交通誘導のシルバーバイト、休みの予定なれど、7時に急に呼び出され近くの街の変則交差点の信号のからむ片交作業にあたった。
お昼少し前から、予報通り雨降り。
しかも、寒い!
これじゃ、急に朝お腹が痛くなる人もいるわな(笑)
休憩回しのポジションに入り、3人の位置をぐるぐる回った。
思いっきり渋滞を作った側の人をお昼に入れて交替。
反対側の人と調整し、2回連続で流させてもらうなど工夫中に、わざわざ目の前で車を止め、助手席側の窓を開け「馬鹿野郎!いつまで待たせるんだ!」とのシニアの御仁あり。
はいはい、ごもっとも。信号が変わってしまうからはやく行ってください、と促しても怒り心頭である。
結果、この人のお陰様で、渋滞がまた増えた。
相互に流れているものを半分の一方通行にしてしまうのだから、交通量が多ければ渋滞は必然。
しかも交差点にある信号機、横断歩道は、桜田門組が仕切る、国家権力である。
これを無視して事故れば当然運転者は重い過失にとわれる。
交通誘導の仕事は、安全な運転をするために運転者に適切な情報を提供し、運転者が適切な判断ができるように誘導すること。
交通事故が起こると、誘導員が行けといったからという主張を必ずするようだけれど、それじゃ、あんたは、小学生が横断歩道を渡っている、誘導員が轢けと合図したら轢き殺しますか?
それはしないでしょ。
誘導員が進めの合図をしても、その行動を起こすかどうかは、公安委員会から免許を受けている一人ひとりのドラーバーの判断・責任である。
状況によっては、渋滞のイライラの矢面に立って罵声を浴びるのも給料の内ではあるけれど、他人にあたっても、仕方がないかと。
もともとはといえば、あなたがたの日々通っている道路の補修だし、あたながたの家に繋がるガス、水道の工事。
ぜんぜん違うところで暮らしている警備員の自分には、「あっしには、かかわりのねぇことでござんす」の世界である。
こちらも最賃とは言えお給料をもらって仕事でやっているのだから、感謝してくださいなんて思わないし、言わないけれど、怒鳴られたってなぁ。
である。
仏教に「心の三毒」という教えがある。
貪瞋痴(とんじんち)。
「貪(むさぼり)」「瞋(いかり)」「痴(おろかさ)」
この三毒が自分を苦しめる、因果応報のもとだとお釈迦さまはおっしゃる。
「痴(おろかさ)」とは、不快だといって、みずからがさらに不快感をぶちまけ、周囲をより不快にさせることなどである。
※「痴(おろかさ)」については、Google先生に詳細を聞いてみてください。より深い解説もあると思います。
かの御仁の思い、お怒りはご尤も。
でも、それって自分が辛いよね。
貪瞋痴(とんじんち)、みな日々時々にある感情だけれど、毎朝お仏壇にご飯お茶を上げ、深呼吸の瞑想をし、懺悔文を読経している日々は自分にとって無駄ではないようである。
だいぶ在家の仏教に馴染んできたようである。
合掌