新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月25日 その2 東京都中学生英語スピーキングテスト(ESAT-J)

2023-11-25 13:39:24 | コラム
ESAT-Jが今年は11月26日に実施されるとか:

朝日新聞は都立の中学3年生の英語の聞き取りテストの結果は、6割が0点だったと報じていた。これがESAT-Jのものかどうかは確認できないが、そういう結果になっていても残念ながら我が国の現在の英語教育では「大変だ」などと驚くには当たらないと思うのだ。実は、昨年の今頃にこのテスト関連のことを取り上げて論じてあったのだから。

そこから大要用を引用してみれば、下記のようになる。

>引用開始
TBSだったと記憶するが、学習塾がこのテストに備えて中学3年生にある画を見せて、そこに何か描かれているかを英語で表現する訓練をしていた場面を報じていた。私にはチラッと見えたのは講師が「子供が制服警官にサッカーボールと見えたものを手渡していた」所だった。

この中学生は画を見詰めて暫くの間沈黙していたが、やがて苦悶の表情から漸く声を絞り出して“I gift ball police.”と言ったのだった。すると講師は「それではgiftとpoliceの間にtoが抜けているので減点される」と注意したのだった。これには当方が言葉を失った。中学生は「私が警官にボールを渡した」と言いたかったのだろうかと察すことは出来るが、これで意味を為していると点が貰えるのだろうか。

さらに察すれば、中学生は「ボールを渡した」と言いたかったのだろうが、「渡す」に当たる単語が出てこなかったので「与える」という意味のgiveの派生語のgift、即ち「贈り物」が咄嗟に思い浮かんできて、名詞なのに動詞に使ったのだろう。私には講師はtoが抜けたことだけを指摘した指導は理解不能だった。
<引用終わる

私が考えるこのテストの訓練から見えてきた問題点は、何をさておいても「単語だけを覚えされる教え方をするから、それぞれの単語を文章という流れの中でどのように使えば良いのかが解っていない結果を招いているのだ」なのである。あの場合に少年は警察官にボール与えているのではなくて渡していたのだが、彼には「与える」に見えてgiveと言いたくても思い浮かんでこなかったので、giftとなったのだろう。

あの画面ではボールを手渡しつつあるようにも見えるので、私は進行形にして“A boy is passing a soccer ball to a policeman.“辺りを言いたくなる。乃至は“A boy handed over a soccer ball to a policeman.“でも良いとは思う。だが、この両方ともかなり練れた英文になっているので、中学生が言うことを期待するのは無理があると思う。講師はtoが抜けたと言ったが、英語の中で最も使い方を注意しなければならない数詞のaも抜けているのだ。

このような数詞や前置詞を間違いなく言えて書けるようにする為には、ただ単に単語として覚えようとしたのでは、いざと言う時に出てきにくくなるのだ。この問題を解決する為には、私が常に主張している事で「単語をバラバラに意味だけ覚えている」のではなく、その単語が文章という流れの中で、どのような意味に使われているのかを記憶しておくと良いのである。

ここから先に現れるのが、私の中学の頃からの主張であり信念でもある「音読・暗記・暗唱」なのだ。何度も言ってきたことで「読書百遍意自ずから通ず」であり、繰り返して音読して、自分の声が耳から入るだけで文章の中での単語の使われ方はチャンと記憶に残るのである。これは、自分だけで実証しただけではなく、多くの他の優れた英語力の方の例があるし、自分でも他人様に教えて効果があった方法だ。

昨年の今頃、このESAT-Jと中学生の件を取り上げたところ、外国語学習(教え方)に精通された仏文学のTK博士に「あのテストの採点はフィリピンに依頼して送っているのだ」と教えて貰えた。一瞬「目を疑ったような」話だった。自国の教師たちが採点できないようなテストを中学生に課していることには疑問を感じた。同時に「テスト優先/重視。採点(=減点)主義」の英語教育には、矢張り改善の余地があるのではと感じた次第だ。


早く気が休まる日が来て欲しい

2023-11-25 08:33:53 | コラム
兎角この世には気が重くなる事案が多すぎる:

争い事が多い:
イスラエル対ハマスの争いが休戦状態に入り、人質の交換もこれまでの所順調に進んだと報じられている。結構な事態だと受け止めるが、この争いがこれで終わる訳にも行かないだろう。連日のようにイスラエルの無辜のパレスチナ人までを死に至らせる猛攻の画ばかりを見せられるのは不快である。

ところが、ロシアのウクライナ侵攻に対するウクライナ側の厳しい反撃も既に2年であり、収束の気配は一向に見えてこない。「ハマスのテロ行為が切掛けになった」とか「イスラエルはハマスを殲滅するまで攻撃の手を緩めない」という事態はもう十二分に認識できたから、一刻も早く「一件(二件?)落着」となり、長閑なニュースに日常的に接していられる日が来るのが待ち遠しい。

「世界平和」なんて綺麗事を言っているだけに過ぎないのではないか。

DPRKの連続的ミサイル発射:
金正恩が安保理決議とやらを尊重して発射を止める訳がないとは理解も認識もしているが、この我が国にとって危険極まりない行為を止めさせる手立てがない以上、日本人は絶えず危険から身を守らねばならないのだ。報道によらなくもシェルターなどがない事は解っているし、いつ何時誤射でもあって残渣ではなくて本体が降ってくるかも知れないような状態だ。無防備状態で良い訳がないと思うが。

DPRKのように食糧難に悩む国が発射を続けられる裏には、援助・協力・支持を付けている国々があるのかも知れないと考えざるを得ないのだ。何とも気を重くさせられる事態だ。

中国との互恵的協力関係:
とは言うが、尖閣諸島問題もあるし、水産物禁輸もあるし、法人のスパイ容疑での拘束や有罪判決もあるし、公明党の山口那津男氏は折角訪中しても習近平主席には会えなかった事態だったし、習近平主席は「処理水」の「核汚染水」呼ばわりを止める気配は見えてこない。街に出れば北京語で声高に語り合う若者が本当に多い。「日中友好」などと気楽なことを言っていられるのかと、気が重くなる。

韓国とその最高裁:
尹錫悦大統領の下にあっても、韓国最高裁は一審判決を破棄して「戦時慰安婦訴訟に有罪判決」を下した。未だに「主権免除」の原則を無視するとは、度し難い非常識なことなのだ。「またもや、こういう事態か」と、憂鬱な気分にさせられる。以前に「韓国に付ける薬はないのか」と嘆いたが、政府には一刻も早く高価でも良いから有効な新薬を開発して欲しい。

政治資金パーティーと記載漏れ:
ある政治評論家が「必ずしも意図的に漏らした訳でもないような事態もある」と解説していた。だが、一有権者としては「政権与党ではそこまでして政治資金を集めなければ『政治』をやって行けないのか。何故そうなってしまうのか」を知りたいのである。歳費を支給され、都内の一等地に格安の議員宿舎に住んでいるだけでは、資金が不足とは如何なる事かと思ってしまう。

何処の何に、どれ程資金が必要なのか。嘗ては法務大臣夫妻が、最近の例では柿沢未途議員のように現金を配らなければならないのは何故かが知りたい。政治ってそんな事をすることなのかと憂鬱にさせられる。また、そこには何か、誰か金を使わせる要素があるのかと気になるのだ。金を使わないと当選できないというのならば、裏口入学と同じになってしまうのではないか。気分が悪くなる問題だ。

アメリカの大統領選挙:
「バイデン大統領の再選か、トランプ前大統領の復活か」という話題だが、どうも現地では余り晴れ晴れとした状態のようには思えないので、気が重い。その重さの所為か、未だどの友人知己にも事態を照会していない。未だこの件に関心が出てくる精神状態ではないのだ。それは、どちらが勝とうと、展望が明るくなる気がしないから。