新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月27日 その2 野党議員は盛大なる国費の無駄遣い

2019-11-27 08:01:10 | コラム
今更ながら野党議員どもの間抜け振りに呆れる:

彼らの「桜を見る会」に関する空騒ぎ振りには最早いうべき言葉は残っていない。福山哲郎は「これを以て倒閣しよう」と息巻いていた。冗談にしても見当違いすぎる。それが遂には一度門前払いを食った内閣府のシュレッダーを約束を取り付けた上で視察に出掛けて、破棄したといわれた名簿と同じ枚数を処理して34秒で終わったと息巻いて、国会で内閣府に迫った。その答弁が「ファイルから抜き出したり、ホッチキスを外すのでそれよりも時間がかかった」となっていたが、この問答が膨大な歳費を貰っている国会議員が時間を使ってすることか。呆れる前に情けなくなる。

彼ら野党のアホどもの真の狙いは、精一杯の善意で考えて「国民投票法」をなき物にする為の手段かも知れないが、余りにも馬鹿丸出しで国民を愚弄している。安倍総理にもやや処理の不手際があったような気もするが、そんなことよりも真剣に国会の場で論争すべき重大な議題は山積していないか。彼らは沖縄の基地問題や被災地の処理問題等々を少しでも論議の対象にしたか。韓国の言いがかりと虚言問題に少しでも関心を示したか。習近平主席を国賓で招待する件を採り上げたか。矢張り、彼ら野党議員を選んだのは国民側の過失であろうと思う。

野党には救いがないと思うが、安倍総理も長期政権は結構だと思うが、もう少しまともな議員を選んで内閣改造をして頂きたいと願いたいのだ。何も知らずに唯々大臣になりたいような連中を選ぶのを、もう好い加減に考え直して頂きたい。ろくでもない者を選ばれるから、野党に揚げ足を取られて、国会を空転させられる責任をお考え願いたいのは誤りだろうか。

その昔はストローはstrawだった

2019-11-27 07:30:06 | コラム
スターバックスは紙製のストローに変えるそうだ:

この件が如何にも重大なニューであるかの如くに報じられている。年間何億本だったかが節約されるのだそうだ。そのテレビニュースの画面に出ていたのがプラスティックス製のカップにストローが差し込んである絵だった。第一、その昔にはストローは藁が使われていた。この絵には矛盾がありはしないか。私はあの手のカップは何年か前までは紙製でアメリカのInternational Paper(IP)製品であったように記憶している。それが何時の間にか、PETか何か知らないがプラスティックスの製品に置き換えられていた。スターバックスは環境保護問題に貢献する為に紙製に置き換えるというのだろう。

私はおかしな理屈ではないかと思うのだ。それは、ストローとカップでは何れがプラステイックスが多く使われているかは明白ではないのか。その少ない方を紙に置き換えてどうする。それに「今頃になって言い出すのか」とも言いたくなる。それともメディアは相手がスターバックスでは、この程度のお追従的な報道しかできないのかとも言いたくなる。本気だったならば、紙カップを採用せよとでも言ったらどうか。小なりと雖も「ペッパーランチ」では2ヶ月ほど前に紙製のストローも変えていたが、そこに触れたメディアがあったとは記憶していない。片手落ちだ。

私の記憶が正しくて、IP製(というかアメリカ製)の紙カップと胴体に巻く未晒しクラフト板紙の帯を再度アメリカから輸入すれば、トランプ大統領が「対日貿易赤字削減に貢献する」と大いにお喜びになるのではないか。私は最早現場を離れて20数年になるので、我が国の紙製のストローや紙カップ用の原紙の供給体制が十分に残っているか否かは知らない。だが、需要の衰退に悩まされている業界にとっては、この分野の需要が回復すれば好材料の一つとなるのは間違いないだろう。メディアにはその辺りに気を配る神経の持ち合わせはないのかと尋ねたくなる。

年賀葉書の枚数と訃報

2019-11-26 14:44:10 | コラム
毎年のように枚数を減らして買っている:


これから取りかかるだろう年賀葉書の枚数は迷った末に、最も多かった頃よりも30%減らして近所の郵便局に、言うなれば発注した。何故それほど減らしたかについては想像願えるだろうが、毎年のように11月辺りから「年賀欠礼」の葉書が来るからである。以前はご当人ではなく親御さんやご親族の不幸での欠礼のお知らせが多かったが、ここ数年は永年お付き合い願っていた上司や同僚や私の好みではない言葉である後輩といった方々の訃報が増えたのだった。



去る15日に主治医の許可を得て体調を整えて藤沢まで昭和20年の湘南中学以来の仲間のクラス会に出掛けた。高校の卒業時点では36人だった級友は今や生存者が行方不明者1名を加えても16名だった。先週も毎年一度は会って旧交を温めていた日本の会社時代の3期後だった人から誘いが来ないので、念の為に電話をしてみると奥方が出られて「7月に亡くなりました」と知らされて愕然となった。その頃に湘南高校サッカー部のマネージャーを永年勤めた頂き、昨年までお世話になっていた2年上の方の奥方から欠礼の葉書が来て、何とも言えない寂しさを感じさせられた。



その「年賀欠礼」の葉書は本日も2枚到着した。お一方は永年の交流があった88歳の我が国の紙流通業界の大御所だった。巨星落つとまでは言わないが、惜しい方が亡くなられたと、時代の変化がここにも現れたかと思わずにはいられなかった。こういうお知らせ以外にも「もう今年からは年賀状を止めます」という挨拶の葉書も来ている。かく申す私も「何時になったら止めようか」と毎年のように悩んでいる。今年も未だ11月であるから、未だ欠礼の葉書が来るやも知れないので、着手できずにいる。悩ましいことだ。



PCのご機嫌が悪く、何故か改行が出来ませんので、このまま掲載します。何卒悪しからず。

バス停懇談会

2019-11-26 08:28:33 | コラム
昔はボケ老人がいなかった説:

私は以前にも述べたことがあったが、何故かバス停での待ち時間に高齢のご婦人方に話しかけられるのだ。昨25日も高田馬場駅前で2人に話しかけられた。切っ掛けは2人分しかないベンチの席を譲って下さった後で、毎度のことだが「若く見えますね」と語りかけられたのだった。その方々の意見が面白かったので紹介しようと思う次第。

その方は自分から80歳だと名乗られたが「自分たちの親の世代というか時代には、皆長生きせず精々60歳台で亡くなっているのが普通だった。それだから、その頃には先ずボケてしまった人など見かけなかった。皆がボケる前になくなってしまっていたのではないでしょうか」という説を展開された。なるほど、そう言われて見れば、往年には本当に今で言う認知症の老人の話などは余り聞いたことがなかったので、素直に賛成した。尤も1人のご婦人は「家の人が外に出さなかっただけかも知れない」とも言われたが。

その後ではお定まりの「戦時中や戦後間もなくはろくに食べるものがなかったのに、私たちは時代が変わって食べるものが沢山あるようになったので、多くの人たちが自分たちの親よりもずっと長生きしている」という話になった。そこで、私も87歳の貫禄を示すべく、中学の1年生の頃には軍事教練もあったし、農村動員にも行かされて、ご褒美にお米や薩摩芋を貰って感激して帰って来たものだ」と回顧して見せた。すると、その方は「少しばかりのお金も貰えたでしょう」と言うのだ。その通りであり、良くあの時代のことをご存じだと感心した。

この辺りまででバスが入ってきて興味深い懇談会は終了した。それにしても、何故私は高齢のご婦人方に屡々話しかけられるのだろう。余程人畜無害のように見えるのだろうか。

11月25日 その4 当事者であるかないか:

2019-11-25 16:35:59 | コラム
メデイアやジャーナリストは当事者か:

この点で、本25日の日テレの「ミヤネ屋」は非常に興味深い論議が展開されていた。そこには、この度の韓国のGSOMIA失効停止の延期と貿易管理手続きの変更について、武藤元駐韓大使、細川中部大学特任教授、前嶋上智大学教授と中継が繋がれていた。宮根は官邸駐在記者から現状の報告を聞いた後でゲストに意見を求める形で進行した。宮根はその中で木村太郎氏の意見を引用したところ、細川教授に「邪推である」と一蹴されてしまって慌てふためいたのだった。

そこで私の興味を惹いた点は「木村氏を始めとするジャーナリストというかテレビ局がいう専門家たちは、先日私が引用した英語の表現である“They are not making the things happening.”派であって、如何に豊富な情報量を持っておられても事を起こした当事者ではなく、出来事を報じる意味での専門家である」だった。換言すれば、細川教授は通産省勤務の頃には自ら外国と貿易等の交渉の実務を担当された当事者であり、出来事の実体を誰よりも正確にご存じな方であるということだ。

当事者という意味では武藤元駐韓大使も同じであろう。と言うことは「お手持ちの情報量の大きさの問題ではなく、“We are making the things happening.”の側におられたという意味だ。その意味では細川教授は遠慮会釈なく前嶋教授の意見もアッサリと否定されたのだった。私も前嶋教授はアメリカに情報源を持っておられる有力な情報通であるとは思うが、残念ながら“He is not making the things happening.”であると看做している。言いたいことは「当事者と、その出来事を見て伝えるメディアとは如何に専門家であっても、性質が異なる」という点だ。

より解りやすくしたつもりで言えば「出来事の実態は、それを担当した当事者でなければ解らない面が多々ある」ということなのだ。そういう意味では、私は在職中に業界の専門誌に時事問題について頻繁に匿名で投稿していた。それは「現実に実務を担当している者の視点から見て論じるのが最も(?)適切であって、第三者が出来事を見て聞いて、調査して、これまでの知識の蓄積に基づいて判断して伝えるのよりも現実味があって説得力があって、自ずと質が異なる」と信じていたからだった。

細川教授は韓国側から今になって出てきた「日本側が事実を歪曲して発表した。経産省から謝罪があった」との発表は飽くまでも国内向けに局面を糊塗する為の言辞であって真実ではない。貿易管理手続きの変更は協議する性質ではなく、今回経産省が発表したのは対話をするという意味である」と、先日Prime Newsで佐藤前外務副大臣が指摘された内容と同じ事を語っておられた。敢えて述べておけば、テレビで語られる内容でも「当事者」と「報道する側」では内容も質も異なってくるものなのであると認識しておく方が無難だという事。