8月12日 おはよう日本
7月 夢をかなえ宇宙に飛び立った油井亀美也さん。
「地球はすごいきれいでもう言葉がないくらい。」
この打ち上げを
油井さんと同じ夢を抱き挑戦した仲間たちが見守っていた。
油井亀美也さんが挑み6年前に合格したのが宇宙飛行士選抜試験。
受験者は963人。
知力や体力、
リーダーシップやコミュニケーション能力などが1年がかりで徹底的に見極められた。
選ばれたのはわずか3人。
その陰には960人もの夢破れた人たちがいる。
宇宙への夢を次の世代に引き継ごうと人生を大きく変えた人がいる。
舘弘士さん(44)。
岐阜県の高校で数学を教えている。
授業中に響く轟音に突然 舘さんは窓の外を見つめた。
「あれはT(訓練機)です。
県営愛知空港に着陸するT4です。」
舘さんは元自衛官。
アメリカやロシアの宇宙飛行士には空軍出身の人が多いことから
航空自衛隊に入り
試作機の開発などを行ってきた。
(舘弘士さん)
「自衛隊に入った時の1つの気持ちの中で
宇宙飛行士の採用試験を受けたい
いつか受けたいという気持ちがあって
ずっとその気持ちを隠してきた。」
舘さんが所属していた同じ基地には油井さんもいた。
ふたりは宇宙飛行士の夢を胸に秘めながらそれぞれ任務にあたっていた。
宇宙飛行士選抜試験(2008年~2009年)。
舘さんは2時選抜に挑むが結局不合格に終わった。
「かなりの準備と努力をして臨んだ試験なので
2次試験の不合格通知が来たときは相当ショックでした。」
舘さんは宇宙への夢をあきらめ
試験後 自衛隊を去った。
高校教師として再出発した舘さん。
いまも生徒たちを前にすると宇宙飛行士に挑戦した時の思いを口にする。
「これから1年間2年間かけて自分の目標を決めていけばいいと思うし
宇宙飛行士にチャレンジした結果
教員というチャレンジを続けているので。」
今年に入って舘さんはひとりの生徒から進路の相談を受けるようになった。
2年生の石原義経さんは舘さんの話を聞き宇宙関係の仕事に就きたいと考え始めている。
6年間大切にとっておいた宇宙の資料を見せる舘さん。
「これあげるよ。
宇宙飛行士のパンフレットとか。
英語読めないと。」
最後に見せたのが1通の通知。
「最終的に来たのがこの不合格通知。
冷たいよね。」
これまで誰にも見せたことがなかった。
失敗を恐れず挑戦することの大切さを石原さんに伝えようと思ったのである。
「挑戦することはいちばん大事なことだと思うので
失敗したら次の選択肢だってあるし
リトライだってできるわけだから
まずは簡単に夢をあきらめずに今の夢を挑戦してください。」
(石原義経さん)
「いろんな経験をされている方がこんなに近くにいるんだと思って
そういう話を聞くたびに舘先生がすごい人だなって思って
担任が舘先生で本当に良かった。
いろいろな経験を聞けて
自分の糧にもなったから本当に幸運だった。」
ふたりは油井さんの打ち上げを一緒に見ようと約束を交わした。
6年前 油井さんとともに最終試験に残った10人。
しかしあと1歩のところで夢破れその理由を考え続けてきた人がいる。
内山崇さんである。
JAXAで宇宙船の開発を続ける内山さん。
この6年
なぜ自分が選ばれなかったのか自問自答を繰り返してきた。
「自分がそこまで宇宙飛行士としてやれる決意があったのかっていうのは
なかなか決意があったとは言い切れない部分がありました。」
そんな内山さんが取り組んだのは日本の宇宙輸送船“こうのとり”の打ち上げである。
宇宙ステーションに水や食料を届ける。
今回ロボットアームを操作して受け取るのは油井さんになる。
内山さんは“こうのとり”の管制官として地上から油井さんを支え
ともに宇宙の夢を見続けたいと考えている。
「油井さんはプロの宇宙飛行士として一緒に仕事をしている。
こちらもプロの管制官としてやっている。
とにかく成功させないといけない。
宇宙ステーションにしっかり届けることに全力を尽くす。」
7月23日 ついに油井さんが宇宙に旅立つ時を迎えた。
6年前の選抜試験を共に受けた受験者たちがその瞬間を見守ろうと集まっていた。
その中には地上から油井さんを支えようと決意した内山さんの姿があった。
同じころ舘さんは生徒の石原さんと一緒に打ち上げを見守っていた。
次の世代に夢を託す。
(内山崇さん)
「油井さんと一緒に仕事をすることになるのでワクワクする。」
夢に挑戦したことを糧にそれぞれが新たな人生に踏み出している。
(舘弘士さん)
「打ち上げが
自分のことを見直して再チャレンジしていく
見直すきっかけになったと思うので
まだ自分の夢を追いかけていない持っていない子もいっぱいいますが
そういった子も夢を持って追いかける手伝いをしたい。」