まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

腐っても、イワシ?

2015年10月22日 | 少し働く日々

バイト先の休憩時間に、若い社員から、なぜ早期退職をし、まったく畑違いの仕事をしているのか、(また働くなら、辞めなきゃよかったのでは、という疑問だったようです)という話になりました。

話せば長いことだし、面倒だったので、まあ、やるだけやったという感じで、疲れちゃったから辞めて、今までとはぜんぜん関係ない仕事をやってるってとこかな、と適当にかわしました。

そんじゃ、腐っても鯛ってとこですね。

あたし的には、・・・。
鯛じゃねぇし、まだ、ぜんぜん腐ってねぇし。

昨年の同じ日に雇用開始になった、役所の管理職を早期退職した方とシフトが重なっており、同席。

俺は、腐ってもイワシだなって、ニコニコしながら言ってました。
作業が始まってしまったので、話はたち切れですが、『腐ってもイワシ』、彼らしい言葉だと思いました。

イワシは九十九里の特産です。見栄えは、一匹では、鯛と比べようもありません。
たくさんの仲間と群れて回遊しています。

みりん干し、めざしなどにして、食べても美味しいですが、たくさんとれた近世の頃は、ほしかとして、肥料に使われていたといいます。

彼はきっと、目立つことがなくても、群れのリーダーになって、みんなのためになる。
死んだ後も、肥料になって、次の世代のためになる。
そんな思いがあったのかな、と感心した言葉でした。

あたしは?と考えると、腐ったら、骨が残るだけです。

祖父母、父母、地域の人、数少ない友、知人、職場の関係、たくさんの人をおくってきましたが、みな、骨が残るだけでした。

あたしが不信心だからかもしれませんが、天国で幸せに暮らしている、地獄で苦しんでいる、そんな話もぜんぜん聞きません。

腐った後のことを考えるより、今日を、今を、精一杯生きる。
一日一生。

イワシにもなれなかったし、まして鯛にはなれない。
人付き合いの苦手な、還暦まじかの、中老一人。

ものすごい迷惑をまき散らしたこともあったのだろうけど、開墾した畑の小菊のように、多少は、人のためになったこともあるに違いない。

そんな、あたしのこれからは、今と向き合って、精一杯生きるしかないいんだなぁと感じた、休憩時間の教訓でした。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« いくつになっても、褒められ... | トップ | 仕事の仲間は有難い »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

少し働く日々」カテゴリの最新記事