新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

COVID-19禍の時代

2021-12-28 08:56:16 | コラム

また耳の周辺が痒くなり眼鏡が曇る時期になった:

昨27日には天気予報が真冬の寒さ到来を強調するので、30年程前にシアトルのバーバリで店長に勧められて買ってしまった厚手のセーターの上に1976年にポートランドのショッピングモールで買ったエデイバウアーのダウンジャケットを着込むという万全の対策を講じて、午前10時過ぎに外出した。買った年を強調するのは「アメリカの製品は長持ちするものだ」と言いたかっただけのことだが、アメリカでは為替の悪戯で何を買っても経済的なのだ。

そこで久し振りに経験したことは「マスクをかけていると眼鏡が曇る」という現象だった。「そうか。真冬ともなれば、またこれに悩まされるのか」と再認識した次第だった。私はCOVID-19襲来以前にも冬場にマスクをしていたことがあったが、それは手軽な寒さ対策だっただけで、その防寒具(英語の講釈をすればcold gearだ)を年がら年中していなければならない時が来るなどとは、夢想もしていなかった。今年の初め頃だったか、パリミキで偶然に見つけて買い入れたレンズの曇り止めを何処にしまっておいたかなどと考えていた。

COVID-19禍はこれだけに止まってはいないのだ。今年の中頃にはマスクの紐が原因なのか何なのか知らないが、耳の周辺が痒くなってついつい掻いてしまって、マスクをしているのが苦痛になってきた。その最中に偶々別の買い物で入った薬局で何気なく店員さんに訴えてみると「この塗り薬が有効だから」と試供品を貰った。彼女は更に「耳の周辺を刺激しないマスクもあるので、この塗り薬が効かなかったらお試しを」と教えてくれた。結果的には、効果があってこの薬局の支店でその「フタアミン」という塗り薬を購入したのだった。

その耳の辺りの痒さが本格的な冬の到来の為か、また発生してきたのだった。早速フタアミンを塗って対策を講じているが矢張り効果は発揮されつつあるようで愁眉を開いているところだ。中国だか何処だか知らないが、あのウイルスを発生させなければ、こんな悩みは生じなかっただろうと、恨んでいる。

私はこれだけではなく、更なるCOVID-19禍を抱えている。それは「アルコールに対するアレルギー」とでも言えるのだろうか、アルコールにかぶれる体質なのである。これは大袈裟に言えば「塗炭の苦しみ」なのだ。即ち、今や何処に行っても入場、入館等の場合に備え付けのアルコール消毒設備で両手に噴射せねばならないことだ。この行為でかぶれて痒くなるだけならば何とか耐えてもいられるが、症状はそんな生易しい事ではない。指先から手の甲に炎症を起こして皮がむけるとか、アカギレのような状態になって日常生活にも苦労するのだ。

この症状が出てきたときには何のことか不明だったが、やがて2015年の国立国際医療研究センター(NCGM)に入院の際に猛烈な痒さに苦しめられたのが、採血や点滴等の前処置でのアルコール消毒が原因だったと検査の結果で判明したのを思い出したのだった。そして、その時はベッドの頭の所の壁面に大きく「禁アルコール」と書いた紙が貼られたのだった。看護師さんの説明では「酒に弱いというかアルコール類を受け付けない体質の患者さんはごく普通にいるのだ」ということで、私もその一人に過ぎないと解った。

以後、NCGMのカルテには「禁アルコール」が表示されるようになっているし、チャンと非アルコール系の薬剤で消毒して貰えるようになっている。

そういう体質であるから、あの消毒をまともにやっていると、上述のような非常に辛いことになってしまうのだ。そこで、今や苦肉の策で「やった振り」というか、最低限の噴射をするか、噴射とは異なる方向に手を出すようにしている。尾身茂氏が理事長を勤めておられる機構に属する病院では、やった振りを許されなかった代わりに「アルコールではない」液体を準備しておられたので助かった。それでも、痒さとアカギレのような状態からは中々簡単には解放されずに、毎日のようにアフタミンを塗布し続けている。幸いにも本日の症状は比較的安定している。

念の為に付記しておくと、私は「コロナ」(=corona)は新型コロナウイルスを意味していないと思うので、絶対に使わないで、COVID-19と表記するのだ。

 


12月27日 その2 注文を聞きに来ない寿司屋

2021-12-27 16:56:51 | コラム

デイジタル禍の時代:

25日のことだった。我が方は墓参の後の昼食を地蔵通りの中の店を敬遠して、17号線沿いで地蔵通りからも近い所に何時の頃からか出店した「すし三昧」で楽しむようにしていた。今回は初めての経験をした。それは満席の為に記帳してから店外で待つことだった。それほど多くの人が地蔵通りに出てきているという事だろうか。

実は、この店も今年の4月に来た時に知ったことで、注文は卓上のタブレットでする方式になっていた。この程度のデイジタル化はまさか菅義偉前首相の「デイジタル化推進」の大方針に沿った訳ではあるまいが、我が百人町/大久保界隈と高田馬場駅周辺の「すき家」、中国人経営の四川料理店(タブレットは華為製だった)、「スシロー」、「クラ寿司」等々でも始まっている省力化の一環だと解釈している。この流れに遭って、家内などは「遠からぬ将来外食が出来なくなるのでは」と懸念している。

あの日も、我々のテーブルの隣に二人の高齢のご婦人が着席して、案内した店員に確か焼酎の水割りを口頭で注文し、それを聞こし召しながら楽しげに歓談しておられた。私はその様子を横目に見ながら、恐らく彼らは永久に注文できないだろうと思っていた。果たせるかな、何の音沙汰もなかったので、次第にいらつき始めた。そして、幸いにも通りかかった店員を呼び止めて「注文する」と告げられた。

男性の店員は困惑顔で事情を説明したが無駄な努力だった。そして諦めたのか、従来の注文を入力する装置?を持ってきて無事に受注した。それでも、彼女らは未だ寿司屋がデイジタル化された事情が呑み込めていないようだった。だが、私にも家内にも十分に理解できる事態だったと思う。思うにこのような簡単なデイジタル禍は、このようなチェーン店ではこれから先に進んでいくことは十分に予測できると思うのだ。

近頃は頻繁にシルバーパスで利用するバスの中や、JRの車内でもスマートフォンをせっせと使いこなしておられる高齢のご婦人を見かけることが増えてきた。政府はそこを見越したのか、法律で「国民はスマートフォンを所持せよ」と定められている訳でもないのに、ワクチンパスポートのようにマイナンバーカードを使ってスマートフォンでダウンロードせよと、シレッとして言っている。我が方は去りし10月で何とか両方を供えたが、そうでない方々には今後とも益々「デイジタル禍」が襲ってくるのではないのだろうか。

私はすし三昧ではそのご婦人たちに「困った時代になりましたね」と声をかけてから退出したのだった。


変わりゆく巣鴨の地蔵通り:

2021-12-27 08:36:44 | コラム

変わりゆく巣鴨の地蔵通り:

2日遅れの話になってしまったが、去る25日に1日遅れで亡父の祥月命日の墓参りに染井霊園に行って来た。その後に毎年のように行って見た地蔵通りは「四の日」の縁日ではなかったが、かなり多くの人で賑わっていた。

そこに目立った現象が二つあった。それは、テレビなどで相変わらず「高齢者の原宿」などと戯けた紹介がされているこの商店街を歩いていた人々の半分ほどは、高齢者ではなかったということ。即ち、テレビの宣伝文句に刺激されたのか、言うなれば一般人が訪れるように変わってきたと思わせられたのだった。私はこの「トゲ抜き様」の通りには戦前から来ていたので、今でも懐かしさ半分で墓参りの後は必ず訪れているだけのこと。

もう一つの変化はといえば、商店街に入ってから見えてくる景色が変わってきたとでも言えば良いのだろうか。それは、何も高齢者相手の店ばかりではなくなっているという傾向が顕著になったということ。即ち、何時の間にかタリーズコーヒーが出ていたし、コンビニもあるし、これまでには見かけなかったラーメン店もあるし、更地が目立つという具合だ。そこには時代の変化もあるのだろうが、新型コロナウイルス禍(私は「コロナ」という誤用された言葉を認めていない)も、この街にも及んできたのかと考えさせられた。

また、この通りに沿って国道17号線(中山道)が走っているので、巣鴨駅からここにかけても結構な人出だったのは、矢張り人々は第5波が下火になったこともあって警戒心が緩んできたのかと痛感させられた。各テレビ局は朝から晩までオミクロン株の脅威というか危険性を報じているが、一般大衆にとっては馬耳東風なのかなと感じながら、愚息の運転の車で帰宅した。

私はテレビ局の報道は過剰と言うよりも「オミクロン株とは如何なるものか。如何なる危険性があるのか。防御策は如何にあるべきか」をキチンと取り上げずに、感染者の数ばかりに集中しているのでは視聴者にとっては警告とは響かないと思っている。何処かの週刊誌が指摘していたように「これまでで通りの(厳戒?)態勢を維持する以外に何があるのか」を強調すべきだと思うのだが。地蔵通りを歩いてきて、このように感じた次第だ。

 


「英語とは」を考えて見た

2021-12-26 11:34:08 | コラム

私が英語を語れば:

つい一昨日「失敗して学んだ英語の表現」と題して、言うなれば英語論を展開したが、今回はNHKの「朝ドラ」(というのだそうだが)で現在放映されている「カムカムエヴリバデイ」との題名にも多少触発された次第だ。告白すれば、私は「朝ドラ」も日曜の夜の「連ドラ」(というのかな)も「紅白歌合戦」も、もう何十年も見たことがない。見ない理由の説明は省くが、要するに好みではないという事。

*英語の挨拶:

「失敗して学んだ英語の表現」では“How have you been?”を取り上げたが、英語(アメリカ式とでも言えるが)にはかなり沢山の言い方があるのだ。戦後間もなくの英語教育や英会話の指導では、上述の「カムカムエヴェリバデイ」の主題歌のようだった曲の歌詞が“Come, come everybody how do you do and how are you?”から始まっていた所為もあったのだろう、“How do you do and how are you?”が、恰もアメリカ全土における挨拶の標準であるかのように教えられていた。当時は中学に入学したばかりだった当方も、そう信じて疑わなかった。

NHK(日本放送協会)が「練達熟練の」と言って紹介した平川唯一氏の「カムカムイングリッシュ」の影響力は絶大なものがあった。私はこの曲の英語の歌詞は今でも全部覚えているし、平川氏が用いられた会話の表現の中でも“How are you getting along in this hot weather.”などのように、今になって考えればかなり高度な表現などは良く覚えていて、借用して使っていたものだった。何処が高度かといえば“to get along”である。俗に言われている「getとmakeを上手く使えば、日常会話には不自由しない」の典型的な一例であろう。

ところが、現実にアメリカ人の中に入って一年の3分の2以上の時間を英語だけで過ごすようになって気が付いたことがあった。それは、彼らが“How do you do and how are you?”とは先ず言わないことだった。圧倒的多数の挨拶は“How are you doing?”だったのだ。確かに、偶には“How are you?”には出会ったが、“How do you do?”と呼びかけられた記憶がなかった。また、応答は“I am fine. Thank you and you?”と教えられたと思うが、彼らは滅多にそうとは言わないのだった。時には“Real good. Thanks.”などと返されて、それこそ面食らっていたのだった。

ご参考までに、応用編のような彼らの挨拶を列記してみよう。

“How’s it going?”

“How’s everything?”

“What’s new today?”

“What’s cooking?”

“How does the world treat you, these days?”

“Howdy?”

“How ya doin’?”(のように聞こえる)

と、誠に様々なのだ。但し、上記は初対面の外国人に向かっては使わないと認識しておかれて良いと思う。

*平川唯一氏の英語:

「今にして思えば」だが、かなり正調なアメリカ西海岸のアクセントだった。それ即ち「真似をしても良い英語の発音」だということ。と言うのは、あの広いアメリカで使われているイングリッシュには地域差があるし、余り推薦したくない“a、e、i、o、u”の後に”r“が付いた場合に“r”を、舌を巻くように響かせて発音する場合もあるのだ。私が言う支配階層の人たちはこの種の発音はしないものなのだ。だが、戦後間もなくは進駐軍の兵士たちがこういう発音をしたので、真似る傾向が顕著だったものだ。平川氏はこのような発音をしておられなかったのは良かったと思う。

確か、平川氏の後を継いだのがJames Harrisという人だった。この方は「日本人にアメリカン・イングリッシュの発音を真似することは難しいので、寧ろキングズ・イングリッシュ(当時はそう呼ばれていた)との中間を採ることを薦める」と言って指導していた。これは中々巧みな教え方で「aやoのような母音の発音をアメリカ式にして“r”を響かせるアメリカ式を排除せよ」と言っていたのと同じ事だった。私はハリス氏に影響された訳ではないが、自然に中間派になっていた。

*Have you quit smoking for good?“

ここではアメリカ人の中で働いていた為に、“for good”という表現を覚えたという物語だった。今回は、その話ではなく“quit”を取り上げようと思う。

“quit”はジーニアス英和には「(主に米略式)人が学校、勤め、などを[・・・することを][・・・の理由で]でやめる、中止する、放棄する」と出ている。一寸見るとresignに意味が似ていると思う。即ち、「辞表」はresignationなのである。この言葉には悲しい思い出がある。それは、我が生涯の最高の上司、副社長兼事業部長が1993年に突如として辞表を提出したと聞かされた表現が、“He tendered a resignation.”だったからだ。こういう時の動詞がtenderと学んだ悲しい経験だった。“He quit.”ではなかった。

ここでquitの使われ方の例を挙げておこう。それは、トランプ様が好んで使われたとかの“You are fired.”に対する抵抗の表現だ。「お前はクビだ」と宣告された人が、“No. You can’t fire me. I quit.”とやり返したという小話。それは「貴方にクビにされない。俺の方から辞めてやる」とでも訳せば良いか。我が国とは企業社会の文化が異なっているアメリカでは「サラリー制」で雇われている社員は、雇用主の所属長の意向一つで、いともアッサリと馘首されるのだ。なお、向こうでは馘首されると次の職を得る場合に条件が悪化するので「自己都合の退職」を選ぶのだとか。

 


北京五輪の外交的ボイコット

2021-12-25 08:19:44 | コラム

我が国とアメリカ・ヨーロッパの諸国との文化の相違点:

この度の岸田政権の北京オリンピックに対する橋本聖子組織委員長、山下泰裕JOC会長、森和之パラリンピック委員長の3名の派遣の決定は、将に私が永年指摘して来た「我が国とアメリカ・ヨーロッパ諸国との文化の相違点の典型的な現れ」だったと思う。岸田総理は熟慮して適切な時期に発表すると言われてきたが、結果的には単にアメリカのサキ広報官が明確に“diplomatic boycott”と宣言した12月6日から18日も遅れただけだったように思えてならない。

私が指摘し続けてきた「文化の相違」とは「他国との重大な懸案事項について何らかの決定をする際に我が国が採る手法には、往々にして先方の顔を潰さないように好意的且つ慎重に妥協案を検討する」事が根底に流れていると、アメリカ側は見てきていた。その具体的な手法を列記してみれば、

*時間を費やしてでも落とし所を模索して提案し、双方の立場を傷付けないようにする、

*妥協点を探るべく双方の考えの中間点を見出そうとする、

*価格交渉であれば、双方の提案を足して二で割って中間を提示する。

と、このようになると見てきた。このような手法というか考え方は先方の立場を尊重し、尚且つ自社(自国)にも傷が付かないように配慮した奥床しい我が国独得の美風なのだ。だが、二進法的思考体系で如何なる重大な決定でも、いともアッサリと二択で決めてしまうアメリカ側から見れば、往々にして「あれは単なる感情論ではないか。決定が遅いのは間怠っこい」としか解釈されないようなことになってしまう事が多いのは残念だ。

このような文化と思考提携の相違点を基調にして今回の決定を見ると「元首乃至は閣僚級の使節団と選手団を派遣する」という中国に最大限の配慮をするやり方と「外交的ボイコットを宣言した上で人権尊重をも要求する」というアメリカを主体とする出方の中間点を探り当てて、「外交的ボイコットという表現を使わず、上記のお三方の派遣で中間点を採った」となったのだと見えるのだ。岸田総理はこれで中国との間に深刻な軋轢を生じない最善の手を打ったとお考えなのだろうが、私は諸外国は「日本的な落とし所以外の何物でもない」と見るだろうと考えている。

私はオリンピック憲章なるものに関心もないし、トーマス・バッハ氏率いるIOCは今や「IOC利バッハ欲」だけの無用の長物だと思っている。彼らが主催するオリンピックでは選手団や使節団の派遣はIOCに申請するものであり、開催国の政府宛ではないと聞いた気がする。そうであれば、松野官房長官は記者発表ではなくて、IOCとリモートででも会談すべきだったのではなかったのか。何れにせよ、我が国が必ずしも明快ではないかも知れない態度を明確にしたことは、“Better late than never.”と評価させて頂く。