私は中学生のとき、理科の問題で、写真のように、「コップ一杯に水を張り、氷が入っていて、氷が溶けると水がコップからこぼれるか」という問いで、なぜこぼれないのかをだいぶん考えたことがあります。
当時、かなり真剣に考えたことを覚えています。
じつは、「なぜだろう」と感じて、その答えを探そうとするのは、学習の根本です。
いろいろなことに疑問をもち、考えるほど、学びは深まります。
学習といえば、知識を教わり、暗記してテストに臨むというのは、今でも大切な学習のしかたです。
しかし、学習者がなぜだろうと考えることも、いまの時代、大切な学力になります。
学校の授業でも、生徒たちが考える機会をできるだけ設けています。
しかし、教員の意識では、まだ教えて知識を授けることだけに傾注している旧態依然とした学力観の人もいます。
その教員に、生徒に考えさせ、その考えを表現することができる授業になるよう、いま私は教員を指導することを、自分の使命だと感じて指導にあたっています。
多く訊ねる者は、多く学ぶ。
人間、向上するためには、いろんなことに疑問を持つよう、たくさん問いかけることが求められると、私は自覚しています。
人間、向上するためには、いろんなことに疑問を持つよう、たくさん問いかけることが求められると、私は自覚しています。