携帯電話は20世紀最悪の開発商品:
私は20世紀中に携帯電話をこのように悪し様に言って「文明の利器を何故に悪く言うか」とネット上で叱られたことがあった。当時のそう言う根拠は「年端の行かぬ子供たちにまで持たせる甘い親が多くいるので、一家の可処分所得が携帯電話代に回っていってしまったので、内需が盛り上がらない原因の一つになっているではないか」という点だった。これ即ち、「便利さの裏側に何が待っていたか」を言いたかったので、「コインの裏側を見よ」ということだった。今回は「スマートフォンは21世紀最悪の開発商品か」を考えて見ようと思う。
そこに、今回は小学校6年生の女児がスマートフォンを使いこなしてSNSとやらで大人と交流したが為に、「未成年誘拐」(この件は矢張り誘拐となるのだそうだ)という犯罪に巻き込まれてしまったのだ。矢張り「コインの裏側」が「これでもか」というほど出てきたのではないか。恥ずかしくないが、私はこの老い先短い年齢になって今更スマートフォンを必要としない人生だと思っているが、子供たちにとってはそうとは行かないのだろうし、親御さんたちも持たせないように抑えきれないようだ。
先ほどフジテレビのバイキングとやらを見ていたら、「小学校6年の児童の何パーセントがスマートフォンを持っていると思うか」との問い掛けがあった。私は少なくとも50%はあると思っていたところ、正解は何と57.8%だった。私はこの高い比率について意見はないというか「時代の流れとはこういうものか」と感じただけだった。そこに東国原英夫が「児童・生徒たちがスマートフォンを使っている時間の長さと学業成績は完全に反比例している」と指摘していたのも印象的だった。私は持たせるべきか否かは微妙な問題だろうなと思う。
コインの両面は慎重に検討すべきだと思う点が多々ある。だが、私は子供というか小学校の児童に持たせるのは控えた方が良いと思う。それは、世の中には彼らが想像できないような悪い大人がいるからである。と言うことは、最初に携帯電話をこの世に送り込んだGAFAの誰かが悪いのだということにもなる。だが、スマートフォンを最悪の開発商品にするかしないかの鍵を握っているのは「親御さんたちの見識」ではないのか。
私は20世紀中に携帯電話をこのように悪し様に言って「文明の利器を何故に悪く言うか」とネット上で叱られたことがあった。当時のそう言う根拠は「年端の行かぬ子供たちにまで持たせる甘い親が多くいるので、一家の可処分所得が携帯電話代に回っていってしまったので、内需が盛り上がらない原因の一つになっているではないか」という点だった。これ即ち、「便利さの裏側に何が待っていたか」を言いたかったので、「コインの裏側を見よ」ということだった。今回は「スマートフォンは21世紀最悪の開発商品か」を考えて見ようと思う。
そこに、今回は小学校6年生の女児がスマートフォンを使いこなしてSNSとやらで大人と交流したが為に、「未成年誘拐」(この件は矢張り誘拐となるのだそうだ)という犯罪に巻き込まれてしまったのだ。矢張り「コインの裏側」が「これでもか」というほど出てきたのではないか。恥ずかしくないが、私はこの老い先短い年齢になって今更スマートフォンを必要としない人生だと思っているが、子供たちにとってはそうとは行かないのだろうし、親御さんたちも持たせないように抑えきれないようだ。
先ほどフジテレビのバイキングとやらを見ていたら、「小学校6年の児童の何パーセントがスマートフォンを持っていると思うか」との問い掛けがあった。私は少なくとも50%はあると思っていたところ、正解は何と57.8%だった。私はこの高い比率について意見はないというか「時代の流れとはこういうものか」と感じただけだった。そこに東国原英夫が「児童・生徒たちがスマートフォンを使っている時間の長さと学業成績は完全に反比例している」と指摘していたのも印象的だった。私は持たせるべきか否かは微妙な問題だろうなと思う。
コインの両面は慎重に検討すべきだと思う点が多々ある。だが、私は子供というか小学校の児童に持たせるのは控えた方が良いと思う。それは、世の中には彼らが想像できないような悪い大人がいるからである。と言うことは、最初に携帯電話をこの世に送り込んだGAFAの誰かが悪いのだということにもなる。だが、スマートフォンを最悪の開発商品にするかしないかの鍵を握っているのは「親御さんたちの見識」ではないのか。