まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

他の過ちを責めない

2022年05月13日 | 読経の日々

今週は雨降り続きでシルバーバイトも入らず、家事の外作業もできずで、『今日行く』と『今日用』にことかいている。

午後にかけてかなり強い雨が降る雲行きなので、ドロとホコリまみれの軽四を天水で洗おうと目論んで今スタンバイしているのだけれど、待てば不思議と雨が降らない。(笑)

少し時間があるので、お釈迦様にお世話になっているという話をブログに書いてみたい。

「信じる宗教は仏教です」と言い切れるほど強い思いはないのだけれど、わが家は曹洞宗の檀家で、子供の頃から生活の中に、農村に伝わっていた仏教の生活習慣のようなものがあった。

両親も亡くなり、自分が家の最年長となったここ十年ほどは、仏壇の前に座ることが増え、お経にも関心がでてきて、毎日短い間だけれど、呼吸を整え、正座して、曹洞宗のお経を読んでいる。

曹洞宗の先人たちがまとめた『修証義』というお経の中に、お釈迦様が正しいと信じ歩んだ道程を3つの誓いと10の戒め(実践すべき事項)にまとめた部分がある。

どれも言われればそのとおりという感じの言葉だけれど、これを行うのは至難な事柄ばかりで、煩悩だらけで、その煩悩によって自分が苦しんでいる人の行動を非常によく捉えていると思う。

10の戒め(実践すべき事項)の中の第六に『不説過戒』という教えが示されている。
漢字で書かれるとなんのことかとなるけれど、「他の過ちを責めない」ということ。

「他の過ち」というのは、時間の流れの関係性の中でたまたま生じた事象を、自分の目から見た感覚であり、立場を変えれば自身も常に起こしていることだ。

ここに強くこだわると、相手にも強くあたることになり、関係を悪くするし、結局自身の心が苦しくなる。

人間関係不得手で生きてきたけれど、今思うと随分と他を責め立てて生きてきた。

「他の過ちを責めない」と言葉では分かっていても、こんにち只今、目の前でトラブれば頭にくる。

自分の責を棚に上げてカッカし、他を責め、自分を正当化しようとする。

実践は容易いことではないけれど、他を責め、怒り出す前に、「まてまて」とちょっとだけブレーキを掛ける愛語の気持ちがあると、人間関係はむしろ良い方に向かうように思う。

仏教、宗教というものは今ひとつ分からないけれど、分かった部分だけでも、お釈迦様の教えを日々の生活の中で少しずつでも実践することは、自分にとってはご利益がある、有難いと思っている。

強い雨を待てど、未だ降らず。(笑)


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