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新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカの新旧大統領についての正直な感想

2018-01-22 13:15:12 | コラム
本日で85歳を迎えて:

以下は昨年の1月21日に、本日が偶々私の誕生日だったこともあり、アメリカでトランプ大統領の就任に因んで新旧大統領について、当時どのように考えていたかを再録して見ようと思った次第。

少し内心忸怩たるものがあるオバマ前大統領の実績:
遂にアメリカの大統領が変わってしまった。往年の同僚のL氏は見ないと言っていた就任式のテレビ中継(録画?)も一寸は見た。トランプ大統領の就任演説も聴いたが、同時通訳がうるさかった。

良く考えるまでもなかったが、あれほど貶し続けてきたオバマ前大統領だったが、彼の就任後に6,000万人も増えた人口の中心は恐らくminoritiesである低層の人たちだっただろう3億2,000万人を抱え、誰がやっても上手く行くまいと言われたリーマンショック後のアメリカ経済と相対し、8年間にアメリカをあれほど弱体化させたにも拘わらず、恐らく世界でただ一ヶ国経済を安定的に復調させ失業率を4%台にまで低下させていたのは、立派な功績だと認めねばなるまい。我が国の野党が懸命にくさし続けるアベノミクスを超える成果だったのだと感じている今日この頃だ。即ち、「オバマ様、失礼致しました」とお詫びせねばならないかと、忸怩たるものがあるという意味だ。

次は新大統領:
そのトランプ大統領の就任演説である。簡単に言えば「簡にして要を得ていた」とでも形容したいほどL氏も彼を形容するのに使った言葉の“narcissist”に徹していた感もあったが、「自分が自分たちの国を再度偉大にしてみせる」と語りかけていた点は極めて解りやすかった。その限りにおいては彼を熱心に支持する層には強烈に訴えるだろうと思って聞いた。一層支持されるだろうと聞こえた。

だが、私には要するに「折角我がアメリカが世界の諸国をここまで良くして豊かにさせてやったにも拘わらず、彼らは我が国の職を奪い富を収奪し、繁栄を妨げた。今こそ我々はその苦境から脱してアメリカ第一に徹し、雇用(英語は“job”なのでこの訳語は不適切だと思うが)を増加させ仕事を取り戻す」という点を強調したのは、私には何となく被害妄想的かなとも聞こえなくもなかった気がする。トランプ大統領はアメリカ経済、就中製造業が弱体化し空洞化していった原因と実態を知ってか知らずか、叫んでいたように思えてならなかった。

何処かのテレビ局にゲスト出演した大学教授だったかが、私と同じ見方で「アメリカの労働力の質の向上と改善を図らねば、相変わらず世界市場で競争力を持たない製品を作り続ける結果に終わることに対する認識がない」と指摘したのだが、私はトランプ大統領がこの重大な問題点を認識して改善することに本気で取り組まない限り、幾ら“job”を増やしても賽の河原だと密かに危惧するのだ。

より具体的に言えば「アメリカの製品が世界市場で競争力(competitivenessという言葉が当たるだろう)が著しく弱いだけではなく、自分たちの国内市場の需要と要望と受け入れ基準(何故我が国では「ニーズ」とカタカナ語にするのか?)にだけ合わせただけの製品を世界最高と信じて押しつけてきただけで、海外市場のニーズに合わせる姿勢に乏しかっただけのこと」なのだ。もっと簡単に言えば、左ハンドルの車を右ハンドル車の国に「さー、世界最高だから買え」と押しつけたような販売政策とすれば解り良いかな。忌憚なくというか後難を恐れて言えば「善意に溢れた単純な自己過信商法」が通用しなくなったのだ。

私には既にTPP離脱を公式に言明したトランプ大統領がこの先何処まで「アメリカファースト」を基調にする政治・経済・軍事・外交・安全保障政策を採って行かれるのだろうかなどは解る由もない。彼は怖い物なしに見えるほど“unpredictable”であり、諸外国との多少の軋轢や摩擦を恐れることなく突き進むかのか知れないのかなとも思う。WTOがある以上、いきなり35だの45だのという高率の関税を恣意的に輸入品の賦課することが出来ないくらいご承知であって欲しいと思っている。

だが、トランプ大統領はこれまでに国際市場におけるビジネス独特の入り組み且つ微妙な仕組みを経験してこなかった以上、“OJT”(=on-the-job-training)のような試行錯誤の覚悟で進んで行く気なのかとすらも思えてくる。その過程で何が起きるかは経験して初めて解ることで、他国との文化の違いをOJTで大統領が学習していこうという考え方だったら怖いなという気もする。

私は上司の副社長に「貴方の行く手には文化の違いという凸凹道が待っている。それを渡りきるのは容易ではない。だが、私の"job”はその道を極限まで平らにならしてボスが平坦な道を歩けるようにすることと認識している」と言ったことがあった。これは自慢話ではない。トランプ大統領の参謀や閣僚に与えられた課題の一つが「世界各国への道を可及的速やかに最善の舗装道路に仕上げることだろう」と考えているから言うのだ。今はキャタピラー付き装甲車で押していく計画のように見えるのだが。


英語の言葉遣い

2018-01-21 10:45:33 | コラム
トランプ氏の言葉遣いの中には真似して貰いたくないものがある:

これは2016年の10月17日に未だトランプ氏が共和党の候補者だった頃に発表したものである。今回はこれにある程度加筆訂正して行こうと考えた次第。

ドナルド・トランプ氏の言葉遣いは少し品格に欠けていると思う時がある。この点を週刊新潮の10月20日号で「スラング」として採り上げていたが、一寸異論がある。あの記事が例に挙げていた一昔前の彼の言動の例には、確かにスラング(slang)に分類しても良い言葉もあった。だが、以前に「言葉の分類」で指摘したように、“slang”とは「隠語」や「符牒」を言うのであって、必ずしも品格を問われるような性質ではないのだ。一流会社の社員でも使っている程度だ。

英語を学んでおられる方々に彼の言葉遣いの中で真似て欲しくない例を挙げておけば、トランプ氏が使う”I’m gonna ~.”であるとか”You wanna ~.”という言い方をしている辺りだ。これは原型では”I am going to ~.”と”You want to ~.”である。このような原型でキチンと話せない段階にある時にこういう省略した形の表現を真似することを私は勧めないのだ。即ち、そんな言い方をすると全体の流れの中では「木に竹を接ぐ」ような形になって不自然だし、バランスが悪くなるからだ。

しかしながら、この辺りが英語、就中会話の勉強で難しいことである。即ち、「現在では大統領である方が使っている表現だから、私も使うのは良いだろう」と考える人は出てくるものだ。現に、私が 「Me, too. はお薦めしない表現だ」と言ったところ、それを聞かれた文科省の官僚だった方が「ライシャワー大使だって私的な会話で使っておられた。構わないのでは」と、突っ込んでこられた経験がある。

私の主張は「正確な言い方が身に付いて、アメリカ人たちの中に入って私的な会話を楽しむ次元まで上達されたら話は違うが、勉強の段階では避けたい言い方である」という点だ。なお、Me, too, がいけないのは当然で、meは代名詞の目的格であって、主語に立てるべきではないからだ。堅いことを言えば、これは文法の問題であり、あるアッパーミドルの家庭では「駄目」とハッキリ言われた。。

私が使うなと言うのは適切な日本語の訳がない“swearword”(「汚い言葉」とでも言うか)のことであろう。少なくとも公衆の面前や公式の場で使うような言葉ではない。この点も何度も指摘してきたことで、我が国では“slang”と“swearword”が混同されており、その識別が出来ていないと思う。また、“swearword”等はとても学校教育で教えられる代物ではないので、スラングと区別せよと言われても、我が国の学校教育で育った方々には出来る業ではない。

だが、swearword等はアメリカの映画でも音声が原語のテレビドラマでも、これでもかと言うほど乱発されているので、比較的耳には馴染んでいるので「これぞ格好が良い英語」と誤認されるのである。とんでもない誤解だ。現にカタカナ語には「「オーマイガー」などというのが出現している。思うに“Oh, my God!”なのだろうが、これぞ汚い言葉の範疇に入るので、「英会話」などで気楽に使ってはならない。品性と知性を問われるだろう。

トランプ氏の品格に欠けた言葉遣いは、一昨日のYM氏との語り合いの場でも話題になった。それは、トランプ氏は少なくともアメリカ有数の私立大学でIvy Leagueの一角を占めるUniversity of Pennsylvaniaの出身で、言わばエリートの一人のはずである。それにしては、余りにも酷いと言わざるを得ないのだ。彼も私も知る限りのビジネスマンや大学教授等には、彼と同様な言葉を公衆の面前で使う人はいなかったと思うから言うのだ。ヒラリー・クリントン女史の言葉遣いには既に触れたのでここでは敢えて採り上げない。

要するに「如何なる種類の英語を目指すのか」なのだが、どれがどの階層のものかを識別できるようになるのはそう簡単ではない。社員が上司を選べないように、英語を学びたい者が正しく格調の高い英語を教えてくれる人を選ぶこともまたほぼ不可能に近いだろう。私は偶々運が良かっただけだと自覚している。こういう事は何も英語だけに限られたことではない。国語、即ち日本語でも正しく教えていないと、現在のように乱れてしまうのだから。「お里が知れない」ようにならないによく気を付けることだ。



私は神経質な間抜けだ

2018-01-20 17:54:50 | コラム
自分でも呆れるほど楽観的だ:

実は、2006年1月15日(日)に第1回目の心筋梗塞で救急車で国立国際医療センター(NCGMで現在は国立国際医療研究センター)送り込んで頂いて命を救って頂いて、ICUに入った時には自分が如何なる重病人かが全く解っていなかった。担当の看護師(男性)に如何なる病気で何時頃退院できるのかを尋ねたほど間抜けだった。何しろ絶対安静で、寝返りをしたければナースコールで知らせろと命じられていたほどだっただ。

2日後には一般病棟に移ったがそこでも唯々何時帰れるかばかりを考えていて、ほとんど何の不安も感じることなく主治医と看護師の言われるままに日々を過ごしていた。何日か経って開始されたベッドの上で起き上がることから始まるリハビリも楽しくやっていたし、こんな何でもないことが何の役に立つかと思ったほど楽々とこなせた。実は、これさえこなしていれば帰れると信じていたほどnaïveだったのだ。

それから8年経った14年の12月30日に不幸なことが原因で3度目の心筋梗塞が中下降肢で発生して入院となった時は、かなり難しい危険な事態だったようでカテーテルによる処置に3時間も要し、担当された医師から「兎に角命は取り留めたので、入院してから時間をおいて再度試みる」と宣告されたほどだった。この時でも「俺は絶対大丈夫」と何の根拠もなく確信して、退院する日を楽しみに待っていた。

この時は途中からリハビリ課の理学療法士が病室に来て退院の前にリハビリをするよう主治医に依頼されたとのことで、1週間ほどストレッチとエアロバイク漕ぎをそれぞれ20分やるようになり、退院後は通いでも継続された。ストレッチは兎も角、20分間のエアロバイクは当初はかなりの負担だったが、体が馴れればそう苦にもならなくなった。

流石に退院後はジム通いは避けていたが、極力外に出て散歩するようにして足の衰えだけは防ごうと努力した。そして、16年の1月からジムにも復帰したが、愚かにも入院前のように体も足も動くものだと思い込んでいた。ところが、ストレッチをすれば関節が硬くなっていた動かず(体が硬くなっていたという意味で、英語では「体が柔らかい」と言うことを loose jointと言っていて、体とは言わない)足がふらついて、100 mのインドアトラックを1周も歩けなかった。

だが、それでも愚かな高齢者だった私は「必ず、倒れる前の100 mを60秒と一寸で歩けるようになるものだと信じ込んでいたので、全く動揺していなかった。だが、その復帰した頃に私の顔を見た馴染みの連中は皆「この人は保つのかな?」と本気で疑っていたと、後日聞かされたものだった。だが、現実には昨年の10月の気象病発症の前までは悠々と100 mを60~65病で歩けるようになっていた。

言葉を換えれば、私は愚かにもnaïveにも「如何なる大病をしても心配することはない、必ず発病前の調子に戻れるものだ」と思い込んでいるのだ。即ち、1年経てば年齢が一つ増えて老化が進むなどとはまるで考えていなかったのだ。

そこに今回の2ヶ月以上も悩まされた気象病である。掛かりつけのクリニックの医師にも「今回は貴方もすっかり弱ったね」と同情するように言われたし、昨日も診察の後で「年齢による衰えは抵抗できないし、トランプ大統領だって70歳を超えてあの激職になった以上、本人が否定しようと何だろうと軽度の認知症のような症状は出てきてもおかしくないのだ」と言われていた。

その先生からも「軽くなら良し」と言われて今年になってからジムにも通い始めた。だが、矢張りストレッチもきついしトラックも精々2~3周が限度だ。だが、矢張り「何時かは仮令85歳になっていても、100 mを70秒以下で歩けるようになる」と簡単に気楽に考えている。何時かは72歳まではフットサルを1時間やっても翌日に筋肉痛が出てこなかった頃の体力を取り戻せると楽観している、それが如何に間抜けでnaiveであるかに昨日辺りから漸く気付いたのだ。

だが、反省はしていない。誰か何か言うかも知れないが、楽観的であり続ける方が気楽だと思っているから。本日も買い物を兼ねて外食に出て往復約1時間ほど歩いたが、天気予報が警告したほど寒くはなかったことにも助けられて別段苦痛でもなかった。そうは言うが、正直に言えば寒さの中を出歩くのには恐怖感を禁じ得ない、またあの全身が痛くなる苦痛に襲われはしないかと。

でも、そうなったらどうしようかとは迷わない。またあのクリニックに駆け込んでブロック注射をして頂けば助かるのだと信じているから。そうとでも考えていないことには、怖くて外に出られなくなってしまう。


「野外便所」は誤訳だ

2018-01-20 08:52:54 | コラム
また shithole論を:

このところ、この言葉のことばかり採り上げて論じてきたが、そこにまた折良くアメリカはワシントン州に住む昔の同僚のL氏から私の問い合わせに答えて、厳しい意見が寄せられてきたので紹介する次第。

当方からは「ご無沙汰で申し訳なかったが、今回は数ある話題の中から一つだけ採り上げて貴兄のご意見を賜りたい。 それはトランプ大統領は言っていないと否定したあの失言とも言うべきハイチを形容して使った shithole という言葉についてだ。我が国のテレビや新聞をこの言葉を捉えて大騒ぎをしているだけに止まらず、何としたことか「野外便所」と訳したのである。

そこに今度はマイク・ウルフの暴露本と言うべき Fire and Fury が加わったので、我が国のマスメディアは益々トランプ大統領批判の勢いが強くなった。因みに、この翻訳本は来月初旬には発行されるらしい。マスコミはこの本の中にある「トランプ氏は当選と決まった時にまるで幽霊にでも出会ったかのように真っ青になっており、夫人は泣いていた」という件を抜き出して報じたし、私は「矢張りトランプ氏はまさか自分が当選するとは予測していなかったと一部で言われていたことを裏書きしている」と感じた。

L氏からの返信はかなり激越だった。大要下記の通りである。これは38%と報じられているトランプ大統領支持派のプーアホワイト以外の層にある共和党を支持する人たちの中でも強烈トランプ嫌いの意見の部類に入るのではないかと思う。

>引用開始
彼は何であれほど無作法で鈍感になれるのかと呆れている。あんなに無作法な者はホワイトハウスには相応しくないし、まして大統領になるべきではなかった。そちらでも報じられていると思うが、彼の就任1年目の支持率は過去最低である。

私はミュラー氏がロシアゲートの操作を推し進めて彼を弾劾するに足る十分な証拠を挙げててくれることを希望したい。私は我が国の民主主義は余りにも劣化した状態してしまい、二度と元には戻れないかと危惧するものだ。

日本にも聞こえているかも知れないが、共和党が2018年の戦略計画は、トランプ大統領が Fire and Fury の内容を大声を上げて非難したために、後退せざるを得なくなって一向に進んでいない。

私はこの本を読もうとは思っていない。それはもしも読めばこれまで以上に現在の連邦政府の在り方に失望落胆させられるだろうから。今後とも日本におけるトランプ大統領の最新の評判と評価を知らせて欲しい。
<引用終わる


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ご存じの方がおられると思うが、ワシントン州というところはそもそもトランプ氏支持の州ではなかった。また、彼の見解がトランプ大統領不支持派を代表するとは思わないが、トランプ大統領が口を極めて非難する fake news派のNYタイムスやWポストやCNNとは異なる見方であると思っている。