8月9日 編集手帳
顔に傷を負い、
頭に包帯を巻いた母親と小さな男の子が、
炊き出しの握り飯を手に茫然(ぼうぜん)と立つ。
2人がいるのは長崎の爆心地近くである。
原爆をテーマに開催中の写真展で、
よく知られる一枚を見た。
写真家の山端(やまはた)庸介が軍の報道部員として長崎に入ったのは、
原爆投下の翌日だった。
そこに握り飯を持つ親子はいた。
がれきに横たわる幼児の焼死体もあった。
駅のホームで一 緒に焼け死んだ親子もいた。
投下前日の長崎を描いた小説に井上光晴の『明日』がある。
終章で夜が明け、
男児が誕生する。
母になった女性がいう。
〈私の子供は今日から生きる。
産着の袖口から覗(のぞ)く握 り拳がそう告げている〉。
書かれていない次章に山端が撮った世界を当てはめると切ない。
現実の長崎で握り飯を持っていた母親は24年前に亡くなった。
「み じめで見たくない」と、
写真には複雑な思いがあったという。
あれから70年。
いま実体験を語れる人の多くは子供の時に被爆している。
大人と子供では記憶の残り方も微妙に違ったことだろう。
体験を戦後世代が正確に伝承するのは難しい。
それでも途絶のゆるされない作業である。