そうとは知らなかったので:
本日は正午一寸前に帰宅したので知らなかった。先ほどPCを起動してYahooニュースを見て、午前中に松野官房長官が「政府は閣僚級を北京五輪に派遣しないと正式に発表した」と知ったのだった。私の好みの表現では、それこそ“Better late than never.”となるだろう。
今回取り上げたいことは、私が「しまった。そういう事だったのか」と半分は恥をかいて覚えた英語の表現集である。
“How have you been?”:
1972年の秋口だった。8月に生まれて初めてアメリカに渡った際に、Meadの本社で私が所属していたパルプではない板紙部のgeneral managerに紹介された。彼は秋には日本市場の可能性を調査に出張の予定で、その際の案内役を依頼された。そのGMが実際に来日されたときに羽田まで出迎えに行った。最初はお定まりの挨拶で“So good to see you again.”辺りを交換したかも知れない。そこまでは順調だった。
だが、彼が“How have you been?”と続けたので一瞬「何の事?」と戸惑って、“I was waiting for you.”と言ってしまった。言うなれば「その後どうしていたかい」とでも訳せば良いのだが、初めて出会った台詞だったと記憶している。GM氏は「???」という表情だったが、その場はそれでも何とか収まった。後で良く調べてみて意味を把握した。
英語の挨拶は変化に富んでいるので、馴れないとおかしな応答になってしまうものなのだ。例えば“What’s new today?”もそのうちなのだ。これに対する応答も失敗した経験があった。これは、悪いことに十二分にアメリカに馴れた後のことだったのだから、一層恥さらしだった。副社長からの定例の朝の電話会議の際に、彼がこのように切り出したので、慌てて昨日までに起きた新たな状況を報告したが、何となく受けていない感があった。そこで、落ち着いてから気が付いた事は「あれは単なる『お早う』程度」の挨拶だった」と言うこと。“What’s up?”なんていうのもある。
“Have you quit smoking for good?”:
先に言ってしまえば、ここでの要点は“for good”である。これなどは「簡単なというか、易しい単語でも二つ続けると、全く元の単語とは違った意味になってしまう」という典型的な例である。私の失敗は、本部で茶飲み話をしていたときに「私は煙草を吸わない」と言いたくて“I don’t smoke.”と言った。すると周囲からの反応で、“Have you quit smoking for good?”と来た。実は“for good”を未だ知らなかったので“Yes.”と答えてしまった。
すると「何だ。それでは以前は吸っていたのか」と突っ込まれた。「だから吸わないと言ったじゃないか」と答えると事態は紛糾した。そこで、諦めて「for goodとは何の事か」と「訊くは一時の恥」とばかりに尋ねるしかなかった。そこで学んだことは“permanently”即ち「永久に」と言うことだと教えられた。
“I don’t know how to drive.”:
これも同様な失敗だった。私は父親を昭和12年12月24日、即ち84年前の本日、銀座は数寄屋橋の交差点で貰い事故で失っていたのだ。そこで、残された母親に「子供たちよ。他人様に危害を加えてはならないから、車の運転をしないように」と厳しく言いつけられたので、弟と共に運転を覚えなかった。その為に、アメリカに出張する度に本部の誰かに送り迎えをして貰わねばならなかった。そこで、上司が「何で他の東京事務所の連中のようにレンタカーをして本社に出てこないのか」と、半ば詰問された。
それで“I don’t drive.”と説明すると「運転が嫌いなのか」と来た。そこで“I can’t drive.”でも解って貰えずに「免停でも食らっているのか」と訊かれた。「これは弱った。どう言えば解って貰えるか」と考えて“I don’t know how to drive a four wheel thing.”と答えて「何だ。そうだったか」となって、父の事故死と母親の厳命の説明をして一件落着となった。実は、そこには1964年に実弟も貰い事故に遭って会社復帰に約2年を要した件も付け加えてあったのだ。
アメリカ人の中にあって「自動車の運転が出来ない者がいる」という事態というか現実は、容易に解って貰えないと知ったし「運転しない」ということを説明するのは容易ではないと学んだのだった。
“I’ll be sure to get the job done.”と言え:
これは上司との遣り取りで学んだ言い方。東京に出張してきた上司に非常に時間と人手がかかる「市場調査を緊急にせよ」と命じられたのだった。アメリカの会社組織にあっては厳格に上意下達なので「やるっきゃないか」と覚悟を決めた。そして、実は渋々“Let me try to see what I can do about it.”と答え、これでやる気を示せたと思っていた。
だが、上司の反応は違っていて、怒りの表情で「何を言うか。それは『やります』との意思表示ではない。“I’ll be sure to get the job done.”と言え。この言い方が明確にやりますとの意思表示の表現だ」と、厳しく言い渡された。お陰様で英語のレッスンまでされてしまったのだった。そこで、あらためて“Yes, sir. I will be sure to get it done.”と答えて放免された。