リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

酒と闘う

2011-01-14 07:51:10 | オヤジの日記
友人のイベント会社の社長の事務所で、クリアアサヒを飲ませていただいた。

そして、飲みすぎた。

500缶を4本。
他にサントリーの「響」という高級ウィスキーをストレートで1杯。

このウィスキーが効いたのかもしれない。
いつもならビールごときでは酔うことのない私が、軽く目が回ってきたのである。

ビールはともかく私には高級なものは、口に合わないようだ。
貧乏な体が、驚いてしまったのだろう。

人に弱みや醜態を見せることを極端に嫌う私は、平気な顔をしてマカロニポテトサラダを口に入れたが、少し気持ち悪くなった。
しかし、平気な顔をして噛み、飲み下した。

胃に不快感があるが、まだ我慢できる段階だった。
だから、残りのサラダを一気に、口にかき込んだ。

胃の不快感によるものか、味はまったく感じなかった。

気持ちが悪い。

しかし、顔は平静を装う。

のど元までたまに強い不快感が押し寄せるが、無理に引き戻す。

少し胃も痛くなってきた。

これは、ヤバイ・・・・・・・と思ったが、まだ平気な演技は続けられた。

しかし、友人の社長はお見通しだったようだ。

「Mさん、具合悪そうだよ。ちょっと横になったら?」

何を言ってるんだよ。
具合なんか悪くないよ!

強がった私は、社長の事務所の冷蔵庫から、今度はバドワイザーを取り出して、一気飲みした。

呆れる社長。
「オレ、知らないよ」という顔をしている。

冷たいバドワイザーが食道を通って、胃まで到達するのが、はっきりとわかる。
ビールは、こんな風に人間の体内に入っていくのか?
それを実感した。

それが、良かったのかどうか・・・・・。

奇跡的に胃が元気を取り戻したのだ。

それは友人の社長から見ても、わかりやすい変化だったらしい。
明らかに顔色が変わったというのだ。

自分でもそれは強く実感した。

俺、生き返ったぞ!

だが、調子に乗って、私がまたバドワイザーを取ろうとしたら、社長から羽交い絞めにされた。

「Mさん、やめろ! 死ぬ気か、アンタ!」

死ぬ気はなかったので、やめた。

やめてよかったと思う、社長が気を使って、京橋の事務所から武蔵野の自宅まで送ってくれた車内の中で、私は吐き気と闘い続けたからだ。

アパートの前で社長にお礼を言ったのは覚えているが、その後のことは覚えていない。

気が付いたら、布団をかぶって寝ていた。

「酒くせえんだよ!」
中学3年の娘に軽蔑された。

娘の目は、酔っ払いを見る目だった。

まあ、確かに酔っ払いだったのだが・・・。




ナンバーワンより

2011-01-13 07:48:30 | オヤジの日記
ブログのアクセス・ランキングというのを見て驚いた。

私のブログが、gooのランキングで7千番台だったのだ。

152万以上のブログがある中で、この成績は想定外だった。
要するに、嬉しい。

もちろん上には上がいて、きっと雲の上には毎日のアクセスが数十万というカリスマ的な人もいるのだろう。
しかし、私としては、これで充分な気がしている。

蓮舫さんの言う「一番でなければダメなんですか」の気分だ。

誰もが一番をめざす必要はない。

もちろん一番をめざす、という意義、意欲に関しては、否定しない。

それは、モチベーションを高めるには、必要なものだと思うからだ。
「その世界」まで行きたい人、行く能力のある人は、当然めざしてもいいと思う。

勝手な想像だが、一番をめざす能力のある人は、人間の10パーセントにも満たないだろう。

私は、その10パーセントには入っていないと、自信を持って断言できる。

何かの本で読んだのだが、人類が誇る、かのアインシュタインは、競争が嫌いだったというのだ。
人と比べられることを極端に嫌ったらしい。

オンリーワンは望むが、ナンバーワンは望まなかったらしい。

アインシュタインを例に出すなど、おこがましいことだとは思ったが、あれほどの人でも一番はめざさなかったというのは、凡才以下の人間としては、かなり安心できる話ではある。


一番も千番も一万番もめざさないブログ。


それが、私のブログです。




結局はミーハー

2011-01-12 10:24:54 | オヤジの日記
夜、CSの音楽番組を見ていたら、「トイレの神様」のビデオクリップが流れ出した。

しかし、二十歳の息子が素早くリモコンボタンを押して、画面は他の番組に。

「よし」とうなずく我が家族。

ガテン系の某有名ダンスボーカルグループが出てきても、それは同じ。
ジャニーズ系のグループが出てきても、必ずそうなる。

「嵐は、仲が良さそうだから微笑ましくていいよね」と言いながらも、彼らの歌を聴くことはないし、バラエティ番組を見ることもない。
SMAPに至っては、中学3年の娘は「オレ、絶対にまともに歌聴いたことがないよ」と言うくらい、我が家ではその歌声を耳にすることも画面に映ることもない。
ミーハーなヨメだけが、ジャニーズの山下ナントカのファンで、彼が出るドラマを携帯のワンセグでこっそりと見るくらいである。

スポーツのイベント中継も見ない。
箱根駅伝、高校野球、オリンピック、ボクシング、フィギアスケートなど。
だから、同業者との居酒屋談義で、その種の話題が出ると、私は貝になる。

まったく話についていけないからだ。

ただ、サッカーのワールドカップだけは家族全員で観る。
たとえどんなに遅い時間帯でもリアルタイムで見る。

なぜなんだろう、と思うが、自分たちにもわからない。
特別サッカーが好きだというわけでもない。
今回アジア杯なるものをどこかでやっているらしいが、それは興味がないのだ。

ワールドカップの時だけ、選手の名を懸命に覚え、それぞれお気に入りの選手を作って、感情移入をする。

それは人に言わせると、「結局はミーハーなんだよ」ということになる。

そうなんだろう、と自分でも思う。

少女時代(ソニョシデ)の「Hoot」を聴いて、ときめいているような男は、確かにミーハーに違いない。



KARAの「ルパン(Lupin)」もいいな・・・・・。



すごい女

2011-01-11 10:11:28 | オヤジの日記
昨日は、成人式。

二十歳の息子の記念すべき日だったが、息子は成人式には参列しなかった。

「だって、荒れたら嫌だからね」
平和なことが好きな息子は、荒れる成人式は嫌いなようだ。

そこで、記念に家族四人と中学3年の娘の友だちの居候さんとで、映画を観に行くことにした。
しかし、お目当てのハリー・ポッターは混んでいたので、観たのは「トロン」という映画だった。

できを星3つで表現したら、星1つ半といったところか。
要するに、普通だった。
面白いという視点で見れば面白いし、期待していたら「ハズレ」ということになる。

ただ、息子は満足していたので、良しということにする。

映画を見て、息子の大好きな焼肉を、と思いやはりお目当ての人気店に行ったら、そこも混雑。
では回転寿司にしようか、足を運ぶと「一時間待ちです」。

有名ラーメン屋も混んでいた。

苦笑いの息子が、武蔵境駅前のイトーヨーカ堂内リンガーハットでもよし、と言うので我々はヨーカ堂地下のフードコートに足を運んだ。

しかし、ここもけっこうな混雑。

ただ、息子の日ごろの行いがよかったせいか、運良く6人がけの席が空く場面に遭遇して、我々はそこに席を占めることができた。

しかし、「あら、これー!」という必要以上に大きいヨメの声。

それは、まわりのテーブルにお座りになられた方々が、思わず振り向くほどの無神経な大声だった。

ヨメの指さす先には、薄いピンクのポーチがあった。
当然、女性ものだろう。

ヨメがそれを手に取ろうとすると、隣のテーブルの上品な40年輩の女性二人組みが、「ああ、きっとそれ、日本人と外人さんご夫婦が忘れていったものだわ」と言った。
そして、もう一人が「きっと忘れたのに気づいて戻ってきますよ。それまで触らない方がいいですよ。ちょっと怖そうな奥さんだったから」と首を小さく左右に振りながら、話をつなげた。

怖そうな奥さん・・・・・?

それは、イヤだな・・・・・、そう思っていたら、ヨメと同じくらいの音量の声がした。

「それ! あたしの!」
背は小さいが、確かに目がきつくて、いかり肩をした30歳くらいの女が、190センチはあろうかという白人の男を引き連れて、立っていた。

そして、「中を見なかった!?」と、厳しい口調で言った。

わけがわからない私たちは、声も出せずにただ小さくうなずくだけだった。
いつもは、このような状況に強いはずのヨメも、相手の声の圧力に負けて声を出せずにいた。

全員が、迫力負けをしていた。

女は、固まった我々をひとまわり睨んだ後で、ポーチを手に取り、大男の白人を従えて遠ざかっていった。
そのときの白人が見せた申し訳なさそうな顔だけが、小さな救いだった。

嵐が去ったあとで、隣のテーブルの女性が言った。
「ね、すごいでしょ。すごい人でしょ。そこに座っていたときも白人の旦那さんに、一言も喋らせなかったのよ。すごいわよ。あのひと」
もう一人の女性も同じように「すごいすごい」と繰り返していた。

確かに、すごい。

それは、すごいとしか言いようがないひとだった。


我々5人は、同じように「すごいすごい」と言いながら、みな同じリズムでうなずくことを繰り返した。

ちゃんぽんを食っている間も我々は「すごいすごい」とうなずいていた。


恐怖の留守電34回

2011-01-10 12:26:04 | オヤジの日記
疲れが溜まっている。

それは、自分でも驚くほどの疲れだった。

昨日の昼、レギュラーのドラッグストアの仕事をいただいた。
通常は、B4サイズが多いのだが、今回は新規出店をアピールするので、サイズはB3。

ただ、長年やっているので、フォーマットは8パターン用意してある。
それを担当者と話を詰め、一番合致したフォーマットに当てはめていく。
パターンが決まってしまえば、あとは慣れた手順を踏んでいけばいいから、その後は流れ作業のようなものだ。

昨日の午後3時から作業を進めて、今朝の5時に初稿が完了。
途中、夕飯の支度や風呂、仮眠などで5時間くらい中断したから、正味9時間ほどで作業は終了したことになる。

それほど、疲れる仕事というわけではない。


ただ・・・・・・・・・・、


私には、3歳年の離れた実の姉がいる。

その姉から毎日のように、留守番電話が吹き込まれる。
それは、昨年の11月ころから続いている恐怖の電話だった。

「死んでもいいですか」

少ないときで2回、多いときで20回以上、毎日吹き込まれるのだ。

身内ではあるが、これはストーカーではないか、と思うことがある。

この姉は、50数年の人生の中で、働いたことは1年足らずしかない。
それ以外、人さまの役に立ったことがない。
一般的には、「引きこもり」と言える状態だが、引きこもりの正確な意味を私はよく知らないので、姉のことを世間で言う引きこもりの方たちと同列に置いていいものか迷っている。

この姉は、生産性のあることをしたことがない。
ただ、唯一、パチンコ業界と競馬業界には貢献しているようなので、その点だけは生産性があると言っていいかもしれない。

結婚したことがない。
もちろん、子どももいない。

今年87歳になる老齢の母親と川崎で暮らしている。

母親の年金で、優雅な生活を送っている。

ただ、本人には、優雅な生活を送っているという自覚は、全くないようだ。

働かず、家事もせず、昼間はたまにパチンコ、競馬、そして夜7時から酒を飲むという日常は、私から見たら、この上もなく優雅なものに思えるが、本人は「私は世界一不幸な女なの」といつも嘆いている。

友だちは、いない。

だから、毎日「死んでもいいですか」の電話を弟の私にかけてくる。

憂鬱になる。

母と私は、姉が若い頃から、精神科の医者に通わせようと努力した。
しかし、そのたびに「死ぬわよ。死んでやるから」と姉は泣き喚く。

姉は刃物や鋏などを極端に怖がる性質なので、刃物で自分を傷つけることはできない。
だから、料理もできないのであるが、それは幸いなことと言っていいのかどうか。

姉は、私たちが医者に連れて行こうとすると、壁を叩きまわって、泣き喚く。
そして、最後には「死ぬんだから」と言いながら、頭を壁にぶつけるのだ。

だから、川崎の実家の壁は、かなりの範囲、凸凹している。

しかし、本気で死ぬ気はないようで、頭から血を流すことはないし、思い余って母が地区の民生委員さんを呼び、民生委員さんが持て余して救急車を呼ぶという事態を飽きるほど繰り返すのだが、病院で検査してもらっても毎回脳波は正常だった。

ただ、姉には同情すべきこともある。

2008年の夏に大腸がんになったのである。
それは、長年の不摂生のせいではあるが、それは姉にとって人生最大の危機であり大きな悲劇と言えた。

姉は、冗談でも「死んでやるから」とは言えなくなった。

幸い手術は成功して、いまも転移せずに、手術前のように極めて「優雅な生活」を送っている。


そして、「死んでやるから」が「死んでもいいですか」に変わったのが、昨年の11月。


がん手術後の姉は、他のことは一度も長続きしたことがないのに、毎月一度の検診だけは特別らしく欠かさずに受けに行く優等生だ。
お医者様に、毎回聞くに堪えない悪態をつくので、私は最初の2回だけ付き添いして、あとは姉ひとりで行かせることにした。

検査は姉ひとりで行き、検査結果は私だけが聞く。
そして、抗がん剤(かなり高価)を私が薬局に取りに行き、姉に顔を合わせることなく、それを実家の郵便受けに入れて、私は我が家へと帰る。
それが一番、私の精神を安定させる手順だからだ。

姉の顔を見ると、私は毎回「絶望という定義」を必ず頭に思い浮かべることになる。
それだけは、避けたい。
私は、哲学者ではないのだから。


明日は、その検査結果を聞きに行く日だ。

そして、昨日の夜から深夜にかけて、「死んでもいいですか」の留守電が、34回(私が徹夜に近い形で仕事をしているのに、まるでそれを見透かしたような拷問のような電話)。

新記録だ。



これで「疲れない」と言えるほど、私の精神はタフではない。