新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

何年振りかで歌舞伎町へ

2023-11-28 07:44:13 | コラム
雰囲気は悪くなったなと感じた:

昨27日は何年振りかで歌舞伎町に入ってきた。業界の古き友人2人と新宿で昼食会だったので、折角近所まで来たのだからと恐る恐る歌舞伎町まで歩いて行った。私自身は10年ほど前までだったか、日中には新宿の繁華街から小池都知事が浄化されたと聞いた静かな歌舞伎町を通り抜けて、我が家まで30分ほどかけて歩いて帰っていたものだった。

その頃でも、午前中にはホストクラブの者たちと若い女性がじゃれ合っている光景が、当たり前のように見えていたのだった。その歌舞伎町がこの部屋から望見するだけでも大きく変化したような感があるので、「恐る恐る」とは言ったが、多分に好奇心があったのは間違いないところだった。特に、今年の3月からだったか開業した東急のタワーとは如何なるものかも見てみたかった。

前置きが長くなってしまった。第一印象では再開発にも似たそれ以前にはなかったAPAホテルのような背が高いビルが増えたので、街としては整備された感は否定できなかった。平日の昼間でも居住者かインバウンド様か判別できない多くの外国人や、風体の宜しくない我が同胞が肩で風切って歩いているかのようで、少し薄気味悪かった。この感じは私が知る歌舞伎町とはやや趣を異にしていた。

東急歌舞伎町タワーに向かう前には、かの「トーヨコ」を通過する必要があるので、否応なしにその風景を見ることが出来た。外国人と思しき大人も数名座っていた。汚らしく陰惨で不健康な場所だった。その直ぐ向こうがタワーなので、我々一行は足早に通り過ぎることにした。

そこでタワーである。いきなりエスカレーターで左手にスターバックスを見ながら2階に上がった。そこにあったのは、けたたましい音楽と電飾で目もくらみそうなフードコートだった。料理の種類が豊富なことはスクリーンを見れば解った。何処か東南アジアの国にでも来たのかというように受け止めた。ここが「売り」だとしたら、東急は新宿と渋谷を露骨に使い分けているのか、乃至は客種が違うと見切ったのかと感じた。

兎に角、エスカレーターを利用して48階だったかのタワーを17階まで上がった。そこには展望台なのだろうガラス張りの一角があった。そこから見える景色は新宿区の北側と中野方面だと思うので、余り印象的ではなかった。だが、普段は見る機会などない山手線や中央線の線路と駅を見下ろせたのは快感だった。因みに、我が25階建てのアパートも17階から見下ろせたのは一寸不思議な感があった。

帰路はニュースで騒がれ始めた大久保公園の横を通るのだが、午後2時過ぎでは行儀が悪い若い女性が路肩に座ってカップ麺を食べているガラの悪さが見えただけだった。歌舞伎町の中でも同じ感があったが、何処から何の為にやってきたのか知らない若者の姿をこれでもかと見せつけられては「我が国は何処まで劣化するのか」と心配せずにはいられなかった。

昨日には警視総監も歌舞伎町を視察されたそうだが、話題を賑わしているホストクラブも重大な社会問題だろうとは思う。だが、未成年(なのだろう)が歌舞伎町に押し寄せては劣化(「不良化」では一寸古いか)していく事態も何処かで押し止めるべきだと思う。東京の問題か歌舞伎町という存在が宜しくないのかは俄に断定できないが、トーヨコのような場所を排除するのが政治の務めではないのだろうか。

マスコミも歌舞伎町、歌舞伎町と喧伝するかのような報道は避けた方が宜しくないだろうか。結果的にマスコミが地方に住む若者たちの好奇心を煽り立てて「何時かは東京に行こう、新宿に行こう、歌舞伎町が見たい」となって、劣化の温床が形成されているのではないのかなどと考えながら、Korea townの方角にもなる我が家に向かって歩いていた。

因みに、この地区に古くから住む古老たちに聞くと、歌舞伎町とは戦前は西大久保と呼ばれていた場所なのだそうだ。そうであれば、西大久保には亡き母の里があった場所なのだった。地名を変更せずに西大久保のままにしてあったなら、現在の歌舞伎町にはなっていなかったのではないだろうか。