夏も一段落。
この週末は、たくさんの食の恵みを頂いた夏野菜から、秋の葉物野菜への切り替えに汗を流した。
今夏は5月6日に定植したナス6本、ピーマン3本が今もたくさん花をつけていて、一線をひいて再雇用になったわがやのバーサン、収入も減り、夜のおかずは毎日ナスとピーマンだ。
バーサンとは、夕飯しか、というか、時々夕飯。
で、自分は、朝は5時前には起きて、ご飯を炊き、一人で朝ご飯。
シルバーバイトがある時は、有り合わせのものでお弁当をつくるという生活なので、夜、バーサンがいるときは、有り難く一緒にいただくことにしている。
で、今日の作業である。
今、秋みょうががたくさん出ているのだけれど、夏の間の茎葉も大きく茂っている。
種をまいた野菜が発芽後日陰になることから、これをまずカット。
いやいや、”モスキート”たちの住処であったらしく、進撃の”モスキート”状態で閉口した。
庭先のこともあり、半袖で作業していたのだけれど、腕に「お~~っ」状態。
手のひらで叩くと、何匹もいっきに潰れた。
これから来る冬。
彼らはそこを越さなくてはならない。
命を繋がなくてはならない。
葉陰に潜んで、時期を見て、今日、このときの生(血を吸って)をつなぐ。
その一心だったのだろう。
どこもみな、この世の今を生きるってことは、「よいなもんじゃねぇ」
でも、それしかないと思えば、これも悪くはない。
うちのバーサンだって、好きなことをして生きていけばいい。
この10年くらいのお互いの判断で、これからのそういう生活基盤はできたのだから、まあ、正直、あまりこちらに関わって欲しくもない。
今更、一緒に出かけるなんてことは、儀礼の冠婚葬祭以外は謹んでお断りします。
面倒です!
自分のことは自分でする。
これが一番いい!
二重生活とか、家庭内離婚という言葉もあるけれど、どうもそれとも違う。
収入源がショボショボになってきた今現在も、家計負担は、共働き夫婦の慣習の中で、”なんとなく分担”している。
カミサン(バーサン)は、「が」の強い御仁で、若い頃は特に、「私が」の主張はそうとう強い(気が強いという方もいるけれど、我が強いだけで、かなりの小心者というのが的を射ている)けれど、一線をひいて再雇用になって数年、ようやく、自分が働き続けられた、その裏で、家庭を歪めたということを認識仕出した様子。
十代で母をなくしたカミサン。
七つで父をなくした自分。
なんか、ご縁があった。
『因縁果』
子たちはなかなか良縁に恵まれない。
どんな形でもいい。
胸を張って生きてほしい。
この世は、観音様で満ちている。
面倒くさい御仁さけれど、カミサン(バーサン)は、同志である。
なくてはならない。
カミサン(バーサン)の方も、どうもそんな感じである。
いろんな今があっていいんだろう。
庭先農園の話から、変なところへ落ちた(笑)
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