーチ)は判断したのだろう。宇田川は涙を流していたようだったが、私は彼の責任は問わない。

あの試合を見ていてもっと気になった事があった。それは「オリックスのティーム全員に緊張感を感じなかったというか、気の緩みがあるように見えたこと」なのだ。特に、故障上がりでもっと緊張感に満ち溢れた表情で出てくると予測していた杉本と、前から出ていた頓宮の表情には「真剣さが乏しく、やって見せるぞとの気迫を感じなかった」という点なのだ。

私は「おかしな事では」と感じていた。そして、彼らはもしかして自信過剰に陥っていて、阪神を甘く見ていたのかとすら疑いたくなっていた。即ち、多少の痛みを忘れて「絶対に試合に出て勝って見せよう」のような闘争心が私にはが見えて来なかった。まさか「監督が出てくれと指示されたから無理に出ているんだ」のような気構えだったのではないだろうな。

一方の阪神は森下のようなめちゃ振りではあっても「何とかしてやろう」とのやる気と必死さが、全員に満ち溢れていたと感じさせられていた。オリックスは「闘争心(カタカナ語では「ファイト」)が表に出てこないような選手の集団なのかも知れない。それが私の目には弛んでいるかのように映った」のかも知れない。

そうであろうとなかろうと、オリックスは明日には余程しっかりと気を引き締めて、モメンタムを掴んだというか、試合運びが良い流れになってきた阪神の勢いを食い止めねばならないだろうし、自分たちのペースを取り戻すように精一杯の努力が必要だろう。恐らく山本由伸で行くのだろうが、1回を大過なく過ごせば勝機があるだろう。

打つ方では宗一人だけが「ここぞ」と言う重要な局面で打っているだけの感じではどうにもなるまい。私は森友哉が不調なのか阪神の投手たちに巧みに押さえ込まれているのか知らないが、彼が当たらないと明日は苦しい展開なると見ている。兎に角、阪神の近本・中野と比較するときに、先頭の2人に人を得ていないのも気懸かりだ。中川圭太や広岡大志は力不足のように見えてならない。

近頃気になった話題

2023-11-03 07:50:30 | コラム
そんな事で良いのかなと気になった:

ハロウイーン:
私はハロウイーンとやら言う行事の頃が来ると、珍妙な格好をして街頭で飲酒する若者(馬鹿者と入力したい衝動に駆られる)をテレビで見せられる度ごとに「アメリカと言うか占領軍の我が国と国民を劣化させようとした策が、これほどまでの成果を挙げているのか」と嘆くばかりだ。言いたい事は「ハロウイーンはその効果が悲しいほど明確に現れている例の一つ」なのだ。

アメリカでは何度か当日の夜に、“Trick or treat!“と叫んで歩く子供たちの群れに出会った。また、本社の中では魔女の格好をして颯爽と歩く女性を初めて見たときに「あれは何の事。何の真似」と同僚に尋ねたほどハロウイーンなど知らなかったのだ。だが、我が国では何時の頃からか知らないが、若者どもに加えて低層の外国人たちの仮装をした集団が渋谷の街を埋め尽くすようになった事には、嘆くよりも腹が立つだけだ。

若者が何かエナジーのはけ口を求めたいのならば、他に何かもっとましな方法がなかったのかと思うのだ。それに「飲む為に飲む」との我が国の「飲む文化」に、「帰りに一寸一杯」の文化がない国の者たちまでも引きずり込まれたのを見れば「何と馬鹿な事か」との思いしかないのだ。

アメリカ人の中に入って生活を共にして知り得た彼らの「飲む文化は」と言えば「食事の味を良くする為に食前軽くバーで一杯という具合でそこで会話を楽しみ、食後には仕上げのカクテルでも」なのだという事。要するに、アメリカのような車社会では「帰りに軽く一杯」とはなりにくいのだ。

そういう異文化の世界から、我が国までやってき虚け者どもが「皆で飲む為に飲んで、一緒になって騒ぎ立てる面白さ」に目覚めて、アメリカでは連邦法か州法によってかどうか知らないが、禁じられている屋外での飲酒に仮装までして興じるようになってしまったのだ。極端な表現を使えば「悪貨は良貨を駆逐する」なのではないか。

「渋谷に来ないで」と言われた区長さんの心中察するに余りある。梨泰院の惨事の悲しい先例もある事だし、あのような馬鹿騒ぎは今年のように沈静化されたのを最後にして、終わりにして貰いたいものだ。

天皇・皇后両陛下ご主催の園遊会:
5年振りに開催されたのは誠に結構な事だと思う。だが、マスメディアのあの報道の仕方は不愉快だった。それは、殆どのテレビ局が「ユーミンが天皇・皇后とお話」であるとか「フーミンも」というのだった。産経新聞ですら見出しに「松任谷由美さんら1,027人が出席」と打つ始末だ。彼らは読者も視聴者も「ミーハーばかり」と決めつけているのかと疑う。

当方は自慢だが、荒井由実という歌手がいる事は朧気ながら承知していた。加藤一二三なんて聞いた事もなかった。彼らが有名になったらしい頃には「アメリカの対日貿易赤字を減らそうと、それこそ命をかけてアメリカ製品の我が国に向けての輸出に昼夜を分かたず努力を重ねていた。以前にも触れた事で、村上春樹も司馬遼太郎の存在すら知る余裕などなかった。知らなかった故に馬鹿にされた事もなかった。

テレビ報道では両陛下とユーミンとやらの会話を長々と流していた。敢えて流行歌手と決めつけるが、その流行歌手のユーミンが両陛下と会話された事がそれほど価値のあるニュースなのか。私には某テレビ局の幹部が某大学教授に向かって「貴方のような方に向けた番組を作っているのではない」と正直に言った事が、このユーミンの扱いにも悲しいまでに現れていると思うのだ。私も彼らの対象外であろう事を誇りに思うようにしたい。