私の安全保障対策:
いきなり結論を言ってしまえば「外国では絶対に危険な場所には立ち入らないか、近寄らない事」になってしまう。だが、これでは身も蓋もないので、少し経験を交えて語って見ようと思う。
先ず手っ取り早いところでは「着る物にご注意」である。私が外国で採っていた身の安全保障策は衣類だった。昨日も一寸触れたが、アメリかではブランド物だろうと何だろうと、現地の価格と為替のお陰で、我が国で買うよりも遙かに割安で手に入るのだ。尤も、大きさの問題はあるが、概ねアメリカのSが我々にとってはMだと見ていて間違いではない。それだけではなく現地のセールの時期に当たれば、そこまで思い切るのかと驚くほど安くなっているので、更に格安で買いやすくなルのがアメリカ式セールだ。「アメリカを歩く時にはアメリカ物を着用して」なのである。
反対な事を言えば、私はアメリカでも何処ででも、町を歩いている日本人は直ちに見分けていた。それはこの「着ている物の問題」なのだ。言い方は悪いかも知れないが、我が同胞は海外を移動する際の「寛いだ普段着」の選択が野暮くさいし、細かい柄が入った地味な色の物を選んでおられる傾向があるからだ。対照的に白人たちは「無地で派手な色を好む」のである。区別しやすいのだ。故に、海外に出られる際には、この辺りに着目されると良いと思う。
そのアメリカ物(実際には、中国その他で作られた物ばかりだが)を着ている限り、現地人と看做されて窃盗団に襲われる危険性も、外国人と看做される確率が非常に低くなると思っていて良いだろう。私は20年以上ものアメリカ各地を渡り歩いていたが、一度も外国人と見られた事がなかったが、遺憾ながらチャイニーズアメリカンと見られた事は何度もあった。しかも、一言も英語を話していない状態での事。
話は変わるが、パック旅行でイタリアのフィレンツェの街中を歩いていた時の事。例のジプシー(今はRomanyと自称しているだそうだが)の子供たちの窃盗団が新聞紙で隠す方法で襲ってきたのだった。これは伝え聞いていた通りに、日本語で一喝して追い払う事が出来た。ここでの教訓は「矢張り群を為して行動するパック旅行団は、カモだと見られるようだ」という事。バルセロナでは俗に言う「ウエストポーチ」に身上ありったけを入れておられた高齢の女性が、自由行動になって数分でそのポーチを強奪された。「矢っ張りか」だった。
着衣という点ではこういう話がある。以前にイタリアに駐在した外務官僚が著した本に「兎角、危険だと見られているイタリアで安全を期そうと思えば、ローマでも何処でも日本から到着したと同時に市内の洋服屋に入って、現地の衣料品を調達して着替えるべし。悪者どもは着衣で判断するのだから、一目で日本人と解られるような服装は避ける事」と指摘しておられた。誠に以て尤もであると思う。私が海外でお洒落だと言われていたのは、実は安全策でもあったのである。換言すれば「如何にキャジュアル(カタカナ語は「カジュアル」だが)にお洒落をするかを身につけよ」である。
余談になるかも知れないが、海外では服装が問題だという例を挙げておこう。パリでのことだった。「セリーヌ」(Louis Ferdinand Celine)にブルックスブラザーズのジャンパーにチノパンで入ったら、店員に全く相手にされなかった。そこで、翌日にはラルフローレンのダブルブレストの濃紺のブレザー、チャコールグレーのパンツにアスコットマフラーの出で立ちで入って見たら、店員が即寄ってきて「何か御用は」と来た。これぞフランスであり、ヨーロッパだろうと痛感した。
いきなり結論を言ってしまえば「外国では絶対に危険な場所には立ち入らないか、近寄らない事」になってしまう。だが、これでは身も蓋もないので、少し経験を交えて語って見ようと思う。
先ず手っ取り早いところでは「着る物にご注意」である。私が外国で採っていた身の安全保障策は衣類だった。昨日も一寸触れたが、アメリかではブランド物だろうと何だろうと、現地の価格と為替のお陰で、我が国で買うよりも遙かに割安で手に入るのだ。尤も、大きさの問題はあるが、概ねアメリカのSが我々にとってはMだと見ていて間違いではない。それだけではなく現地のセールの時期に当たれば、そこまで思い切るのかと驚くほど安くなっているので、更に格安で買いやすくなルのがアメリカ式セールだ。「アメリカを歩く時にはアメリカ物を着用して」なのである。
反対な事を言えば、私はアメリカでも何処ででも、町を歩いている日本人は直ちに見分けていた。それはこの「着ている物の問題」なのだ。言い方は悪いかも知れないが、我が同胞は海外を移動する際の「寛いだ普段着」の選択が野暮くさいし、細かい柄が入った地味な色の物を選んでおられる傾向があるからだ。対照的に白人たちは「無地で派手な色を好む」のである。区別しやすいのだ。故に、海外に出られる際には、この辺りに着目されると良いと思う。
そのアメリカ物(実際には、中国その他で作られた物ばかりだが)を着ている限り、現地人と看做されて窃盗団に襲われる危険性も、外国人と看做される確率が非常に低くなると思っていて良いだろう。私は20年以上ものアメリカ各地を渡り歩いていたが、一度も外国人と見られた事がなかったが、遺憾ながらチャイニーズアメリカンと見られた事は何度もあった。しかも、一言も英語を話していない状態での事。
話は変わるが、パック旅行でイタリアのフィレンツェの街中を歩いていた時の事。例のジプシー(今はRomanyと自称しているだそうだが)の子供たちの窃盗団が新聞紙で隠す方法で襲ってきたのだった。これは伝え聞いていた通りに、日本語で一喝して追い払う事が出来た。ここでの教訓は「矢張り群を為して行動するパック旅行団は、カモだと見られるようだ」という事。バルセロナでは俗に言う「ウエストポーチ」に身上ありったけを入れておられた高齢の女性が、自由行動になって数分でそのポーチを強奪された。「矢っ張りか」だった。
着衣という点ではこういう話がある。以前にイタリアに駐在した外務官僚が著した本に「兎角、危険だと見られているイタリアで安全を期そうと思えば、ローマでも何処でも日本から到着したと同時に市内の洋服屋に入って、現地の衣料品を調達して着替えるべし。悪者どもは着衣で判断するのだから、一目で日本人と解られるような服装は避ける事」と指摘しておられた。誠に以て尤もであると思う。私が海外でお洒落だと言われていたのは、実は安全策でもあったのである。換言すれば「如何にキャジュアル(カタカナ語は「カジュアル」だが)にお洒落をするかを身につけよ」である。
余談になるかも知れないが、海外では服装が問題だという例を挙げておこう。パリでのことだった。「セリーヌ」(Louis Ferdinand Celine)にブルックスブラザーズのジャンパーにチノパンで入ったら、店員に全く相手にされなかった。そこで、翌日にはラルフローレンのダブルブレストの濃紺のブレザー、チャコールグレーのパンツにアスコットマフラーの出で立ちで入って見たら、店員が即寄ってきて「何か御用は」と来た。これぞフランスであり、ヨーロッパだろうと痛感した。