今になって高校生の頃の恩師の言葉をなんとなく納得できるようになった。
遅きに失したというのはまさにこのことだと思うが、時間がかかっても人の意を理解できるということは悪いことではないと思っている。
その言葉というのは「人は与えられた環境の中で生きていくしかないんだぞ」というものだった。
あの頃は、わが家はすこぶるつきの貧乏だったので、「親が貧乏だから進学できない」「お金がないから仲間から馬鹿にされる」と、自分にとって都合の悪いことはみな親や周りのせいだとばかり 、ひとりあらぬ方向を向いていた時期だった。
わが家のワンコ先生をはじめ、大方の生き物は自分を環境に合わせその中で生きていこうとするが、どうも人間は環境を自分に合わせようとするらしい。
自分の環境というのは、自分が影響力をもって作り変えている部分も確かにあるけれども、その多くはたくさんの人間との関わりの中で、自分ではどうしようもない大きな力、流れのようなもので与えられたものである。
すべての環境を自分の都合のよいように合わせるということは、たくさんの軋轢や後ろ向きな苦悩を生じ苦しいだけの生き方である。
仏教の教えの中に『一切皆苦』というものがあるが、きっとこのようなことを言っているのではないかと思う。
人生は思い通りにはならない事の方が、むしろ普通なのだ。
貧乏なら貧乏なりに、仲間から馬鹿にされいじめられているのならそれなりに、それをしっかり受け止めて、じゃあこの中でどうやったら自分が楽に生きられるか前向きに考えた方がずっと楽しい生き方になる。
考え方を変えただけで、あれもダメ、これもダメと思っていた自分にもできることがたくさんあることに気づく。
高校の恩師は、成績が学年最下層まで落ちていた私にも推薦で進学できる大学を見つけてくれ、しかも学費免除の特典まで手続きしてくれた。
今思うと先生の人脈があった学校なのかもしれない。
今思うと先生の人脈があった学校なのかもしれない。
結局、人間関係不得手は還暦を過ぎても直っていないけれど、この頃から少しずつまともな大人の階段をのぼりはじめた。
「本当にありがとうございました。先生の言葉、今なんとなくわかります」と心から思う。
生前中にこんな言葉をかけられたら良かったのだけれど。
生前中にこんな言葉をかけられたら良かったのだけれど。
「普通の人なら数年でわかるところを、 お前は40年もかけたのか」とあの世で先生が笑ってるような気がする。
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<今日は何の日>
1994(平成6)年の今日、朝鮮民主主義人民共和国初代国家主席 金 日成(キム・イルソン)が死亡。
<今日は何の日>
1994(平成6)年の今日、朝鮮民主主義人民共和国初代国家主席 金 日成(キム・イルソン)が死亡。
金 正日(キム・ジョンイル)体制に移行しました。
現在は戦争をしらない三代目将軍様の時代。
火遊びが過ぎて血を流すことのないように願っています。
火遊びが過ぎて血を流すことのないように願っています。