8月8日 おはよう日本
太平洋戦争中 出征する兵士が戦地に持って行った寄せ書きの書かれた日の丸。
激しい戦闘の末
アメリカをはじめとした連合国の兵士たちが戦場から持ち帰ることもあった。
こうした旗を日本に返そうと活動を続ける夫婦がアメリカにいる。
太平洋戦争中 日本兵が所持していた日の丸の展示会が
7月 アメリカ西部のオレゴン州で開かれた。
旗には兵士の無事を祈る寄せ書きなどがびっしり書き込まれている。
これらの旗はアメリカ兵などが戦利品として戦場から祖国に持ち帰ったものである。
このほど日本の遺族に返すため集めて展示された。
展示会を主催したレックス・ジークさんと妻の敬子さん。
夫妻はオレゴン州を拠点に旗を日本に返す活動を続けている。
取り組みを始めたのは6年前。
敬子さんの元に
ビルマ戦線に送られて戦死した祖父の旗が
カナダから届けられたことがきっかけだった。
(敬子・ジークさん)
「遺骨も遺品も何も戻らなかったおじいちゃんが
長い年月をかけて家族に会いに帰って来たって
みんな泣いて喜びました。
そういう思いをする遺族が他にもいらっしゃったら
自分たちが体験したような気持ちを共有できたらいいなと。」
アメリカの元兵士や家族から寄せ書きの旗を預かり
日本の支援者にも協力してもらって持ち主を探し出す。
戦後70年となる今年のお盆までに
できるだけ多くの旗を日本に返すことを目標に活動を続けてきた。
地元の新聞やテレビで活動が紹介されたことや
70年を経て日本に対するアメリカ人の感情が大きく変わったことなどもあり
ふたりの元には次々と旗が送られてくるようになった。
これまでに寄せられた旗は100枚を超えた。
(レックス・ジークさん)
「旗を受け取るたび
元の家族に返してあげたいというアメリカ人の思いに触れます。
旗を返すことは大切ですが
アメリカ人の気持ちを伝えることこそが大切だと考えています。」
旗をジークさん夫妻に託した
オレゴン州に住むロナルド・ジレットさん。
父親のウォレスさんは太平洋戦争中アメリカ軍の兵士としてフィリピンなどで戦った。
戦後 37歳の若さで病気で亡くなった父親。
遺品の中にあったのは寄せ書きの旗だった。
(ロナルド・ジレットさん)
「この旗は戦闘が終わった後の戦場で父が拾ったものだと聞きました。
書かれているのは
その時戦った相手の部隊の兵士の名前だと思っていました。」
旗を自宅に飾っていたジレットさん。
偶然ラジオでジークさん夫妻の活動を知った。
ジークさんたちと連絡を取る中で
旗が戦地に赴く日本の兵士に家族が思いを込めて贈ったものだと初めて知った。
(ロナルド・ジレットさん)
「旗がどういうものであるか知った時
父に代わって絶対に返さなければいけないと思いました。
父はこの旗がどれほど大切なものなのかわからず
戦場から持ち帰ってしまったのだと思います。」
ジークさん夫妻が開いた展示会にはジレットさんも駆けつけた。
ジレットさんはジークさんたちに
なんとかして旗を日本の家族の元に返してほしいと伝えた。
(ロナルド・ジレットさん)
「亡くなった人は戻ってこないが
肌身離さず大切にしていたものがここにあります。
この旗が遺族のせめてもの慰めになってほしいのです。」
ジークさんは寄せ書きの旗をきっかけに
アメリカ人の間で
戦った相手も家族がいる同じ人間なのだという思いが広がっていると感じている。
(レックス・ジークさん)
「戦っている時
相手はただの“敵”でしかない。
70年前はそれが“ジャップ”(日本人)でした。
敵に妻や子どもがいるなんて誰も考えもしません。
しかし兵士は国に戻った後そのことに気付くのです。」
お盆を前にジークさん夫妻は託された旗のうち約70枚を手に来日。
いまも持ち主がわからないものなどについて日本政府に協力を求めた。
今後 厚生労働省なども協力し遺族への返還を進めることにしている。
(レックス・ジークさん)
「返還できたのは私たちの力でなく
ふるさとに戻りたいという日本兵の魂の力です。
今回 日米の家族が強い絆を感じていて
こうした絆が平和を作るのだと思います。」