新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月24日 その2 失敗して学んだ英語の表現

2021-12-24 15:14:54 | コラム

そうとは知らなかったので:

本日は正午一寸前に帰宅したので知らなかった。先ほどPCを起動してYahooニュースを見て、午前中に松野官房長官が「政府は閣僚級を北京五輪に派遣しないと正式に発表した」と知ったのだった。私の好みの表現では、それこそ“Better late than never.”となるだろう。

今回取り上げたいことは、私が「しまった。そういう事だったのか」と半分は恥をかいて覚えた英語の表現集である。

“How have you been?”:

1972年の秋口だった。8月に生まれて初めてアメリカに渡った際に、Meadの本社で私が所属していたパルプではない板紙部のgeneral managerに紹介された。彼は秋には日本市場の可能性を調査に出張の予定で、その際の案内役を依頼された。そのGMが実際に来日されたときに羽田まで出迎えに行った。最初はお定まりの挨拶で“So good to see you again.”辺りを交換したかも知れない。そこまでは順調だった。

だが、彼が“How have you been?”と続けたので一瞬「何の事?」と戸惑って、“I was waiting for you.”と言ってしまった。言うなれば「その後どうしていたかい」とでも訳せば良いのだが、初めて出会った台詞だったと記憶している。GM氏は「???」という表情だったが、その場はそれでも何とか収まった。後で良く調べてみて意味を把握した。

英語の挨拶は変化に富んでいるので、馴れないとおかしな応答になってしまうものなのだ。例えば“What’s new today?”もそのうちなのだ。これに対する応答も失敗した経験があった。これは、悪いことに十二分にアメリカに馴れた後のことだったのだから、一層恥さらしだった。副社長からの定例の朝の電話会議の際に、彼がこのように切り出したので、慌てて昨日までに起きた新たな状況を報告したが、何となく受けていない感があった。そこで、落ち着いてから気が付いた事は「あれは単なる『お早う』程度」の挨拶だった」と言うこと。“What’s up?”なんていうのもある。

“Have you quit smoking for good?”:

先に言ってしまえば、ここでの要点は“for good”である。これなどは「簡単なというか、易しい単語でも二つ続けると、全く元の単語とは違った意味になってしまう」という典型的な例である。私の失敗は、本部で茶飲み話をしていたときに「私は煙草を吸わない」と言いたくて“I don’t smoke.”と言った。すると周囲からの反応で、“Have you quit smoking for good?”と来た。実は“for good”を未だ知らなかったので“Yes.”と答えてしまった。

すると「何だ。それでは以前は吸っていたのか」と突っ込まれた。「だから吸わないと言ったじゃないか」と答えると事態は紛糾した。そこで、諦めて「for goodとは何の事か」と「訊くは一時の恥」とばかりに尋ねるしかなかった。そこで学んだことは“permanently”即ち「永久に」と言うことだと教えられた。

“I don’t know how to drive.”:

これも同様な失敗だった。私は父親を昭和12年12月24日、即ち84年前の本日、銀座は数寄屋橋の交差点で貰い事故で失っていたのだ。そこで、残された母親に「子供たちよ。他人様に危害を加えてはならないから、車の運転をしないように」と厳しく言いつけられたので、弟と共に運転を覚えなかった。その為に、アメリカに出張する度に本部の誰かに送り迎えをして貰わねばならなかった。そこで、上司が「何で他の東京事務所の連中のようにレンタカーをして本社に出てこないのか」と、半ば詰問された。

それで“I don’t drive.”と説明すると「運転が嫌いなのか」と来た。そこで“I can’t drive.”でも解って貰えずに「免停でも食らっているのか」と訊かれた。「これは弱った。どう言えば解って貰えるか」と考えて“I don’t know how to drive a four wheel thing.”と答えて「何だ。そうだったか」となって、父の事故死と母親の厳命の説明をして一件落着となった。実は、そこには1964年に実弟も貰い事故に遭って会社復帰に約2年を要した件も付け加えてあったのだ。

アメリカ人の中にあって「自動車の運転が出来ない者がいる」という事態というか現実は、容易に解って貰えないと知ったし「運転しない」ということを説明するのは容易ではないと学んだのだった。

“I’ll be sure to get the job done.”と言え:

これは上司との遣り取りで学んだ言い方。東京に出張してきた上司に非常に時間と人手がかかる「市場調査を緊急にせよ」と命じられたのだった。アメリカの会社組織にあっては厳格に上意下達なので「やるっきゃないか」と覚悟を決めた。そして、実は渋々“Let me try to see what I can do about it.”と答え、これでやる気を示せたと思っていた。

だが、上司の反応は違っていて、怒りの表情で「何を言うか。それは『やります』との意思表示ではない。“I’ll be sure to get the job done.”と言え。この言い方が明確にやりますとの意思表示の表現だ」と、厳しく言い渡された。お陰様で英語のレッスンまでされてしまったのだった。そこで、あらためて“Yes, sir. I will be sure to get it done.”と答えて放免された。

 


12月23日 その2 私の密かな小さい悩み事

2021-12-23 15:16:41 | コラム

兎角この世は上手く行かない事があるもの:

*英語とカタカナ語論に対するアクセスの伸び悩み:

私の日頃の小さな悩み事は「英語論」と「我が国の英語教育の問題点」を良かれと思って取り上げると、ブログでは目立ってアクセスが伸びないことである。昨日は思い切って長文で理解して貰えると思う表現で英語の勉強法を論じてみた。だが、懸念して通りの結果でアクセスは不振だった。そこで、本日は「これでもか」という勢いでカタカナ語の合成語を通じて「日本語と英語の違い」を取り上げて見たのだった。

思うに、私の英語論やカタカナ語論のアクセスが伸びないのは「私が論じている点が気に入らないのか」、「我が国の英語教育を非難するのが不遜だからか」、「自分の英語力のひけらかしだからか」、「何を言っているのか理解されないのか」、「英語論にはそもそも関心がないのか」、「カタカナ語批判は好い加減にしろと言いたいのか」等が理由になっているのか、あるいは全部かと密かに考えている。

尤も、本日の産経に載っていた北朝鮮人権侵害啓発週間作文コンクールに応募した英語で拉致問題を論じた優秀作品を見て、高校と中学の生徒たちの「書く能力」に端本等に驚嘆した。これだけあの年齢で書けるように教えられる先生方や、書ける能力を備えた生徒たちから見れば、私の英語論なんてチャンチャラおかしいと言われるかと感じたのだった。だが、更に驚かされたことは、彼らの荘重な文語体の英文だった。私の在職中の最も何とか出来ていた頃でも、到底あのような格調高い英語は書けなかったと、唸らせられていた。

あのような書き方になるように教え、その指導の下に方で育ってきた人たちがいるのから、安倍晋三元総理の通訳官だった方の英語が極めて格調高くて難しい文語体になっていたのも、故なきことだったのも理解できる気がしたのだった。と言うのは、あの通訳官の方は確か何処かIvy Leagueの大学に留学されたと聞いていたが、アメリカ人たちは滅多にあれほどの文語体では語らないので、何処であのような文体を学んでこられたかと思っていたのだった。

*スパムメールの近況:

今月に入ってから連日のように増加して本23日には147本に達していた。その中で気になる事が一つある。それは、約20本が私のOCNのアドレスを使っていて毎日のように二通りの日本語の文章で来ることなのだ。その中の一通は日本語の誤りがあるのは気に入らないのだ。彼らは機械で送信しているそうだから、この儘放置しておけば何時かの猥褻メールのように500本超えもあり得るかと、やや気にはしている。いっそメールアドレスを変えるかと思ったりもするが、そうするとどうやってOCNのブロッキングサービスに変更を知らせたら良いのかと迷気になるというもの。

このOCNのブロッキングも時には漏れがあって、このところ網の目をくぐり抜けたのか、フィッシングメールがパラパラと受信トレイに現れるようになった。それらはドコモとセゾンカードを装っていた。これまではブロックされたメールは中身を読むことがないので、この度初めてその怪しい内容に接することが出来た。スパムメールとは直ちに判断したが、念の為に両社に電話で問い合わせて「何れからメールで何かを連絡することはない」と確認できたので、直ちに削除した。

フィッシングメール本体に出会って、面倒な世の中だとあらためて再確認した次第。

 


私が考えるカタカナ語の問題点

2021-12-23 09:29:18 | コラム

私を困惑させる合成語:

昨日もカタカナ語についてほんの少しだけ触れたが、私は何時の間にか漢字の熟語と合成されて、遍く我が国のマスコミ業界を始めとして処々方々に普及している合成語に惑わせられている。今回は批判でも排斥でもなく、そういう合成語を英語にして考えてみようと思うと、それが結構な難事業である点を嘆いてみたいのだ。そこで直ちに思いつく例を挙げてみよう。

コミュニケーションを取る:

これには常日頃困惑させられている。それは「何故もっと(私にも)解りやすい日本語で『意思の疎通を図ること』と言わないのだろうか」なのだ。もしかすると「これでは難しい漢字の熟語が二つも出てくるのが怪しからん」からなのかと思っている。Oxfordに出てくるcommunicationを使った例文は“Speech is the fastest method of communication between people”というのが出てくる。私はここには「どのようにして他者と意志疎通を図る」というか「如何にしてアイディアや感情や情報を交換するか」との手法が出てきていないと思った。

中々上手く表現できない恐れがあるが、敢えて我々というか私と言うが、他者と意見を交換し、情報を伝えるとかいう場合には“Let’s communicate with each other.”とは切り出さないものだった。直接に「この件について討論しよう」とか「あの問題について君の意見を聞きたい」または「あの会社の動静について何か新規の情報があれば聞かせて欲しい」というような言い方になったと思う。そして、こう切り出す前に“Let’s sit down to have a chat for a while.”と誘うことから入っていったのだった。

また、団体競技の選手たちが「チームメイトと良くコミュニケーションを取って」などと言うのも、私には解り難いのだ。それは「事前に十分に意見を交換して作戦を練ろう」であるとか「試合中に臨機応変に目と目で意志を確認しあって行こうではないか」辺りの意味だと思うのだ。もしもそうであれば、「コミュニケーション」で括らずにキチンとそう言えば良いと思ってしまう。英語という言語ではこのように細かく具体的な内容を伝えないことには、意思の疎通というか、意見や情報の交換が出来にくくなるように出来ているのだ。

自己ベスト:

この言葉にも困っている。これは主に個人種目の競技で使われている合成語だ。これについては既に何度か批判してあったことで、ベスト(best)は形容詞であるgoodかwellの最上級であって、通常は名詞形では使われていないと指摘してあった。こんな面倒くさい文法論は措くとしても、自己ベストでは最高か最善の何であるかが出てきていないのだ。その辺りを英辞郎で見れば“the personal best record”と出ている。問題はそこにあるのだ。即ち、「記録」が省かれていても、日本語の観念では十分に通じてしまうのだ。

恐らく、英語を母国語とする人たちに“This is my best.”と話しかけてみると“What do you mean by saying my best?”と切り返されることがあるかも知れない。英語というのは七面倒くさい言語であって、細部まで明確に言っておかないと、何が言いたいのか解って貰えないことになるのだ。私は経験からもそう言えると思っている。お断りしておくと、ここは飽くまでも英語で意志の疎通を図っている場合のことであり、我が国の中では十分に「自己最高記録」を意味していると万人が理解するだろう。

また、付け加えておきたいことは、英語の感覚では「自己」か「私的」はprivate(=プラベート)ではなくて、personalとする方が適切である点だ。故に、芸人の事務所が「プライベートは各人に任せてありますので」と言うのは純粋な日本語なのであると承知しておく方が良いと思う。私ならば“personal life”と言うと思う。因みに、Oxfordにはprivacyとは“the state of being alone and not watched or disturbed by other people”とある。これでも「私生活」のことにはならない。

英語という外つ国(トツクニ)の言語の煩わしさ:

日本語とは全く異なっている点は「以心伝心で通じる」はあり得ない点なのだ。だから、面倒だと思っても言葉(単語)を沢山使ってでも細かい点まで表現しないと、相手に完全に意志というか自分が言いたい事が理解されない危険性が高くなるのだと認識しておく必要があるのだ。だから「コミュニケーションを取る」という合成語では、具体的にどのような方法か手段で意見や意志や情報を交換するのかが明確に表されていないのだと思っている。

要するに「文化も思考体系も全く異なる国の言語である英語」で自分の思うところを的確に表現して相互に理解し合う為には、この点まで十分に認識しておくことが肝腎であると申し上げているのだ。更に言えば「英語を日本語の思考体系で考えてはならない」ということだ。

 


12月22日 その2 本当に役に立つ英語の勉強法(英語で思うように意思表示が出来るようになるには)

2021-12-22 15:56:43 | コラム

英語を学ぶ事は基礎を固めるという事:

 導入部:

私はこれまでに繰り返して「旧制中学から大学までの英語の勉強に加えて、終戦の年からGHQの秘書の方から『英語で話せるようになるには』を個人的に厳格に教えられてきた」と回顧して、英語の勉強法を語って来たし、カタカナ語の濫用も戒めてきた。だが、非常に残念に思っていることがある。それは、このブログでは英語論とカタカナ語排斥論を取り上げるとアクセスが伸びなくなることだ。

敢えて後難を恐れずに言うと「私がアメリカの大手企業の一員として、1年365日、極端に言えば英語でしか読み、書き、話す事がない状態で仕事をしてきた英語力を、どのようにして身につけたかを述べてきたのだ。だが、その方法が学校教育の英語授業と違い過ぎていた為か、信じて頂けなかったような事態がとても残念」なのである。読者諸賢にお考え頂きたい事は「学校教育では得られなかった実用性を私は供えていた点」なのだ。

私は大学を卒業する1954年のあの就職難の時代に「英語を使う職業」を選択する気など皆無で、何とかごく普通の我が国の会社に採用して頂けて、17年間全く英語とは無縁の紙パルプ産業界の国内市場向けの営業担当者として過ごしてきた。だが、後述することもあるかも知れない偶然と運命の流れで、17年目に大恩ある会社を離れてアメリカの会社に転職したのだった。その切掛けとなった出来事では、17年間も使ったことがなかった英語の意志疎通が全く何の躓きもなく出来たことだったのだ。

敢えて自分から言えば、中学校1年の時からひたすら英語の基本の勉強に専念してきたことのお陰で、17年間の空白があっても、言うなれば「三つ子の魂百まで」のようなことで、英語は昨日まで話し続けていたのと同じように、スラスラと口から出てきたのだった。自分でも「意外だった」と感じたほど自然に、初めて出会うUKの人との会話は成り立っていたのだった。

基礎の勉強法とは:

では、その基礎をどのように固めていたかを、あらためて振り返っていこう。この点はこれまでに何度も回顧した事で「私が手抜きをした結果」だったのだ。学校で教えられているように英文解釈をするとか、和文英訳や文法の参考書を読んで試験に備えるとか、単語を覚える為に単語帳やカードを作るのが面倒で、全く手を付けなかった。そして、何となく教科書をただひたすら音読していたのだった。

重要なことは「音読を10回、乃至はそれ以上でも続けていると、自然にそこに出てきている英文の意味が解ってくるようになるし、文章を何処で切って休みを入れる(pauseだが)のかが見えてくるのだ。これを学校教育式に難しく言えば『構文』が解ってくるようになるのだ。しかも、音読し続けていると暗記できるようになることも解ってきた。そして、矢張り何となく試してみると「一レッスン」くらいは簡単に暗唱できるようになったのだ。そこまで行ってから試験に臨むと、何時でもチャンと90点以上が取れたのだった。

単語カードも単語帳も造らないと言ったが、この点を補う為にやったことは「知らないか、解らない単語に出会った時には、兎に角辞書をひいて意味を確かめる」のだった。そして、面倒だからと教科書には絶対に書き込みはしなかった。このようにして結果的に覚えたことは「単語をそこに使われている意味だけを覚えるのではなく、流れの中でどのように使われているか」を覚え込んだことだった。これは非常に重要で、後に「単語という部品をバラバラに覚えて置いたとして、何らかの完成品という形にはならない」と指摘するようになった事だった。

この「音読・暗記・暗唱」は高校3年時の英語の担当だった鈴木忠夫先生に「それは良い学習法だった。完全に文章として記憶してあれば、それ以後には必ず文法的にも間違いのない文章が口から出てくるようになるから」と承認して頂けたのだった。この「音読・暗記・暗唱」の勉強法は、大学で出会った脱帽的な英語の天才とも言いたい横須賀高校から来たK君も全く同じだったので大いに意を強くしたものだった。K君が英語で話しているのを聞けば「アメリカ人だ」と思ったほど発音も完璧だった。彼は大学推薦で留学に行ってしまったほどの英語力だった。

大学1年から2年ほど中学1年の男子の家庭教師をする機会があったので、親御さんのご了解の下にこの方法で徹底的にやってみた。週に2~3日は四谷での授業を終えてから藤沢の家に通った。ただただ音読だけで、教科書のレッスン1から当日の授業の所までを繰り返して音読させてから、教科書を伏せて暗唱させた。間違いなく出来るまで繰り返すだけが私のレッスンだった。彼はチャンと教科書1つを丸暗記できるまでになった。彼は高校を終えるまで英語は全部5だったそうだ。先生には「高校の勉強が英語だけだったら、君は間違いなく優等生だ」とまで言われたそうだ。

また、1997年からは某総合商社でアメリカの大手メーカーからの輸入業務を1人で担当している若手の、英語力と実務の個人指導を担当したことがあった。彼には必要になると思う英語の文章をひたすら自習で音読させ、暗唱できるまで記憶させることにした。そして、その成果を試す為に英語だけで会話をする時間を設けて、どれほど身に付いているかを厳しく追及した。また、彼には街中を歩いているときに目に入る光景をそのまま英語で表現するようにも命じた。そして言った「それが恥ずかしいなどと思うようでは、上達の望はないと思え」と。

彼の業務での外出の際に途中まで同行して、帝国ホテルなどのロビーの喫茶席で「英語だけの会話」も強制した。ここでも「誰かに聞かれて恥ずかしいなどと躊躇するな。出来る限り文法的にも正しいと思う英語で語れ」と押しつけた。そうこうする間に格好が付いてきた。彼から誇らしげに「課長からお前が課で一番の英語使いになった」と言われたときには、正直なところ「ホッ」とした。「俺の教え方は正しかったのだ」と再確認できたのだから。この辺りを、私は「英語で話せるようになる要素は、慣れと度胸だ」と表現してきた。

GHQの秘書の方の教え:

これも今日まで繰り返して述べてきたこと。第一は「英語だけで考えなさい。日本語は忘れなさい。」だった。次は「何か言おうとするときに、言いたい事を日本語で考えてから英語にしようとしては駄目。出来るだけ英語だけで文章を構成してみること」が来た。この2点の意味するところは「英語で意志を表現しようとするときは、頭の中を英語だけにしなさい」となる。三番目には「言葉が出て来ないときには“Let me see”とでも言って繋ぎなさい。また、如何なる時でも“you know”を会話に挟んではいけません」だった。

彼女は中学1年生の私が解ろうと分かるまいと、英語だけで話しかけてきた。また、私の応答に少しでも文法的な誤りがあるか、言葉の使い方が不適切である時には、返事をくれないか無視されたのだった。この方法の為に自然に文法的に正しい表現をするようになってきた。言ってみれば「素晴らしい教え方だった」だったのだ。この“you know”を挟んではならないという教えは、アメリカの支配階層の会社に入って良く解ったことで、決して知識階層の人たちが使うことがないphraseだと確認できた。

また、私が上司の奥方で最も尊敬しているMBAの女性には「そのGHQの方の“you know”は駄目だと言う教訓は素晴らしい」と、あらためて教えられた。この夫婦ともMBAである家庭で夕食会に呼ばれたときの夫妻の会話で、奥方が「今日会談した某氏が“Me, too.”と言ったのには幻滅した」と言うと、ご主人が「そうか。彼はそんな表現を使ったとは呆れた」と応じたのには、流石に驚かされた。アメリカの支配階層の家庭では、こういう言葉遣いまで厳しいのだと学んだのだった。我が国の学校でここまで手が届くのかを考えて見たら如何か。

未だ未だ述べておきたいことは沢山あるが、今回はここまでの基礎編に止めておこう。


兎角この世には

2021-12-22 08:42:22 | コラム

様々なことが起きるものだ:

 

*岸田文雄総理;

非常に慎重なお方のようだし、総理にご就任の後も手堅い姿勢を貫いておられると思って見てきた。だが、あの総裁選出馬を決められたときには、現職の権力者二階幹事長をその任から外すような声明を敢然として出すような周囲を驚かすような事をもされたのだった。ではあっても、北京五輪の外交的ボイコットについては未だに確たる態度を見せておられない。

 

聞く耳を持っていると言われても、矢張り慎重に事を運ぶ姿勢は変わっていないのかと思っていた。ところが、昨日には懸案となっていた「アベノマスク」を廃棄するとの決定を発表されたのだった。私は「人をその一面からだけで判断していれば、時には過ちとなる」のかと反省させられていた。しかし、政治に詳しいジャーナリストの方々の解説を聞いていると、「岸田総理は徐々にでも、菅前首相とは異なって安倍路線の継承内閣である以上、そこから外れた策を講じていくのだ」とあった。だが、思い切ったことをなさるものだと感じ入っている。

 

*オミクロン株:

テレビを点ければ、殆どの局が暇さえあればオミクロン株感染の急拡大とその危険性を「怖いのだぞ、急激に感染者が増えるのだぞ」と親切丁寧に伝えてくれている。「その種の番組に登場される専門の大学教授の先生方は何時大学で講義をされるとか、専門の研究をされるのだろうか」と皮肉っていた週刊誌もあった。そう言えば、一頃は「コロナの女王」とか言われていた岡田晴恵教授のお姿を見かけなくなったのは、大学が休みではないからかとも思った。

 

私はある週刊誌が締め括っていた「これまで通りに万全の警戒態勢と安全策をとっていれば良いのではないのか」としていたのが結論だと思っている。オミクロンという称号は貰ったが、新型コロナウイルスであるのだから、対策を変えようがないのではないのか。ワクチンに効力があるとされている以上、3回目の接種を何故8ヶ月後とする線から変えていない内閣の姿勢は、一寸どうなのかなと思ってしまう。新宿区は我々高齢者には接種は来年2月と通告したが、私には丁度8ヶ月後になるので、少しだが不安が残る。

 

神田沙也加さんの急死:

昨日から各テレビ局で神田正輝と松田聖子元夫妻であり両親が悲壮な記者会見をされた場面を流していた。当方は親の一人として彼らの心情に思いを致すときに「どれほどのことか」と同情を禁じ得なかったし、危うく落涙にまで至りそうだった。芸人の動静には日頃から関心がないのだが、今回だけは別次元のような感があるのだ。去る8月に57歳になる長男が心筋梗塞と医師に電話で告げられて急遽新橋の慈恵医大に向かったときのことを思い出していた。神田沙也加さんのご冥福を祈りたい。

 

今回不思議に感じたことがあった。それは「彼女がホテルの部屋かどのような状況で下方に落下したのか」との点だ。私は1972年の転職以来恐らく何百回にも及んだろう国の内外でホテルに泊まっていた。だが、如何なるホテルでも部屋の窓が自由に外に出られるように開閉できる構造にはなっていなかったと思う。して見れば、神田さんは何処から墜落されたのかなどと思ってしまうのだ。尤も、在職中は部屋の中から外の景色を眺めていられるような悠長な暇などなかったので、窓をいじった記憶などなかったが。

 

もう一つ「何で」と思うことがある。それは、各テレビ局がこの関連の放送をすると、その終わりのところで必ず「心の悩みを抱えている方は、下記の番号に電話ご相談を」という映像が出てくること。当初は神田さんが自死だったと報じられたが、以後一切この点に触れた報道はない。そして、何の目的か不明に思える電話相談の案内が何故出てくるのだろうか。