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米国で出版~初めて知る“被爆実態”

2016-09-18 07:30:00 | 報道/ニュース

8月31日 キャッチ!


光は信じられないほど明るく
爆風で駅が壊れた。
建物の下敷きになり意識を失った。
長崎に原爆が投下された8月9日に合わせ
アメリカ ニューヨークで開かれた追悼集会。
あるアメリカ人女性が
生死の境をさまよった被爆者の生々しい証言を紹介した。
朗読したのは作家のスーザン・サザードさん。
これまで何度も長崎を訪れ
多くの被爆者の体験談に耳を傾けてきた。
(作家 スーザン・サザードさん)
「アメリカ人は原爆の被害についてあまり知らないし
 理解もありません。
 でもすべての国に取って重要な歴史です。」
なぜアメリカで被爆者の声を伝えようとするのか。
きっかけは30年前のある被爆者との出会いだった。
高校生の時 横浜に留学していた経験のあるサザードさんは
アメリカで被爆者が講演する際に通訳を頼まれた。
それまでは原爆や被爆者についてほとんど知らなかったという。
その時に出合った被爆者の谷口さん。
原爆が投下された当時 16歳だった谷口さんは
背中一面に大やけどを負い
瀕死の状態になり
3年7か月もの間入院を強いられた。
その後 自らの体験を語って
核兵器廃絶を求める運動の先頭に立ってきた。
そんな谷口さんの話にサザードさんは衝撃を受けた。
(作家 スーザン・サザードさん)
「被爆した時の少年の気持ちを想像すると
 それは圧倒的だったでしょう。」
谷口さんの話を聞いて
「いつか被爆者の話を本にまとめて伝えたい」と考えたサザードさんは
2003年から長崎を訪れ
被爆者の証言を集めるようになった。
原爆が投下された当時 16歳だった永野悦子さんは
疎開していた妹と弟を長崎に呼び戻した時に被爆。
きょうだいを亡くした。
自分のせいで亡くなったという後悔をずっと抱えて生きてきた。
13歳だった吉田勝二さんは
被爆で顔にケロイドが残り
1年以上も人目を気にして外に出ることもできなかった。
その後 差別を受けながらも自らの体験を積極的に語り
核兵器廃絶を訴えながら
2010年 78歳の生涯を閉じた。
そしてまた自分の人生を変えた谷口さんと長崎で再会。
被爆当時の話だけでなく
その後の人生をどんな思いで生きてきたのか
詳しく話を聞いた。
長崎を訪問中にサザードさんが話を聞いた被爆者やその家族
そして専門家などの数は40人近くにのぼった。
(作家 スーザン・サザードさん)
「私たちが狭い視点で歴史を見ていたことに気付かされました。
 被爆した後も人生は終わりません。
 その後70年も続けていることを知ってもらいたい。」
サザードさんは被爆者たちの証言をもとに
去年 1冊の本を出版した。
ナガサキ:核戦争後の人生
取材と事実確認を慎重に進め
完成まで12年の歳月をかけた。
殺してくれ 殺してくれ
きょうだいの代わりに私が死ねばよかったと今も考える
アメリカではほとんど知られることのない被爆者の生の声と
彼らがたどった過酷な人生がつづられている。
サザードさんのもとには読者から数百もの感想が寄せられている。
日本はひきょうにもハワイを攻撃したのだから当然の報いだ
原爆のおかげで私は死なずに済んだ
これまでのアメリカの立場を代弁するような内容が見られる一方
寄せられた感想の4分の3が
原爆の悲惨さを初めて知ることができて良かった
被爆者の話を広め核廃絶を進めるべきだ
などといった好意的な反応だった。
本は反響を呼び
今年5月 綿密な調査に基づいたノンフィクション作品に与えられる
全米規模の賞であるJ.Anthony Lukas Prize Projecto賞を受賞。
5月のオバマ大統領の広島訪問に対する国民の反応を見ても
サザードさんは「少しずつアメリカ社会が変化してきたのではないか」
と感じたという。
(作家 スーザン・サザードさん)
「オバマ大統領の広島訪問後
 多くの人が原爆について語るようになりました。
 これまで被爆者について理解がありませんでした。
 被爆者は歴史上 唯一の核攻撃を受けた人たちで
 彼らの思いを1人でも多くのアメリカ人に届けたい。」



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