評価
正岡子規が逝く、34歳の若さだった。好古、真之兄弟は南下するロシアに備えるため、朝鮮半島へ赴く。母校出身(盛岡中学中退)の山屋他人の記述があるので記しておく。
「この当時、日本海軍にあっては、戦術家と自他ともにゆるされている人物は、おどろくほど少なかった。真之の先輩では島村速雄と山屋他人の二人しかいないとされた。」
著者が日英同盟締結のくだりで、「ロシア人は、民族としてはお人よしだが、それが国家運営となると、ふつう考えられないようなうそつきになるというのは、ヨーロッパの国際政界の常識であった」と述べていることが太平洋戦争で現実になる・・・
しかし、明治期の方がかなり合理的な思考を持っていることに驚く。昭和期の精神論とは大違いである。